立つ鳥、大気圧の下で、最後の言葉の先へ

立つ鳥後を濁さず

【読み】
たつとりあとをにごさず

【意味】
立ち去る者は、見苦しくないようきれいに始末をしていくべきという戒め。また、引き際は美しくあるべきだということ

【注釈】
水鳥が飛び立ったあとの水辺は、濁ることなく清く澄んだままであることからいう。ここでの「立つ」は、「飛び上がって去る」という意味。

 

このブログの引き際として、
おそらくこれほどぴったりな言葉はないと思います(笑)
とはいえ、「美しく」「飛び上がる」自信はありません・・・

飛べない鳥はただの鳥ですらない

なんてどっかの豚さんが言いそうですが、
ペンギンと一緒に抗議しようと思います。

 

ということで・・・
延ばし延ばしにして来ましたが、この時がやってきました。

先日お伝えした通り、こちらのブログ、
この記事をもって更新を終了いたします。
読んで下さった皆様、
2年とちょっとの間、ありがとうございましたm(__)m

旅の始まり・・・いや、その前から応援してきてくださった、
英治出版株式会社の皆さんにも本当に感謝しております。

今でも過去の記事が繰り返し読まれていたり、
ずっと前の記事にコメントをしてくださる方までいて、
改めてこのブログを綴って来てよかったな~と思います。

 

最後の記事にふさわしい内容は何か、ずっと考えていました。

そもそもこのブログの目的はなんだったのか、とか
一番伝えたいことを一言で言うと?とか
たっぷり名残惜しんでもらえるには・・・とか(笑)

ただ、頭で考えてもあんまり出てこなかったので、
とりあえずキーボードを叩き始め、 流れに任せようと思いました。

 

 

 

まず、「脱チキンできたの?」という非常に大きな命題から取りかかります(笑)

これに関しては、正直どちらとも言えません。
なぜなら、よく考えたら「何をもって脱チキンなのか?」を明確にしていなかったからです(笑)

もしバンジージャンプを強要されたらやはり断るだろうことを考えれば、
チキンのままなのかもしれません。
(やっぱり「飛び去る」はできない!)

ただ、もはやチキンだろうとチキンじゃなかろうと、
割とどうでもよくなってきました。

ブログタイトル崩壊・・・(笑)

呼び名・呼ばれ名はどうでもよくて、
「いま、ここ」の自分ができることを、
きちんと無駄にしないで積み重ねているか・・・

そこに「Yes」と答えられれば、それでいいのだと。

その先の、自分を大きく変えなければいけない段階もあるのかもしれません。
だけど、臆病な自分を変える前に、
臆病な自分でもできることをきちんと積み重ねているか、
まずはそこからで、僕が今伝えたいのはそこの大切さです。

チキンなら、チキンなりにできることから

です。
その先の「どうやったら臆病じゃなくなるか」、
そういう話は、そういう話が得意な人にお任せます。

僕は、僕のメッセージを伝えます。
自分を大きく変えようとするその前に、

「いま、ここで、できること」

略して「IKD」(笑)を大切にしたらいいんじゃないでしょうか。

 

 

 

他に伝えたかったこと・・・

というか、「残しておきたい」と思ったメッセージはたくさんあります。
優柔不断だから、とても絞り切れなくて。
なので、過去の記事読み返してみて、
今の自分から見て響いた記事のリンクをいくつか貼っておきます↓

 

『life is beautiful』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=4309

『止まり続けていたら、苦しくなるのは自分です ~6月7日の講演を終えて~』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=3916

『決して折れない輝く木』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=3666

『シンクロニシティ ~奇跡へと通じる扉は、すでに開いて待っている~』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=3276

『「正しい選択をする努力」から、「選んだ選択を正しくする努力」へ』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=2062

『4月2日、フォーツーの日に想う・・・』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=3062

『後ろから照らせる光に。』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=3017

『悼む人 ~死生観と、「悼む」と「痛む」のちがいについて~』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=2371

『42日間の旅を終えて・・・』
http://eijipress.co.jp/chicken/?page_id=1862

『「世の中」の意味 ~人を率いる前にすべきこと~』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=1444

 

他にもあるのですが、ちょうど10個になったのでこの辺で・・・
よかったら適当に遡りながら読んでみて下さい。

 

 

 

