第25回 『トラブゾン狂騒曲 ~小さな村の大きなゴミ騒動~』 (連載最終回)


愛より強く』『そして、私たちは愛に帰る』『ソウル・キッチン』でそれぞれベルリン、カンヌ、そしてヴェネツィアで受賞に輝いたトルコ系移民2世のファティ・アキン監督。そんな彼が自分のルーツであるトルコの小さな村の「ゴミ騒動」に、映像の力で立ち上がった。

8月シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

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ルーツのある村のゴミ騒動に立ち上がる

私は、かつて国連の仕事でトルコに駐在し、2年を過ごしました。休みを活用して、あまり日本の観光客が行かない黒海沿岸のトラブゾン地方も旅しました。トルコとグルジアとの国境に近いこの辺りは丘陵地の斜面を利用してお茶の栽培が盛んで、雨がよく降る地域でもあります。

そんなトラブゾン地方のことを、前作『ソウル・キッチン』で大いに笑わせてくれたファティ・アキンが描いたとあって、ぜひ観たいと思ったのが本作。

これまた私が子ども時代を過ごしたドイツ・ハンブルク育ちで、トルコとドイツ、2つの文化の間を行ったり来たりするアキン監督の作品に独特のユーモアを感じるのです。

彼を駆り立てたのは、祖父母の故郷のトラブゾン地方の村チャンブルヌで持ち上がったゴミ処理場の建設問題でした。故郷の一大事を世界に訴えたいという一心で、2007年から2012年まで5年がかりで撮影して世に出した作品です。前回・今回と「ゴミ」がらみの映画が続きますが、どうぞお付き合い下さい!

腐臭に芳香剤をまく

映画は、アキン監督のルーツであるチャンブルヌの市長や地元住民らの猛反対にも関わらずゴミ処理場が建設され、故郷の豊かな自然を破壊し、悲劇を迎える様をつぶさに追います。

トラブゾンの海岸はゴミ投棄の問題が深刻で、この地方のゴミ処理のためにチャンブルヌの銅鉱山の採掘場跡地を廃棄場に充てることが検討されます。地域の人々は猛反対し、環境安全基準を満たさないとしてチャンブルヌ市長も建設許可を出しませんでしたが、中央政府は「国家の利益を損ねている」として市長を提訴。裁判で追い込まれた市長は、許可を出さざるを得なくなってしまいます。

建設条件として示されていたはずの民家からの最低距離も守られません。ひどい悪臭にゴミ施設側は芳香剤をまいてにおい消しに走りますが、そんな付け焼刃でどうにかなるものでもありません。

汚水が浸み出し、ついには大雨で水が処理場の縁からあふれ出し、海に流れ込み、汚染はどんどん広がります。施設側も中央政府も「こんなに雨が降るとは予測できなかった」の一点張り。空はゴミにたかる鳥で埋め尽くされ、そのフンで名産の茶葉も汚されていきます。人々の暮らしは立ち行かなくなり、若い人を中心にチャンブルヌを離れていきます。

処理場の容量を増やすための拡張工事の最中に汚水処理層の壁が倒壊。壁という支えを失ってどっと流れ落ちる汚水による惨事で被害はさらに広がっていくのです……。

中央政府の都合の押し付けは、世界共通の構造か?

本作は、マイケル・ムーア監督のような激しい糾弾型の作品ではありません。

村の人々の日々の営みと、ゴミ処理に関わる側のあまりにも杜撰な対応を淡々と描き、その行間に村人の故郷への想いや人間の愚かさが滲ませます。

人々の生活を脅かす施設の運営管理にあたる人々に危機意識が圧倒的に欠如し、白を黒と言う詭弁が随所に見られます。

視察に訪れる知事や政治家や官僚らは、遠くからでさえハンカチで鼻を覆わなければ耐えられない悪臭に襲われても、「これでゴミだらけだったトラブゾンの海岸はきれいになっただろう」「ゴミ廃棄場はどこかには必要なのだから」と議論をすり替えてどこ吹く風。

大雨で水が処理場からあふれ出して汚染が拡大するのも、福島第一原発事故後の汚染水対策の顛末と実によく似ていれば、住民の暮らしと健康を優先せず、国の都合を押し付けるゴミ処理施設と中央政府の姿勢にも、どこか、既視感があります。

この体質は、連載第20回の『飯舘村――放射能と帰村』を思い出させます。『飯舘村』で土井敏邦監督は官僚たちの言葉が、人々の苦悩に対してあまりにも空疎であることを残酷なまでにあぶりだしています。

この『飯舘村』同様、本作は人々の健康や安全よりも為政者の都合を優先し、村の人々の苦しみや不安にまったく答えない中央の無責任を浮かび上がらせます。それはあまりにも不実で、むしろ滑稽なほどです。

子どもと女たちが立ち向かう

チャンブルヌの人々はすでに建設中から惨事を予言していました。排水パイプが細すぎる、汚水処理層が小さすぎる、下に敷いたビニールシートがすぐに裂けて漏れを引き起こすだろう、雨季に降る大雨に耐えきれない……。

すべてを見通していたということを忘れてはなりません。それを詭弁で言いくるめた中央政府とゴミ処理施設。

頼もしいと思わせてくれたのは子どもたちのガッツです。

地域の子どもたちのグループがアースデーにゴミ処理場を視察し、施設を管理する担当者に二酸化炭素排出やメタンガスの環境への影響について対応しているのかと質問します。

満足に答えられない施設側担当者に子どもたちはあきれ顔で、正しい知識と理解を教えるのです。

そして女たち。映画の中で最も行動的なレジスタンスの闘士として描かれるのは、お茶の作り手である女性たちです。

彼女たちは保守的な風土にも関わらず自らを組織し、臆することなく知事や役人たちに詰め寄ります。そんな人々の姿を追うカメラは、彼ら・彼女らの勇気ある行動を称えるようでもあります。

福島原発の処理という国民的課題を抱える日本に生きる私たちには、とても他人事とは思えない作品です。映画の中の世界と日本とを頭の中で結びつけながら、どうぞご覧になって下さい!

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さて、昨年8月にスタートしたこの映画コラム連載、開始からまる1年となる今回をもって最終回とさせていただきます。ちょっと変わった映画の楽しみ方にお付き合いくださって、本当にありがとうございました!


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