難民、貧困、紛争、人身売買…………

世界にある問題はあまりにも多くかつ複雑で、なかなかその本質に近づくことができません。テレビや新聞の報道を観て、自分の無力さにため息をつく、そんなことはないでしょうか?

そんなとき、映画を観てみませんか?

元国連UNHCR 協会事務局長の根本かおるさんは、「UNHCR 難民映画祭」や国連UNHCR 協会の「ヒューマン・シネマ・フェスティバル」に深く関わってこられ、ご自身も大の映画好き。

根本さんのセレクトで「世界の今」を知ることのできる映画を新作・旧作取り揃えてご紹介します。

第15回 『魔女と呼ばれた少女』


アフリカの内戦に疲弊する国で、12歳で誘拐され、少年兵として戦うことを義務づけられた少女コモナ。かつて武装勢力のリーダーに命じられて殺した両親の死を悼むことで、失いかけていた自分を取り戻す人間再生の物語。映像美とベルリン映画祭銀熊賞女優賞受賞の演技力とでご覧あれ。

米アカデミー賞外国語作品賞ノミネート (カナダ代表)

2013年3月9日から劇場公開

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アフリカの暗部を下敷きに、少女の再生の物語を描く

アフリカの紛争や子ども兵士を描いた映画やドキュメンタリーはたくさんありますが、後味がジワリと染みるこの不思議な映画は格別です。

今週末より劇場公開になるカナダ映画『魔女と呼ばれた少女』は、演技経験ゼロの少女の好演が2012年のベルリン映画祭銀熊賞女優賞をもたらし、さらに2013年のアカデミー賞では外国語作品賞部門でカナダ代表になっています。

©2012 Productions KOMONA inc.

武装勢力による殺戮、子どもの誘拐と少年兵、略奪、レイプ、望まない妊娠。

いわゆるアフリカの紛争ものの御多分に漏れず、こうした重いテーマがこの映画にもいっぱい詰まっています。でも、この作品ではこれらは映画のスパイスであって、中核にあるのは、そうした生死の境目をさまよってなお、少女が勇気と意志の力で自分を取り戻し、再生しようという人間のたくましさでしょう。

ドキュメンタリー映画にはない映像美は、この映画に次元の高いテーマ性をもたらすことに貢献しています。

「社会派」というだけではくくれない、映画表現としての芸術性に優れた作品です。

12歳でゲリラ兵にされた少女が、まだ見ぬ我が子に語りかける

舞台は、サハラ以南のアフリカのとある国。

村を襲った武装勢力に12歳で誘拐された少女コモナが、なぜ自分が子ども兵士になったのか、来し方を語る形で展開します。

繊細で余韻ある響きの語りが、凄惨な内容に柔らか味を加え、幻想の世界に誘います。

 

あらすじをたどってみましょう。

コモナは武装勢力が故郷を襲撃した際に、司令官に命じられて両親を殺害したことから、良心の呵責に苛まされています。

過酷な行軍の中、「カラシニコフを親だと思え」と叩き込まれ、ものが必要になれば村を襲って略奪。

コモナは生き残るために、進んで戦場での戦い方を学びます。

©2012 Productions KOMONA inc.

来る日も来る日も銃を持たされ戦闘を繰り返す中、コモナが幻覚作用のある樹液を口にすると自分が殺した両親の亡霊をはじめ数々の亡霊が現れます。

亡霊たちはコモナにとって、「守護神」。その守護神に導かれて政府軍との戦いでコモナだけが生き残ったことで、呪術を使ってゲリラに勝利をもたらす「魔女」としてあがめられるようになるのです。日本で言えば、霊感のある巫女のような存在でしょうか。

敵の銃撃に怯えながら暮らす中、コモナは同じく呪術を操る「マジシャン」と呼ばれる「アルビノ(先天性白皮症)」のゲリラ兵と心を通わせるようになります。

©2012 Productions KOMONA inc.

マジシャンはコモナを誘ってともにゲリラから脱走し、コモナに求婚します。ここから、コモナとマジシャンの「ロードムービー」的な感じに転じてほっとするのもつかの間、2人はゲリラに見つかり、悲劇が襲います。その後、司令官の「妻」として夜の相手をすることを強要され、14歳で身ごもったコモナは、勇気を奮ってある行動に出るのですが……。

困難の中で早熟にならざるを得ない子どもたち

凄惨を極めるゲリラの世界。ですが、少年兵たちが熱狂するカンフーやテレビ番組、マジシャンが好意のしるしとしてコモナにそっと手渡すビスケットなどのモチーフに、わずかながらに残っている人間らしさを感じて救われます。そして、恋人同士の恋のささやきにも。

また、「肉屋」と呼ばれるマジシャンの叔父さんは、脱走してきたマジシャンとコモナを責めることなく無条件に受け入れます。
叔父さんは家族をなたで殺された過去があり、生業のために肉をさばくときには嘔吐してもいいように横にバケツを置いています。

この叔父さんの存在、そして、ラストで見せるコモナの勇気と意志の力は、凄惨なシーンも多いこの作品に、明るいトーンを与えています。

コモナを演じたラシェル・ムワンザは演技経験がなく、撮影が行われたコンゴ民主共和国の首都キンシャサのストリート・チルドレンの一人だったところをスカウトされたと言います。

彼女の大胆不敵でときに少女らしく、時にハッとするほど大人っぽく、かつ挑発するような表情は、天性の女優の資質を感じさせます。

©2012 Productions KOMONA inc.