さて、一個前の記事でも書きましたが、
最後の記事までに、書けたら書こうと思っていたことがありました。

このブログ、そしてあの旅を始めた、
本当の本当の理由についてです。

10月中、ずっとどうしようか悩んでいました。

「伝えられることを、伝えられるうちに」

がモットーなんだから、やっぱり書くべきかな・・・と。

 

ですが、どうしてもダメでした。
ごめんなさい。
今の僕には、文章として残すには少し早いようです。
まだ「伝えられること」にはなっていないようです。
どうなったら書けるのか、その条件は分からないけど、
そう遠くないいつか、書けると思います。

代わりに、ひとつの詩を。
僕がとても大切にしている一つの詩を、
友人から引用させてもらいます。

 

1013hPa

立ち上がること
自立するということ
自らの力で 両の足で
大地をしっかりと踏み締めて立ち上がること

この世界に生を受け
まっさらで 無垢な 子供だった頃
まだ足元も覚束ず
一人で立ち上がるのもやっとだった頃

この地上の大気圧が
双肩に 両足に
重く おもく のしかかってきたが
10トンを超える空気の重さと
地球の中心に私たちを引きつけようとする重力をも
はねのけて 立ち上がったとき

きっと母は 微笑んだのだろう

・・・

人は生きていく中で
成長していく上で
様々な重荷を抱えていく
様々な重圧がのしかかってくる
様々な荷物を携えていく
大切なものを手にする
大事なものを守り抜いていく

自分の足で 自分の意志で

そのためには確かな力が必要
確かな努力が必要
確かな自信が必要

10トンの重圧に耐えるのがやっとだった
赤子は 今
こんなにも大きくなりました

真っ暗な暗闇が私の目の前を塞いでも
大きな空が私の頭の上に降って来ても
どんな重圧が私の背中に重くのしかかっても
自らの両足で立ち上がる

何度でも
自らの意志で
自らの足で

 

嫌なことを我慢したり、
辛いことに耐えたり、
何かに向かって一生懸命だったり、

そんな時じゃなくても、
生きているだけで、
ものすごい大気圧の中で、
人はとても“頑張っている”のだと思います。

どんな人でも、
どんな状態でも、
どんな瞬間でも、

とても、とてもとても、尊いのです。

 

 

 

・・・

 

 

 

この記事が、このブログにおける“最後の言葉”です。

僕の人生における“最後の言葉”は、
もっとずっと先のことかもしれない。
明日なのかもしれない。
もしかしたら、日付をまたぐこともないのかもしれない。

それは、誰にも分かりません。

だから、やっぱり日々残していかないと。
その瞬間その瞬間の一生懸命を。
暫定的な“最後の言葉”を。

その暫定をいつまで越え続けていけるかは分からない。
だからこそ、一つひとつを大切に。

 

 

 

大気圧の下で

最後の言葉の先へ

 

これからも歩み続けていきます

 

 

 

1人の100歩より、100人の1歩ずつ

 

すべての悲しみは消せなくても
ひとつの希望はつくれるかもしれない
生まれたひとつの希望は
次の希望を生むかもしれない

 

すべては小さな“1”の積み重ね

 

伝えられることを、伝えられるうちに

 

ご愛読、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(こっそり・・・) 

暫定的な“最後の言葉”の、暫定的な“その先”↓
http://i-am-still-one.seesaa.net/article/379304014.html

読者の皆様にお知らせ

10月ですね。

数日前の9月30日、2年前のこの日に、このブログのきっかけとなった「42日間、分かち合い(フォーツー)の旅」を終えたのでした。

 

 

その節目の日にお伝えしようと思っていながら、書けずにいたことを今日お伝えしようと思います。

 

こちらのブログ、更新を終えようと思っております。

 

一番大きな理由は、このブログを作成し、協賛してくださっていた英治出版にて、8月から僕自身が働き始めたからです。
訳あってパートタイムの立場での志願で、今は週3~4日くらいのペースで働いています。

会社の一員となったからには、やはりその会社に協賛してもらう・・・というのはなんだか変な気がして。

「誰かの夢を応援すると、自分の夢が前進する」

この理念を掲げる会社に身を投じたのであれば、今度は僕自身が他の誰かを応援する番。
過去の自分がそうしてもらってきたように。

 

たとえ働き場所としてここを選んでいなかったとしても、「そろそろかな・・・」という気はしていたのです。
ブログタイトルをあの時のままにしていましたが、旅はすでに終わっています。
次のステージに進むためには、どこかで一区切りつけたいな、と思っていました。

