第1回 『ぼくたちのムッシュ・ラザール』


「映画のチカラで外交をするんだ」と語る監督がつくった作品は、さりげなく異文化理解の入り口を示してくれる

公式サイト:http://www.lazhar-movie.com/

字幕制作協力で出会った「カナダ」の今

私は、これまで留学や国連機関での勤務を通じて多くの国籍の人たちと一緒になりましたが、個人的に好きな国に「カナダ」があります。ナイアガラの滝以外は行ったこともないというのに……。

この親近感、どこから来るのでしょう?

もしかすると、「北米にありながら、アメリカ合衆国ではない悲哀と独自性」が、「G7にありながら、欧米ではない」日本の立ち位置に近いからかも、しれません。

そんなカナダ「らしい」映画に出会いました。
その名は「ぼくたちのムッシュ・ラザール」。

カナダの映画賞はもちろんのこと、数々の国際映画賞を受賞し、2012年のアカデミー賞外国語作品賞にノミネートされた作品です。

ざっとあらすじを紹介しましょう。

――ケベック州のモントリオールの小学校。
朝、一人の生徒が、教室で首を吊って自殺した担任の先生を発見する。
ショックを受ける子ども、教師、保護者たち。

混乱のなか、一人のアルジェリア人が難民申請中であることを隠して、代用教員に応募してきます。このムッシュ・ラザールことラザール先生が、次第に人びとを癒していく。――

私は、劇中の難民認定審査シーンの日本語字幕制作をお手伝いしたことをきっかけにこの映画と出会いました。

誰もが体験する小学校という場所を舞台に、誰もが持っていたであろう子ども時代の戸惑いや心の傷などが繊細なタッチで描かれます。そのトーンが味わい深く、見るたびに違う発見があります。

主張がしっかりありつつも押しつけがましくないところが素晴らしい! 字幕制作にあたっては「この映画にふさわしい、正確かつわかりやすい日本語のことばを見つけよう」といろいろ考えました。


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アルジェリアの今

バシール先生の出身地であるアルジェリアは治安が安定せず、
表現の自由が国家だけでなく過激派組織によっても制約される、という状況がありました。

2007年12月には、首都アルジェでUNDP(国連開発計画)をはじめとする多くの国連機関が事務所を構えていたビルがアルカイダ系組織に爆破され、国連職員17名が命を落とすという事件が起きています。

こうした環境下において、特に女性は自由に意見を主張することができず、映画の中ではラザール先生の奥さんも標的にされます。「あとから家族を呼び寄せよう」と考えた先生が亡命先にケベック州を選んだのは、アルジェリアと同じフランス語圏だということが大きな理由だったのでしょう。

先生の振る舞い方に難民特有の事情が垣間見えます。

例えば、生徒がラザール先生の写真を撮ろうとしたとき、先生は激しく感情的に拒絶します。
それは、自分が表に出ることで命を狙われたり、
家族や親せきに危害が及ぶことを危惧したりするためです。

そうしたディテールをさりげなく描き込んだ上で、
難民という文脈を離れ、異国に飛び込んで暮らす者が直面する
戸惑いや驚きなどの普遍的な部分もさらりと見せてくれます。

この映画との出会いから私のカナダびいきに拍車が掛かり、ロンドンオリンピックでも対戦相手が日本でなければ、ついついカナダを応援してしまうほどです。

カナダの「お国柄」

私がUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に勤務していたときのことです。

1999年、NATO空爆後のコソボに2年間駐在したときには、様々な国から派遣された軍の部隊と仕事をして、その「お国柄」を垣間見る機会がありました。

紛争終結後の最初の冬、道路などのインフラはズタズタで、雪深い土地の人々に支援物資を運ぶためには、「最後の手段」として軍に輸送をお願いしなければなりませんでした。

そんなとき、カナダ軍の人たちは、こちらからのお願いを気前よく引き受けてくれました。

そして、私たち人道支援に関わるスタッフに近い感覚で「困っている人」のニーズを考えようとするのです。これにはビックリでした。UNHCRの同僚を見ても、超大国であるアメリカ出身者が何事にも白黒つけたがるのに対し、お隣のカナダ出身者は「絶妙なバランス感覚」と「中庸の精神」を見せてくれていました。

このように、カナダは「多文化主義」、そして国連などを重視する「多国間主義」を掲げ、異文化共生と平和構築のスピリットをとても大切にしています。

もともとイギリス、フランス両国の植民地支配を受けた歴史から、国レベルでは英語とフランス語が公用語ですが、モントリオールのあるケベック州ではフランス語だけが公用語です。

このケベック州にはカナダから分離しようという動きもあり、1995年に行われた州民投票では分離独立は否決されたものの、賛成49・4パーセント、反対50・4パーセントとわずか5万票の僅差でした。


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監督は「ケベック人」

最近、「ぼくはケベック人」と豪語する方にお目にかかりました。
それが、この映画の監督・脚本を担当したフィリップ・ファラルドーさん。

大学で政治学、大学院で国際関係論を専攻したファラルドー監督は、
「ぼくは外交官にはなるようなタイプではありませんでした。でも、映像のチカラで外交したいと思います」
と笑顔で答えてくれました。気さくな人柄の奥に強い信念が感じられました。

私も大学は法学部で勉強し、テレビ報道の仕事を経て大学院で国際関係論を学び、国連機関で難民支援を手掛けてから再びジャーナリズムに戻ってきたので、監督が言わんとしていることがよくわかります。

――異文化を知ることで、こころがゆたかになる――

そんなメッセージがこの作品の通奏低音として流れています。

カナダは移民の国であり、映画に出てくるクラスの生徒たちは肌の色も宗教も様々です。
校庭で髪をヘジャブでおおったイスラム教徒の女の子が、主人公の少女アリスとスニーカーを見せ合うシーンも印象的。

学校のパーティーでの音楽や食べ物など、あちこちに異文化を知る入口が示されています。そして、劇中冒頭の「事件」を受けて、学校側はカウンセリングの専門家に任せようとしますが、ラザール先生は彼なりの方法で子どもたちと心を通わせようとします。それを、周囲の大人たちは「子どもにはまだ早い」と反対します。

このシーンについてファラルドー監督はこう言います。
「子どもは大人が考えている以上に、自分なりに必死で考えようとします。ぼくは子どもの頃『それは子どもの考えることじゃない』と言われてフラストレーションを感じました。トラウマを受けやすいのは、子ども以上に大人の方じゃないか。そんなセリフを子どもに言わせました」

この映画の主役は子どもたちです。ファラルドー監督は言います。
「子どもたちとは時間をかけて役作りをしました。子どもは飽きっぽいから、大人の役者たちとの仕事のようにはいかない。集中力が途絶えたなと思ったら、『よし、サッカーをして遊ぼう!』と気分転換しましたよ」
まるで宝石のようにキラキラしている子役たちの演技はこうして引き出されたのです。

喪失と再生の軌跡を描いた映画、子どもたちのきらめきを、どうぞご堪能あれ!


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