コンゴ民主共和国は、映画の中でこそ物語の舞台とは明示されてはいませんが、この国では1990年代後半からずっと国内で紛争が続き、90年代半ば以降亡くなった人の合計は600万人にも及ぶと推定されています。
これは、規模で言うとユダヤ人のホロコーストでの犠牲者数に匹敵するものです。

先日行われたこの映画の先行上映会では、コンゴやウガンダで元児童兵士の社会復帰を支援している「テラ・ルネッサンス」の鬼丸昌也さんがゲスト出演し、児童兵士として取られた子どもたちの精神をズタズタにして親元に帰れなくするために、親を殺させるのだという凄惨な風習についても語ってくださいました。そんな惨劇の続く厳しい環境は、否が応でも子どもを早熟にさせてしまうのでしょう。

コンゴでは、少女たちの多くは10代半ばで母親になり、平均寿命は49歳。
平均寿命83歳の日本に置き換えると、コンゴでコモナが兵士にされた12歳は日本の20歳に相当することになります。

キム・グエン監督の独創性

人間の再生がテーマの本作、キム・グエン監督は本作の脚本を書くのに10年かけたといいます。そして、形にとらわれず、今この時だけがすべての現在進行形で撮影するため、俳優たちには撮影前に台本を渡さず、時系列的に撮影していったそうです。

この映画の中で、私が一番度肝を抜かれたシーンは、コモナとマジシャンが脱走して、マジシャンのコモナへの求婚に必要な「白いオンドリ」を探して、アルビノばかりが集められた村に足を踏み入れた場面です。

このシーンと言い、マジシャンの役柄と言い、アフリカでは「悪魔」と見なされ、標的にされがちな「マイノリティ中のマイノリティ」とも言えるアルビノを大胆に登場させるとは、グエン監督はさぞかし独創的な人なんだろうな、と思いながら、マジシャンが白いオンドリを探し当てアルビノたちが祝って踊るシーンを堪能しました。

調べてみると、監督はベトナム人の父とカナダ人の母の間に生まれたそうで、なるほど。よほどマイノリティへの共感がなければこんなシーンはまず考え付かないでしょう。

「私たちは非力であっても無力ではない」というメッセージ

コモナはラスト・シーンで アフリカの希望を背負って未来に向かって一歩を踏み出します。

そこに監督のメッセージを感じます。
「私たちは非力であっても無力ではない」ということを教えてくれる作品になっています。

©2012 Productions KOMONA inc.

今年6月には、5年に一度の「東京国際アフリカ開発会議」(TICAD Ⅴ)が開催され、アフリカ関連の報道も増えるでしょう。

そんなときに、ぜひこの映画で描かれている、紛争や貧困に翻弄されながらもたくましく生きるアフリカの女性たちのパワーについても考えていただければと思います!

 

 


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第14回 『故郷よ』


チェルノブイリ原発事故に運命を翻弄された人々の姿を描く本作は、原発近くの立ち入り規制区域内「ゾーン」で撮影された初の劇映画。それぞれに現実と向かい合う人々の姿が、福島の原発事故からもうすぐ2年が経とうとする日本の私たちの心に突き刺さる。

劇場公開中

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震災から2年、今を生きる私たちへのヒント

もうすぐ、あの東日本大震災から2年になろうとしています。

「もう2年」と考えるか、「まだ2年」と見るか、時間軸の取り方で感じ方も違うでしょう。

ただ、いまだに30万人を超える人々が避難生活を余儀なくされていることを考えると、長期戦への心構えを持たなければいけないのだろうと思います。

私は紛争や迫害という人災を理由に国を追われた難民たちに寄り添って支援活動をしてきましたが、世界的に見て、彼らの避難生活は平均17年にも及びます。

自然災害による避難とを単純比較することはできませんが、慣れない生活を送る人たちにも支援する側にも持久力が大切だと戒められます。

この春公開になる映画『故郷よ』は、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の10年後を舞台に、事故に運命を翻弄させられた人々の苦しみとたくましさ、そしてふるさとへの想いを描きます。

©2011 Les Films du Poissons

いろいろな意味で、見通しの利きにくくなった時代を生きる日本の私たちにとってヒントに富んだフィクションです。

チェルノブイリ原発事故後の現実に向き合う人々

映画のあらすじをご紹介しましょう。

1986年4月26日、チェルノブイリ原発から3キロのプリチャピの町ではアーニャとピョートルの結婚式が行われていました。

まさにその最中、消防士であるピョートルは「山火事の消火活動」という名目で借り出されます。そして、アーニャはピョートルと二度と再会することなく、彼を失うことになってしまいます。

10年後。

「私たちが去ったら誰が過去を語り継ぐの?」という強い気持ちで、アーニャは観光名所となったプリチャピの廃墟の町を案内するガイドとなっていました。

本作は、アーニャのストーリーを軸にしながら、原発事故後の現実とそれぞれに向き合う人々の姿を映し出す群像劇にもなっています。

事故の重大さに良心の呵責に苛まされ、心が壊れてしまったプリチャピの原発技師・アレクセイ。アレクセイは妻と子どもは脱出させたものの自分は任務のために町に留まり、その息子のヴァレリーは生き別れになった父を求めます。

©2011 Les Films du Poissons

そして、事故後も頑なに自宅を離れずにゾーン内に住み続け、汚染された土地を耕し続ける森林管理人ニコライ。

彼らの物語が交錯します。

映画の世界と日本の現実がクロスする

平和だったプリピャチの人々の日常が一変した事故当日の出来事や、危機の真実について何も知らされずに「黒い雨」に身をさらしてしまい、その後避難を余儀なくされた住民たち。