 

そんな理由から、旅が終わってちょうど2年のこのタイミングを逃さないことにしたのです。

本当の最後の投稿はこの記事ではなく、また改めてご挨拶させていただきます。
それまでにぽろぽろといくつか記事を書くかもしれません。
とりあえず、今日はご報告まで。

 

書こうと思っていて書けていないこと、たくさんあります。
「連載にする! 」と言いながら途中で辞めているものは数知れず・・・(笑)

そして何より、あの旅を決意した本当の理由を、まだ書いていません。
「書けていない 」と言った方が正しいかもしれません。

そのことは、旅のきっかけになっただけではなく、旅の後も僕の人生を大きく変えた出来事でした。
今も、良くも悪くもその影響を身に纏いながら生きています。

そのことを、最後のご挨拶の前にこのブログで書けるのか・・・

正直、分かりません。
6月7日の母校での講演では、過去から今までを初めて曝け出しました。
少なくとも、その時語れる範囲のものはすべて。
その結果、「語ることに意味があった」と思わせてくれる感想にたくさん出会いました。
伝えることに意味がある・・・とは思っています。
あそこで語ったことで、自分自身前進できた、とも。

ただ、こうやってブログという後々にも残る場所に書き綴る勇気は、すぐには持てません。
語ること自体、僕にとって簡単なことではありません。
少しずつ縫合してきた場所を、もう一度切り開く必要があります。
切り開く痛みと恐怖に向き合う必要があります。

 

なんだか最近、何を語るにも臆病になっていた気がします。

あまり気持ちの良い内容ではなく、どっちかと言うとマイナス思考な内容になってしまいそうな気がしていて。
だけど、今この記事のことを書きながら過去のことを色々思い出して、自分のモットーともう一回向き合いました。

 

伝えられることを、伝えられるうちに

すべては小さな“1”の積み重ね

 

落ちるのも人間の大事な一面。
そうして学ぶこともあれば、そうして身につく優しさもあるのです。

これまでも、明るい話題でなくても「同じ境遇だったので、勇気をもらいました。」というような言葉をかけてくださる方々がいました。

だから、あまり自分の内側に留め過ぎずに、 言葉を選びながらも出していこうかなと思っています。

 

伝え続けることは、僕にとって大事な大事な“1”だったはず。

 

このブログの更新、11月まで続くことはまずありませんが、もう少しだけお付き合いいただけたらと思います。

砂嵐の中で

台風が去ってから、昼は雲も空も清々しく、蒸し暑さも引き、夜は風が気持ちよくて、虫の音がきれいな日が続いています。

読書の秋、食欲の秋・・・

本も食べものも好きな僕には一番良い季節です。

 

望んでいた季節の訪れとは裏腹に、想い通りにならないことも多いです。

ブランク・・・と言ってしまったらとても言い訳臭くなってしまうけど、

取り戻せないものに対してもどかしさを隠せません。

 

「目指す復興は、元に戻る事じゃなくて、前以上になることだ」

 

2011年にこの言葉を聞いた当時はとても力強く感じたけど、

元に戻る事すら遠く感じる今の自分を思うと、少し残酷に響きます。

 

今日はとても嫌な夢を見ました。

ここ数ヶ月はうまく逃れていたものに、また追いつかれてしまってきているような気がします。

追いつかれてしまうのは、自分が進むスピードを緩めているからだと、

自分を責めてみても、スピードを上げる力がまだわいてこない。

「引き離す」とか「追いつかれる」とかいう考え方自体を変えなきゃいけないかもしれませんね。

 

“それ”は、消えることはなく、置き去りにすることもできず、自分の中に留まり続ける。

 

そう考えていた方が気持ちは楽かもしれない。

あり続けるものとの付き合い方を学んだり、影響を弱める受け流し方を学んだり、

そっちの方がとても現実的に思えて。

 

台風のように、完全に去ってしまい、きれいな青空だけが残るようなことはない。

それでいて、台風のように何度でもやってくる。

 

村上春樹の作品『海辺のカフカ』の冒頭で、とても印象的なシーンがあります。

日本語で読む前、いつかの英語の授業で見かけた時から脳裏に焼きついているシーン。

 

ある場合には運命っていうのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている。

 

 