彼らを覆い尽くす不安が、福島の原発事故に翻弄された人々の姿とだぶって見えます。

主役のアーニャを演じるのは、ウクライナ出身の国際派女優のオルガ・キュリレンコ。

©2011 Les Films du Poissons

『007 慰めの報酬』でボンドガールに抜擢されています。キュリレンコ自身がこの映画への出演を強く希望し、オーディションを受けてこの主役の座を射止めました。

キュリレンコのハッとするほどの美しさのおかげで、ガンに蝕まれて髪を失ってもなお、かつらを被って観光客に事故当時の出来事を語り継ぐ未亡人アーニャの痛々しさが薄まり、客観的に見ることができます。

事故から10年が経ち、アーニャは、幼馴染の男性と一緒になってプリチャピに留まるべきか、フランス人技師と再婚してフランスに渡るべきかを悩みます。

「留まるべきか、去るべきか」。その苦悩は、東日本大震災で、日本に暮らす多くの人たちにとっても、現実のものとなりました。

 

監督の使命感から生まれた作品

2012年9月、ミハル・ボガニム監督が来日した際、私は直接監督からお話を伺うことができました。

イスラエルで生まれフランスで育ったボガニム監督。

©KaoruNemoto

「母親のルーツのあるウクライナを襲ったチェルノブイリの悲劇を描かずにはいられなかった」と言います。

「チェルノブイリについて多くのドキュメンタリーがつくられていますが、フィクションのテーマとなることはほとんどありません。

私は事故の説明ではなく、体験した人々の内面を描きたいと思いました。

脚本は、当時プリピャチにいた多くの人々を入念に取材して書きました真実を知らされずに、住み慣れた土地から引きはがされた人々のことを、作品にしなければと使命感に駆り立てられました。

と言うのも、私自身、生まれてから世界各地を転々としており、寄る辺がありません。

アーニャには、故郷と呼べる場所がない私自身の姿も投影させました」

人間の非力さ、自然の強大さも、この映画のメッセージです。

事故の後も生活を変えずに一番たくましく生きているのは、皮肉にも自然とともに生きるニコライです。

「彼の姿を通じて、自然が人間よりも強大だということを浮き彫りにしたかった」とボガニム監督は言います。

チェルノブイリ原発から3キロのプリチャピで撮影

ボガニム監督は観光客としてプリチャピを訪れ、「あの日」から止まったままの観覧車の姿が痛々しい風景を見て、「この現実を映像で伝えたい」と強く思った、と言います。

監督はチェルノブイリ原発からたった3キロのこの地で撮影を敢行しました。

当局から撮影許可を得るために、当局の意向に沿う、ダミーの脚本まで用意したそうです。

ロケ隊のメンバーの不安を和らげるために、研究機関に相談し、綿密なスケジュールもつくったと言います。

©2011 Les Films du Poissons

次は喜劇を?

本作を編集中の監督のもとに、東日本大震災、そして福島の原発事故のニュースが飛び込みました。

「自分の映画と同じような映像が現実になっていることに驚愕した」とボガニム監督は言います。監督は2013年1月に完成したこの映画をもって再来日し、福島で先行上映会を行いました。

「起こったことは悲劇ですが、日本はこの問題についてオープンに話し、対処していると思います。だって、わずか1年足らずで”フクシマ”をテーマにした映画がつくられたのですから。ウクライナでは25年かかったのです」

 

私が「次はどんな作品を?」と聞くと、監督の口を突いて出たのはこんな言葉でした。

「この映画を撮るのは本当に大変でした。次は喜劇にでもしようかしら?!」

 


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第13回 『カラカラ』


カナダ人男性と沖縄在住の日本人の主婦が沖縄を一緒に旅をする。妻・夫・子ども、自分のすぐそばにいる人とはなかなかわかり合えないのに、相手が「異なる者」だからこそ、お互いを知ろう、理解しようとする2人。今年は沖縄をぶらり一人旅してみよう―-。そんな気持ちにさせてくれる、オトナのための、国籍不明の渋いロードムービー。

全国で順次公開中!

公式サイトはこちら

モントリオール世界映画祭ダブル受賞の腕前

またしてもカナダ人ケベック州出身の監督の優しい目線にやられてしまいました。

この映画コラムの連載でカナダのケベック人の監督の作品を取り上げるのは、『ぼくたちのムッシュ・ラザール』、『灼熱の魂』についで3回目になります。何でなんだろう?!

私は決してカナダ政府の回し者ではないですし、監督の国籍を意識して作品をセレクトしているわけではないのに、妙に「波長」が合うのです。

©2012KARAKARA PARTNERS & ZUNO FILMS

カナダ人の元大学教授が沖縄を旅しながら、心の拠り所を求め歩くという映画『カラカラ』のクロード・ガニオン監督は、カナダと日本をベースに活動しています。

日本の良さをこんなにも何気なく引き出して、さらりとかろやかに美しく描けるのは、日本を奥の奥まで知っている人だからこそできたことなのでしょう。

モントリオール世界映画祭で、「世界に開かれた視点賞」と「観客賞」とをダブル受賞しただけの腕前です。日本映画でもなく、カナダ・ケベック映画でもなく、さしずめ「国籍不明」のロードムービーといったところでしょうか。

ふらり沖縄を旅したくなったときの、絶妙なガイドブック

誰しもが持っている戸惑いがあります。

――「気づいてみたら、これまでの人生、からっぽだった」

体裁を繕うために、忙しいふり、重要な仕事をしているふりをしているだけだ……。

©2012KARAKARA PARTNERS & ZUNO FILMS

 

こんなやるせなさは、洋の東西を問わず、万国共通に齢を重ねた人が抱く気持ちなのでしょう。

普段はこんな迷いをだましながら日々を送っていても、根源的な問題に愚直に向き合ってしまうことが、たまにあるでしょう。

思いもよらない人との出会いだったり、旅だったり。何かが引き金を引いて、素直に向き合えるようになる。

『カラカラ』の主人公、カナダ人で元大学教授のピエールは、気功のワークショップの合宿で沖縄を訪れ、1週間、一人で沖縄を旅するつもりでした。

それが、東京から移住してきた主婦の純子に通訳として助けてもらったことをきっかけに、2人は急接近。純子は夫の家庭内暴力を理由にプチ家出し、ピエールの旅に同行することになるのです。

国籍、年齢、性別、経歴とも異質な2人は、時に価値観が真っ向からぶつかり合ったり、時に素直になったりと、不思議なプロセスをたどりながら、お互いへの理解が深まっていきます。

そして、2人は、あまりお互いを知らない間柄だからこそ、旅先で、心地よく心を解放し、相手に、愚直な人生への問いかけに悩む自分の姿をさらすのです。

©2012KARAKARA PARTNERS & ZUNO FILMS

 

映画では、北米でもカナダ出身のピエールには理解できない、沖縄をすみずみまで浸食している米軍基地の問題や、人間国宝・平良敏子さんらによって昔ながらの方法で作られている芭蕉布、三線の音と琉球の音階、泡盛の宴と泡盛を入れる「カラカラ」と呼ばれる陶器のとっくりなど、沖縄のスケッチが絶妙の間合いで、押しつけがましさなく、さりげなく描き込まれます。

そう、あくまでも、さらりと。

どう受け止めるかの判断はすべて観客に委ねて。

すがすがしい映像美もあり、きままな一人旅向けのガイドブックのようです。

健やかに年を重ねる、ということ

ピエールは、沖縄に心穏やかに年を重ねることを求め、夫のDVに怯え苦しみながら暮らす純子は、自分らしく生きることを模索します。

旅先の島で純子は友人・明美の祖母「めかるおばあ」を訪ね、おばあの「後ろは向かないで前に進む」という言葉に感銘を受けます。

そして、ピエールは芭蕉布の工房で、柔軟な動きと、絶え間のない反復作業、そして自然と調和したリズムに引き込まれます。芭蕉布づくりを志そうとするピエールに、人間国宝として知られる熟練の織り職人の平良敏子さんは、こう語ります。

――人生、やり直すのに遅すぎることはないし、自分が行動を起こすのに遅すぎることはない。

2人のおばあちゃんの言葉は、不確かな時代を生きる私たちに勇気を与えてくれるものです。

国際派女優、工藤夕貴

この映画で、とても嬉しい発見がありました。工藤夕貴さんが世界を舞台に活躍する女優さんに立派に成長していた、ということです。

純子役を演じた工藤さんは、1989年にジム・ジャームッシュ監督のインディーズ映画『ミステリー・トレイン』に出演した頃から「気になる女優」になっていました。

日本映画はもちろん、『SAYURI』などのハリウッド映画にも出演し、国際派の道を確実に歩んでいましたが、本作では、夫からの暴力で自分を見失っている純子の微妙な心の揺れを見事に演じています。

©2012KARAKARA PARTNERS & ZUNO FILMS

ピエールと出会い、少しずつ自分を取り戻していくプロセスを、ちょっとした表情、目線で、さりげなく自然に見せてくれます。

 

工藤さんの公式ウェブサイトでは、モントリオール世界映画祭での舞台挨拶などの映像が見られますが、堂々と、ユーモアを交えながら英語で直接語りかける姿は、頼もしい限りです。

どんどん国際的に活躍して、国境を越えた普遍的なテーマについて発信してほしいと思わせる秀作です。


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第12回 『人生、ここにあり!』


やればできる! 障害もこれ、個性。精神障害を持つ人たちが施設を出て社会でのびのびと自己実現し、これを受け止める懐の深さとおおらかさが社会にほしい。

1月27日(日)「アムネスティ・フィルム・フェスティバル2013」上映作品

『人生、ここにあり!』公式ホームページ

DVD(Happinet/配給:エスパース・サロウ、提供:新日本映画社)

障害も個性のひとつ

「アール・ブリュット」というアートのジャンルがあります。

日本語で「生の芸術」を意味するこのことばは、主に伝統的な芸術訓練を受けていない知的障害・精神障害を持つ人々が創作した、既存の芸術の枠にとらわれないアートのことを指します。

かつて、私はパリで日本のアール・ブリュットを紹介する展示会に行ったことがありますが、おびただしい数の「反復」やまるで縄文土器のような「荒々しい野太さ」がとても印象的で、「強烈な個性だ!」と衝撃を受けました。

障害をひとつの個性、特質として逆手にとって、他の人が持ち得ない強みにしているとも感じました。

精神障害者が社会に出る!