君はそれを避けようと足どりを変える。そうすると、嵐も君にあわせるように足どりを変える。君はもう一度足どりを変える。すると砂嵐もまた同じように足どりを変える。何度でも何度でも、まるで夜明け前に死神と踊る不吉なダンスみたいに、それが繰りかえされる。

 

繰りかえされるのは、“それ”が引き離したり置き去りにできたりする類いのものではないから。

 

なぜかといえば、その嵐はどこか遠くからやってきた無関係ななにかじゃないからだ。そいつはつまり、君自身のことなんだ。君の中にあるなにかなんだ。

 

“それ”は、僕と言う主体が他動詞でコントロールできる客体ではなく、

むしろ主体そのものと同化している。

 

だから君にできることといえば、あきらめてその嵐の中にまっすぐ足を踏みいれ、砂が入らないように目と耳をしっかりふさぎ、一歩一歩とおり抜けていくことだけだ。

 

完全に避けて通ることはもはやできない。

避けることあきらめるのは、逃げの姿勢からくる投げやりではなく、むしろど真ん中を突き進む覚悟。

「置き去りにする」「引き離す」「追いつかれる」という言葉を使っていた時点で、

僕はその覚悟をまだ持てていなかったのかもしれないです。

 

 

 

逃れることのできない砂嵐の中を進むための力は、どこからわいてくるのか。

 

 

 

ある種の人間にとっては、「自分のこと」を考える時間はとても疲れることです。

たびたび訪れる砂嵐は、すなわち自分自身との対峙。

そんな中で、それ以上に自分のことばかり考えることは、
砂嵐の真ん中に留まり、風力で掘られたあり地獄のような穴の中へその身を埋めていくようなもの。

自分の成長、自分の利益、自分の幸福・・・

自分にばかり目を向けているうちは、砂嵐はやまなくて、むしろどんどん強まっていく。

 

目の向け先が「自分」である以上砂嵐を通り抜けることができないのであれば、

通り抜ける力の在処は、自ずと見えてくるはず。

 

「この人のためになりたい」

 

そう思える人に全力を尽くす。

今はそれだけを考えていたい。

始まってもいない企画の「報告書」がいきなり出てきた会議

「ブログ、更新してください!」

 

そんな催促をここ最近何人かにいただいてます。

ありがたいことですm(_ _)m

 

きちんとまとまって書こうとするあまり、

下書き保存に溜めまくって全然公開できてませんでした(笑)

 

久しぶりに少し書こうと思います。

内容は、今日目から鱗が落ちた出来事について。

 

 

 

これから新しい企画を立ち上げる最初の打ち合わせ。

あなたがファシリテーターだったら、

まずは何を準備しますか?

 

ブレスト用紙、今後のスケジュール、役割分担表・・・

 

今日参加した会議は全く違っていました。

配られたのはなんと、

 

企画が成功した後の報告書

 

まだ企画が始まってもいないのに、「報告書」です。

そこには、

企画成功に向けて立てた仮説と、

それを実行した日々(未来)の振り返りと、

成功した後の理想的な姿が書かれていました。

 

よく「ビジョンやゴール像を鮮明に抱け」なんて言うけど、

終わった後の報告書まで出てくるのは初めてでした。

 

このやり方はかなりしびれました。

今後パクらせていただきます(笑)

 

 

 

報告書までは作っていませんでしたが、

今僕がワクワクを描いている企画があります。

 

「カンボジアに映画館をつくろう!」
1周年記念イベント
~この1年の歩み、上映します~

https://www.facebook.com/events/184243635086830/

9月1日(日)16:00~18:00
@シネマート六本木(映画館です)

 

NPO法人格申請中の非営利団体CATiC(Create A Theater in Cambodia)。

 

https://www.facebook.com/t.cambodia

 

こちらの団体が、9月1日に設立1周年を迎えます。

僕はまだ関わり始めて3ケ月なのですが、

今回の1周年記念イベントのリーダーをやらせてもらっています。

 

参加してくださった皆様に特別な時間を届けたいがあまり、

強気で会場として「映画館」を貸し切ってしまいました。

この1ケ月はま~大変でした(笑)

(これから10日間はもっと大変でしょう・・・)

その分、お客さんに良い顔して帰ってもらえるものがようやくできてきたので、

今は大変さ以上にとてもワクワクしています。

 

ゲストスピーカーも素晴らしい3名が決まりました!

こちらのページで順次紹介していきますが↓

https://www.facebook.com/events/184243635086830/

一人目は、カンボジアととても縁の深いフォトジャーナリストの安田菜津紀さんです!