この「アール・ブリュット」をあるイタリア映画の中で見付けました。

『人生、ここにあり!』は、精神病院を廃絶する「バザリア法」が1978年に制定されたイタリアを舞台に、精神病院から追い出された「元患者」たちが、一般社会に溶け込んで暮らす、という社会的実験が行われた時代の実話をもとにした人間賛歌です。

舞台は1983年、ミラノ。

主人公の労働組合活動家のネッロはその革新的な考え方ゆえに労働組合から疎まれ、精神病院から追い出された元患者たちでつくる「協同組合」に左遷されてしまいます。

精神病の知識などないネッロでしたが、元患者たちに人間として向き合い、新たな事業を立ち上げるために奮闘します。

病院を出て自由な社会生活を送るどころか、毎日を無気力に過ごしていた元患者たち。彼らがやっているのは、「仕事」とは名ばかりの、「切手貼り」という市からお情けで与えられた「慈善事業」でした。

持ち前の熱血ぶりを発揮せずにいられないネッロは、彼らに「施し」ではなく、「自ら働いてお金を稼ぐこと」を持ち掛け、床板張りの仕事をすることを決めます。

©2008 RIZZOLI FILM

元患者たちはネッロの自宅の床を練習台にして、次第に床板張りの技術を身に付けていきますが、「自立」には程遠い日々。そんなある日、仕事現場で材料の板が足りなくなり、苦肉の策で廃材を使って仕上げたところ、それが大評判になるのです。

これこそ、「アール・ブリュット」!

精神疾患の「弱み」を「強み」にし、これをきっかけに彼らの仕事は180度転換します。

現実社会の反面教師

映画には、社会の枠にとらわれない個性の持ち主のオンパレードです。

 

すぐにキレて、暴力を振るう男。

ガラス細工のように繊細な心の持ち主の青年。

「仲間に溶け込みたい」とは思っても言葉を発することさえできない自閉症の若者。

「彼氏が100人いる」という妄想を持った女。

「UFOが年金を支給してくれる」と信じている男。

几帳面で細かく、人を管理することが大好きな男。

レース・サーキットでの仕事で事故を見過ぎてスピード恐怖症になってしまった男。

©2008 RIZZOLI FILM

ネッロは辛抱強くそんな一人ひとりと信頼関係を築き、それぞれの長所を見て、仕事を適材適所で割り振っていきます。

こんな「ポジティブ・シンカー」が職場にいれば、どんなチームも前向きに成果を出せるような気がします。

 

精神病とその治療をめぐる問題も描き込まれています。

たとえば、「安易な薬漬け」による無気力や様々な障害。

「試行錯誤をおおらかに受け止めてくれる環境」がないこと。

さらには、納期と納期に間に合わなかった時の違約金に追われる「市場の論理」。

そして、精神病患者に対する社会の偏見や無理解。

同質ではない者に対する、社会の無言の圧力。そんな重い現実も、イタリア流のユーモアで笑わせながら見せてくれます。

©2008 RIZZOLI FILM

バザリア法という法律ができて、その結果、元患者たちは社会に出ることを余儀なくされたと言うのに、仕事のクライアントたちに敬遠されることを恐れ、「元精神病患者」ということを隠してビジネスをしているのです。

そんな建前と本音も正直に描いているのが何ともイタリア映画らしくて、憎めません!

 

お金を自分で稼ぎ、薬の量を少しずつ減らしていったことで、元患者たちはセックスにも目覚め、「人を好きになりたい」「物を買いたい」という人間らしい欲求もようやく生まれてきます。

それは、決してハッピーなことばかりではありません。

それでも、イタリアでは、現在では2500の社会連帯組合が存在し、3万人の精神障害者を雇い、人々に雇用と社会の中の役割を提供し続けているのです。

©2008 RIZZOLI FILM

障害者の権利のための国際的な取り決めも

目を世界に転じると、「障害者権利条約」という、あらゆる障害(身体障害、知的障害、精神障害など)を持つ人の人権と尊厳に関する国際的な取り決めが2006年に国連で採択され、2008年に発効しました。

日本は2007年に署名はしていますが、残念ながら、いまだ国会で批准していません。

平たく言えば、この条約が目指すのは、「障害を持つ人を排除しない、平等な社会」。

ユニバーサルデザインなどの「合理的な配慮」を義務づけ、実質的な機会の均等をはかります。そして、基本は、障害者の自律と選択の自由。とかく障壁を放置し、格差をつくり、障害者を隔離しがちな日本の体質からすると、「目からウロコ」的な部分もあるかもしれません。

日本では障害者を「保護」するという上から目線になりがちで、障害者の「権利」からの発想が弱い、という部分もあるでしょう。

難民キャンプをユニバーサルデザインに!

私がUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で勤務していたとき、この条約ができたことで、障害を持った難民の人たちが使いやすい「ユニバーサルデザインの難民キャンプ」や援助の在り方について議論がされるようになりました。

オフィスでその議論を牽引していたのは、自分自身も事故で片腕・片脚を失ったことで、障害者のニーズが痛いほどわかっているトルコ人の同僚でした。

彼女は、出身国のトルコが、障害者に対してやさしい国になるようにと願い、その後、UNHCRを辞め、トルコの国会議員選挙に出馬し、今は議員として障害者のために奔走中です。

上映はフィルムフェスティバルで

『人生、ここにあり!』は、DVDのほか、人権をテーマに開かれる「アムネスティ・フィルム・フェスティバル」で、2013年1月27日(日)に上映されます。

上映前には、『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』(岩波書店)などの著書を持つジャーナリストの大熊一夫さんのトークがあり、障害者の置かれた現状について聞いた上でご覧いただけるので、より理解が深まることでしょう!


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第11回 『ジプシー・キャラバン』


ルーツにジプシー音楽を持つ、4つの国の5つのバンド、総勢35名の一行が、6週間かけて北米の都市を廻る「 ジプシー・キャラバン 」が催された。それは音楽のうねりを通じてロマ/ジプシーへの理解を深めるだけでなく、彼ら自身がわかり合うための旅でもあった。

1月26日(土)2013年 アムネスティ映画祭上映作品
映画祭ウェブページ
『ジプシー・キャラバン』公式ホームページ

流浪の民・ロマに与えられた、音楽という贈り物

昨年の最終回では、オーケストラでの演奏を通じて貧困と暴力から子どもや若者を救う、ベネズエラの「スラム・シンフォニー」を描いた『魂の教育 エル・システマ』を取り上げました。

今年はじめの回も、別の面から音楽のちからを教えてくれるロードムービー『ジプシー・キャラバン』をご紹介します!

彼らの音楽は、情熱的でかつどこか物悲しい響きが印象的です。

サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」、リストの「ハンガリー狂詩曲」、ブラームスの「ハンガリー舞曲」などにも取り入れられ、

ヨーロッパの音楽に大きな影響力を及ぼしてきました。「ジプシー・キングス」というフランスのバンドが一世を風靡したこともあります。

祖国と権力も持たないロマが生きるために与えられたのは、音楽だったと言えるかもしれません。

民族の誇りを届けることで、一体感が生まれる

日本では「ジプシー」と言った方が一般的にわかりやすいかもしれません。

「さすらう人」という意味で音楽やファッションなどで用いられることがありますが、これはヨーロッパでは差別語と捉えられ、民族を指すときには「ロマ」とするのが一般的です。

ロマにとって、音楽がどれほど心の拠り所になっているかを見事に描いている音楽ドキュメンタリーが、この『ジプシー・キャラバン』です。

インドのラジャスタン、旧ユーゴスラビアのマケドニア、東ヨーロッパのルーマニア、そしてスペインの4ヵ国の5つのバンド・総勢35名のロマのアーチストたちが、6週間かけてアメリカ・カナダをまわったツアーに密着。

ツアーのステージの熱気と、初めて出会ったミュージシャン同士の親しげなオフ・ステージの交流を伝えると同時に、それぞれの音楽が生まれた土地を訪ねてルーツを探るドキュメンタリー映画です。

ステージを観るよりも、ドライブ感をもって、彼らの姿を立体的に捉えられるかもしれません。

旧くはインドのラジャスタンから流れ着いてきたとされ、中央・東ヨーロッパを中心に1000万人規模にもなると推定される流浪の民・ロマ。

同じロマとは言っても、東はインド、西はスペインと大きく幅があり、ツアー開始直後は彼らの間にはどこかぎこちなさが見られました。でも、満席の観客たちに民族の誇りを届け、共鳴し合ううちに、ミュージシャン同士での「一体感」が生まれていくのです。

「ロマのふるさと」のバンドが心の拠り所に

インドのラジャスタン出身で、バンド名の「マハラジャ」のような衣装に身を包んだアーチストたちは、他のバンドがヨーロッパ出身という中にあって、最初はやや「異質」でした。

彼らのような楽士や踊り手はインドのカースト社会では最下層のカーストにあたり、「業」のようなものに縛られながら音楽を生業にしています。

「なぜロマの肌は浅黒いの?」という問いかけに、「私たちは太陽が降り注ぐ国から生まれてきた。だから黒いのよ」と答えるシーンが映画にあります。

他のミュージシャンたちから「ロマ民族のふるさと」出身の彼らに寄せる尊敬と共感は目を見張るものがあり、彼らの存在は次第に皆にとって心の拠り所になっていきます。

ツアーの日を追うごとに、お互いに影響し合い、東から西へと連なる音楽を観客に届けるようになります。ロマの音楽は、移動によってその土地の音楽を吸収しながら独自のものを作り上げていったといいますが、彼らの歌、踊りには根底に同じ血が流れていることがよく伝わってきます。

(マハラジャの演奏はこちらからどうぞ)

魂の叫びこそが、パワーの源泉

どのグループも、こぶしのきいた、魂の叫びのような「声」が圧倒的な存在感を持ちます。

迫害と差別こそが、彼らが奏でる音楽のパワーの源泉なのかもしれません。

この映画の原題は『When the Road Bends』。
映画の冒頭で紹介されるロマのことわざ=「曲がりくねった道は、まっすぐには歩けない(You cannot walk straight when the road bends)」にちなんだものです。

差別され、迫害され、まっすぐには歩けない道。

この映画『ジプシー・キャラバン』は曲がりくねった道をわずかでもまっすぐ歩き続けようとした人たちの物語です。とてつもなく大きな悲しみを音楽で吹き飛ばしてしまうエネルギーが映像の隅々にまであふれています。

ああ、音楽ってすごいな、踊りってすごいな、と思うのです。
人々を絶望の淵からこうやって救うことができるのだ、と。

2005年からの「ロマの包摂のための10年」

それにしても。ロマほど、文化的影響力と社会的地位とに大きなギャップがある民族はあまりないのではないでしょうか?