 

http://www.yasudanatsuki.com

 

なんと、あの「情熱大陸」にも出演経験がある方なのです!

http://www.youtube.com/watch?v=frO-blbUbQQ

 

日本で見るカンボジアの写真って

子どもがゴミ山でゴミを拾ってて

すごい悲しそうな表情をしていて

 

だけど、私が言いたいのは

「そうじゃないんだよ」

っていうところの写真が撮りたいんですよ

こっちにも伝わってくるような

幸せそうな表情をするんだよってことを

私は一番伝えたいんですよ

 

強い想いを持ちながら、

同時にとっても気さくで、

素敵な方です。

 

映画館という特別な場所で、

特別なひと時をお届けします。

ぜひご参加ください!

 

https://www.facebook.com/events/184243635086830/

 

 

 

それと、近々、

僕の近況についてと、

このブログの今後について、

ちょっとご報告があるかもです。

 

追ってご連絡しますm(__)m

 

「自分にしかできないこと」は、「自分にもできること」を積み重ねながら探す。

ひっさしぶりに、風邪っぽい風邪をひいた・・・

咳がゴホゴホ、頭はボワボワ、寒気でガクブル。

8月はほぼ毎日アルコール消毒をしていたのに、なぜ・・・

(それ故か・・・)

 

まっ、止まっている時ではないので、

さっさと治す。

 

 

 

最近いくつかの組織にいて思うのは、

 

「自分にしかできないこと」ってなんだろう?

 

ということ。

7月末から優秀な先輩方と連続で会わせていただき、

「自分もあんな風になりたい!」と思う反面、

「こんなに優秀な人たちがいる中で、自分の存在意義は?」

という問いが続いている。

 

もちろん、あんな人たちが増えることは世の中にとっていいことだけど、

やっぱり自分ならではの、できれば自分にしかできない何かが欲しい。

(矛盾しているようだけど、そういうのが見つかったら他の人でも真似できるところまで落とし込みたい。)

 

でも根本のところで、

何者かになれる自信も、

なれるところまで努力する覚悟も、

まだまだ欠落しているのだと思う。

 

 

 

・・・などと、

体調不良もあいまってマイナス思考なのだけど、

一番やってはいけないことを体験上僕は知っている。

 

上ばかりを目指して、

足下でできることを疎かにすること。

 

「こんな誰にでもできることをやってても意味がない」

と思いながら上を見るだけで足下を疎かにしていると、

「理想だけ高くて何もしていない自分」になる。

それは所属しているコミュニティーに何ももたらさないし、

次第に「自分は何もできていない・・・」という自己嫌悪に繋がる。

 

過去に、そんな非生産的な時間を長く過ごしたことがある。

だから、同じ失敗は繰り返さない。

 

「自分にしかできないこと」も探しつつ、

「自分にもできること」をきちんと積み上げる。

 

「自分にもできること」を「誰にもできないくらい」にやれたらそれも素晴らしいし、

積み重ねた「できること」の上に乗って初めて、

自分にしかできない領域が見えるかもしれない。

 

 

 

なんだか色々焦っているように思える。

だけど、焦って目の前の挑戦に対するパフォーマンスを下げるのが、

結局は遠回りになる気がするんだよね。

 

常に最善の“今”を積み重ねられるように。

 

 

 

そのためにも、早く風邪治って・・・

 

本気で誰かを応援するって、どういうことだろう

8月始めから心揺さぶられた(良い意味で)。

 

「誰かの夢を応援すると、自分の夢が前進する」

 

こう語る、僕がとても応援している人たちがいる。

僕自身、これまでたくさん応援してきてもらった。

そして今日も、僕の夢にとって本当にためになることを、

自分たちの損得勘定でなしに考えてくださった。

その中で、強く思ったこと、

 

人を本気で応援するって、どういうことだろう

 

 

 

今自分の中の大きなテーマが、

 

「応援したい人を応援できる人になる」

 

たくさんの社会問題があって、僕自身はどれかに絞ることがなかなかできなくて、

でも、どの問題にも無関心ではいられなくて。

だから、色んな分野に携わる方々の後押しができたらって思う。

具体的には、今はファンドレイジングの専門家になることに一番心ひかれてる。

その理由は以前の記事にたっぷり書いた。

わからない、もしかしたら将来的にもっとぴたっとくる道が見えるかもしれない。

だけど、その瞬間に心が動いてるものにその都度全力になることが大事だと思うから、

今は心のままにこの道を進んでみたい。

ただ、どの道をいくとしても、

 