ヨーロッパに行くと、ロマ、いわゆるジプシーの人たちの存在がぐっと迫って見えてきます。

西ヨーロッパの大都会では繁華街で物乞いをする、肌の浅黒い人たちが目につき、強制立ち退きや強制送還される事件が後を絶ちません。

歴史的に差別の対象だったロマの人々をナチス・ドイツが数十万人の単位で虐殺したことも、ユダヤ人のホロコーストに比べて圧倒的に知られていません。

 

私は1999年のコソボ紛争後に、2年間、国連職員としてコソボに駐在していました。

この地でもロマの人々は「セルビア人たちの手先として、アルバニア人への虐待に手を貸した奴ら」として、アルバニア人たちから「復讐」され、虐げられていました。

自身が権力を持たないため、権力者にすり寄るしか生き残る術を持たなかったロマの人々の悲哀に触れる日々でした。

こうした現実を踏まえ、ヨーロッパでは、2005年から2015年までを「ロマの包摂のための10年」と位置付けて、社会の底辺に追いやられがちなロマの人たちを社会に統合しよう、という動きが高まっています。

ロマの人々を対象にした支援プロジェクトには、音楽などの芸術を通じてエンパワーメントにつなげようというものが多く見られます。

「アムネスティ・フィルム・フェスティバル」でご覧あれ!

ロマの人たちへの理解が、音楽の力を借りて日本でもっと深まればいいな、というのが、ロマの人たちに寄り添って支援した私の願いです。


本作は2006年の映画ですが、2008年に日本で劇場公開されたときにはロングランになりました。

音楽を通して人間が生きることの悲しみと喜びをつづったこのロードムービーには、ロマの音楽に魅せられたジョニー・デップも登場します。
この『ジプシー・キャラバン』、都内で開催される「アムネスティ・フィルム・フェスティバル2013」で1月26日(土)に上映され、再びスクリーンで見るチャンスができました。

人権をテーマしたこの映画祭は今年で4回目を迎え、『ジプシー・キャラバン』をはじめ、力作7作品が上映されます。

映画を通して、世界で何が起きているのか、差別とは、尊厳とは、生命とは何かなど、さまざまな角度から人権について考えるのに絶好の機会です!

どうぞ足をお運びください。


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第10回『魂の教室 エル・システマ~音楽は世界を変える~』


原題『A Slum Symphony』が示すように、スラムに暮らす貧困層の子どもたちで作るシンフォニーがベネズエラにある。「音楽のおかげで、麻薬や暴力などで道を踏み外さずにいられる」と語る子どもたちに、音楽のチカラを感じずにはいられない。

DVD

新進気鋭の指揮者・ドゥダメルを輩出

最近、気になる若手指揮者に、ベネズエラ出身のグスターボ・ドゥダメルがいます。

先日、彼がベルリン・フィルを振っていたコンサートがテレビで放送され、伝統的に重厚なベルリン・フィルの音色に軽やかさと若さが吹き込まれ、「指揮者でこんなにも変わるものなのか」と魅かれたのです。

発売元:アイ・ヴィー・シー 価格:2940円(税込)

調べてみると、指揮のあいだ笑みを絶やさないドゥダメルは、ベネズエラで1975年に発足した青少年のための音楽教育制度「エル・システマ」で学んだことがわかりました。

「この『エル・システマ』って、何?」とどんどん調べるうちに行き当たったのが、この活動を描いた『魂の教室 エル・システマ~音楽は世界を変える~』(日本語版DVD)。

発売元:アイ・ヴィー・シー 価格:2940円(税込)

原題は、『A Slum Symphony』、5年の歳月をかけて、エル・システマで音楽を心の拠り所として学ぶスラムの子どもたちの姿を追ったイタリアのドキュメンタリー作品で、日本では過去にNHK「BS世界のドキュメンタリー」で放送されています。

目標は「音楽で子どもたちを貧困と犯罪から救う」こと

カメラは、掘立小屋が斜面を覆い尽くす、夜のスラムを映し出します。

Tシャツ姿や野球帽をかぶった男たちは銃を持ち、躊躇することなくパンパンと撃ちまくります。

スラムの曲がりくねった道は一度迷い込んだら二度と出てこられない迷路のようで、そのあちこちでは通りがかりの人々が恐喝されています。

発売元:アイ・ヴィー・シー 価格:2940円(税込)

こうした緊張感に日々さらされている子どもたちは、どんな風に育ってしまうのでしょうか?

非衛生きわまりない生活環境と蟻地獄のような貧困のスパイラル、道を踏みはずすのにこれほど適した場所はそうないでしょう。

こうした中、エル・システマの目指すゴールは、ずばり「音楽で子どもたちを貧困と犯罪から救う」こと。

「オーケストラでの合奏を通じて、生きる目的や喜び、協調性を育み、若者の人材育成を進めよう」というエル・システマの取り組みには、30年間で100万人の子どもたちが参加しています。

発売元:アイ・ヴィー・シー 価格:2940円(税込)

無料で音楽を習え、楽器も借りられるとあって、通ってくる子どもたちのうち3分の2は、貧困地域や孤児院からやってくるそうです。

「エル・システマ」は国内の音楽愛好家や教育機関、果ては長年ベルリン・フィルを振った指揮者のクラウディオ・アバドら、世界的に著名な音楽家らの賛同と支援を受けて発展し、国境を越えて25以上の国々に拡がっています。

日本にも今年「エル・システマジャパン」が設立され、音楽を通じて子どもたちに自己実現の機会を提供しています。

現在の活動の中心は、原発事故で生活がおびやかされた福島県相馬地域の子どもたちを対象にした「相馬子どもオーケストラ」です。

チェロで苦しみや悲しみを忘れられた

音楽は音を楽しむもの、美しいもの、そして心を安らかにしてくれるものです。

暴力が横行する環境では余計にそうでしょう。

映画『エル・システマ』に登場するホナタンは、家族が麻薬中毒になり、兄は何度も銃で襲われ、左足を切断しなければなりませんでした。

ホナタンは、こうした八方ふさがりの状況に「自分は音楽に助けられた。チェロのおかげで苦しみや悲しみを忘れることができた」と語り、愛おしそうにチェロを撫でます。

家族の暮らしを助けるために軍に志願したホナタンは「もっとチェロを極めたい」と休みを取ってはオーケストラの練習に出て、どこに行っても寸暇を惜しんで楽譜を読み込みます。