「応援したい人を応援できる人になる」

 

この人物像はそう簡単には外れなさそう。

だからこそ思う。

 

本気で誰かを応援するって、どういうことだろう

 

今月からの挑戦は、それを追求する旅なのかもしれない。

 

 

 

今オファー中のことが通れば、まずはそこで目一杯やってみること。

リーダーをやらせてもらってる企画では、

「一番の財産は“人”です」を言葉だけで終らせないように、

徹底的にメンバーを大切にすること。

 

実践の中で見つけていきたい。

 

「来年の3月までに・・・」

 

一つの目標が見えたから、まずはそこまで本当に全力で頑張りたい。

 

7月が終わって

「覚悟の7月」と、以前の記事のも書いていた。

終ってみるまでどうなるか分かんねー!

と思っていたけど、悪いことは起こらず終わりを迎えることができた。

よかった・・・

 

7月で自分のリズムを取り戻してきたので、

8月からは思いっきり突っ走りたい。

目標↓

 

■再び収入を得始める

■去年より一回り大きくなった営業マンになる

■9月のイベント設計×2

■カンボジア渡航記書き終える

■本15冊読む

■翻訳を始める

■糸巻き名人になる

■物件探し

■20km(4分台/km)走れる体に戻す

■アイス食べ過ぎない

 

明日から新たな気持ちで頑張りましょう~

 

“壁がないとイヤなんだ。常に追われているくらいが、僕にとってはちょうどいい。”

NPOマネジメントの通信教育がついに始まった。

年末に受ける准認定ファンドレイザーの資格試験に向けて必須の講座。

 

■ミッション・ベースド・マネジメント

■ガバナンス

■中期計画

■ファンドレイジング

■人財開発

■財務・会計

■広報戦略

■非営利組織の評価

■企業の社会貢献とNPO

 

の9つのテーマを学ぶ。

どれもしっかり学びたいけど、

特に関心が高いのは「今自分に求められている分野」

求められるからこそ、越えるべき課題があるからこそ、

特に注力すべき分野が初めて見える。

それが「課題」「壁」の恩恵だと思う。

 

 

 

壁がないとイヤなんだ。

常に追われているくらいが、

僕にとってはちょうどいい。

??『察知力』著:中村俊輔、幻冬舎新書

 

 

 

これから色んな理論や、よそのベストプラクティスを学ぶのだと思う。

だけどもっと大事なのは、それらの理論や成功例は「どういう状況下だったから」うまくいったのかを知ること。

どんな状況にも当てはめられる魔法はないから。

俊輔の言葉を使えば、状況を「察知」する力がなければ部分的な真似ごとをしても効果は薄い。

理論や事例の状況を知ると同時に、欠かせないのが、

 

「自分の現状を直視する力」

 

直視すれば嫌なものも見えてくる。

至らない自分。

不完全な自分。

情けない自分。

だからこそ、人は多くの場合現状の直視から逃げてしまう。

 

でも、それはただの保身で。

 

成し遂げたいことよりも、我が身可愛さが上回ってしまっている。

本当にもったいないことなんだと思う。

 

 

 

足りないものがわかれば、それを埋めることを考えればいい。

何も分からないよりは、よっぽど素晴らしい。

??『察知力』著:中村俊輔、幻冬舎新書

 

 

 

「至らない自分」は恥ではない。

「至らなさから目をそらす自分」を恥じたい。

 

直視する勇気を忘れず、

学ぶスピードを上げる。

学んだことを使うスピードを上げる。

使った結果の反省のスピードを上げる。

 

待ってくれない現状、追ってくれる壁があるからこそ、

走っていける気がする。

 

再出発の日に。 ~人生は転ぶものだから、立ち上がり続ける。~

7月24日。

この日ともう一度対峙するためにこの一年間必死でもがいてきた、と言っても過言じゃない。

 

今年のこの日を「再出発の日」にすると誓ってきた。

その想いを胸に、どれだけ努力してきたか。

 

止まりたくないのに動けないもどかしさをずっと抱えてきた。

言い訳を抱えながら生きている気がしてずっと苦しかった。

少しずつ登ってきて、今日まだ滑り落ちるかもしれないと、ずっと怖かった。

 

だけど、やっと進めそう。

 

「時間が経てば立ち直れる時が来る」

そんな綺麗ごとは僕には言えなさそう。

待っているだけだったらダメだったと思うから。

僕がやったのは、待つことではなく、「必ず立ち直る」と強く決意することだった。

うまくいく保証なんてないし、やり方だって分からなかったし、不安だらけだった。

でもとにかく、先に「必ずどうにかする」と、無理矢理にでも固く決意した。

そして、その瞬間その瞬間の自分にできる“1”をひたすら積み重ねてきた。

できることが極端に減ってしまった中でも、「それでも今できる“1”はなんだ」と常に自問してきた。

ただ止まって待っていたら、今日この日、今の自分はなかったと断言できる。

一ミリずつでも、体を引きずってでも進んできたことが今に繋がったと。

 

この1年間、必死でもがいて、色んなものを犠牲にして学んだこと。

それは「立ち上がり方」。

人生に転ばない方法はない。

何かをしようとすれば転ぶリスクがあるし、

何もしなくても外圧で転ばされることがある。

人生は転ぶもの。

だから、「決して転ばない」方法なんて探る必要はなくて、

「何度でも立ち上がる」決意が何より大事。

 

スピードを緩めてもいい。

時々止まってもいい。

でも、止まり続けないこと。

 

どんなに周りがサポートしてくれても、最後に1歩足を進めるのは自分自身に他ならない。

誰にも譲れず、誰にもお願いできない、自分自身にしかできない瞬間がある。

そこだけは放棄しちゃいけないんだよね。

そうして自分の力で進めた微々たる1歩を日々自分で認めることで次の1歩に繋げる。

 

進むことは、自分を救うこと。

わずかでも進んでいるという実感がいつか希望に繋がる。

 

とても大切なことを苦しかったこの1年間は教えてくれた。

もう1年前の自分じゃない。

 

 

 

今日から、再出発します。

 

life is beautiful

また一つ歳を重ねました。

 

この1年間は凄まじかった。

めでたい日なので多くは語らないけど、

今日を迎えることが想像できないくらいだった。

 

どんなに苦しくても、

体を引きずってでも進んだ。

 

「止まってもいい」

 

何度も言われたけど、

止まり続けてても何も変わらない。

だから、血を流しながらも進んだ。

 

振り返って、無理して進んでよかったと心から思う。

ようやく、光が見えてきた気がする。

 

この1年間で学んだことは決して忘れない。

 

 

 

誰もが何かしらの重荷を抱えながら生きているということ。

誰の苦しみも唯一無二のもので、誰かと比べることなんてないということ。

「あの人はもっと苦しいから」という我慢があなたを苦しめるということ。

あなたが辛いと思うのなら、強がらずに「辛い」でいいのだということ。

その代わり、誰かが「辛い」と思っているのであれば、その人特有の苦しみだと理解して寄り添うこと。

 

人生はいつ何が起こるか分からないということ。

ゴールからの逆算により荷造りよりも、今からやりたいことを順算してすぐに取りかかること。

一番の後悔は荷造りしている最中に終わること、後悔しないように今すぐ旅に出ること。

情熱さえあれば、足りないものは持っている人から借りられるということ。

 

何かを固く決意した時点で、周囲のあらゆる力が味方してくれること。

自分さえ諦めなければ、必ず助けてくれる人が現れるということ。

人は何かを手にした瞬間に変われるのではなく、決意をした時点で変化は始まっているということ。

 

止まっていて苦しくなるのは自分だということ。

一時停止はよくても、止まり続けないこと。

負けてもいいから、負け続けないこと。

どんなに小さくても、「“いま、ここ”の自分」ができる“1”を探すことだけは諦めないこと。

積み重ねた“1”を、他の誰でもない自分自身が認めてあげること。

 

 

 

アフリカのブルンジで内戦に巻き込まれ、

家族を殺され、国を追われ、

それでも今はNGOで元少年兵の社会復帰に携わる、

トシャという女性がいる。

 

これだけの経験をしながら、

今の彼女はこう言う。

 

 

 

life is so beautiful

 

 

 

「あってよかった」なんて口が裂けても言えない経験はある。

だけど、その後に活きない経験は、自分次第で何一つない。

 

だから、この1年間に味わった経験は何一つ無駄にはしない決意を持つ。

そして、僕も言いたい。

 

 

 

人生は美しい。