やがて軍を除隊し、ベネズエラの首都カラカスの音楽学校に進み、「エル・システマ」の子どもたちにチェロを教えることで、自分を救ってくれた音楽に恩返しをしています。

生き生きと演奏する子どもたち

どん底を見た子どもたちは強いなあ、と思わされたのが、アバドという世界的な指揮者が見学に来てレッスンを受けるときにも、子どもたちは全く委縮せず、その顔は音楽を奏でる歓びに満ち溢れていることです。

「音楽って楽しい!」「このオーケストラで演奏できて、幸せ!」と顔が輝いているのです。

「エル・システマ」切っての精鋭グループ「シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ」は、アバド、ラトル、バレンボイム、アルゲリッチなどの巨匠たちから絶賛され、彼らが指導役を買って出ています。

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ほめて育てることで伸びる才能

こうしたいきいきとした子どもたちの様子は、エル・システマの「ほめて育てる」という姿勢が影響しているのかもしれません。

ストーリーの中でも、古巣でタクトを取るドゥダメルが、バラバラな演奏に対して決して眉をひそめることなく、「もっと闘牛士みたいに勇ましくやってみようか」とジェスチャーを交えて、笑みを絶やさず指導しているのが印象的でした。

指導する音楽家たちは皆エル・システマを地域の暴力から隔絶された「サンクチュアリー」として保とうと、子どもたちに愛を傾けます。

音楽だけにとどまらず、子ども一人ひとりの家庭環境にも目配りしながら指導するのには感服します。先生たちの献身に支えられたエル・システマは、先日NHKの「地球イチバン」という番組でも「33万人が参加する、地球でイチバン大きなオーケストラ教室」として取り上げられ、音楽の可能性を教えてくれました(2012年10月18日放送回)。

南米流の「年越しコンサート」も

YouTubeでは、エル・システマから育った「シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ」の大みそかコンサートの模様が見られます。

レオナード・バーンスタインの「マンボ!」を、途中で立ち上がったり体を揺らしたりの振りを付けて演じ、観客も大興奮。クラシックがこんなに楽しくなるなんて!

第九もいいですが、聴くだけでウキウキし、オーケストラと観客が一体になる南米・ベネズエラ流の大みそかコンサート。

映画とともにどうぞお楽しみください!


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第9回『ホワイトナイツ/白夜』


東西冷戦時代、「亡命者」は体制に泥を塗った非国民であり、相手側体制にとってはプロパガンダの道具だった。家族や愛する人への迷惑にもかかわらず、祖国を棄てたダンサーが求めた「自由」とは?

*DVD(ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント)

バレエ公演花盛りの今だからこそ、ぜひこの映画を

バレエにまつわる映画を2回連続して取り上げます。

Copyright © 1985 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

 

私は、2012年秋から2013年春にかけてのバレエ・シーズンに、新国立バレエ団のシーズン・チケットを買ってしまったほどのバレエ好きです。

取材がうまく行かなかったり、締め切りを目前にカリカリしていたりしても、劇場でバレエの舞台がはじまると嫌なこともすっと忘れられ、夢の世界に吸い込まれていきます。忙しい現世を忘れたい人が世の中には多いのか、バレエ公演はどれも活況を呈しています。

もう少しバレエ・カンパニーの成り立ちや、バレエ・ダンサーという種族のことを知った上で舞台を鑑賞しようと思い、手にしたのが、東京バレエ団の設立者の佐々木忠次氏の『闘うバレエ』(文春文庫)。文庫本なので、手軽に読めます。

 

その中で、今振り返ると亡命直前だったミハイル・バリシニコフが来日公演を行っていた際に、佐々木氏と意味深な話をしていたことが明らかにされています。

この一節を読んで、バリシニコフのダンスが素晴らしい亡命劇『ホワイトナイツ』のDVDをまた見てしまいました。

冷戦下のアメリカでつくられた、「社会派ダンス映画」

ストーリーはと言うと、自身がソ連を棄ててアメリカに亡命した経験の持ち主のバリシニコフがソ連を亡命したバレエ・ダンサー、ニコライを演じます。

ロンドンから日本に向かう飛行機がシベリアに不時着したことで、ニコライは不本意にも「帰国」してしまい、KGBに見つかってしまいます。

彼の帰国をプロパガンダに使おうとしたKGBはニコライがかつて所属したレニングラード(現・サンクトペテルブルグ)のキーロフ・バレエ団(現・マイリンスキー・バレエ団)のシーズンのオープニングで踊らせようとします。

 

ニコライが脱走しないようにお目付け役に任命されたのは、ハインズ演ずるアメリカ人亡命者のレイモンド。

アフリカ系である彼は故郷アメリカで人種差別に苦しみ、ベトナム戦争に出征して大義なき争いに幻滅してソ連に亡命したタップ・ダンサーです。亡命した当初は、ソ連側のプロパガンダでマスコミに登場しましたが、もはやお払い箱になり、不遇をかこってウォッカ漬けの日々を送っています。

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この映画、とにかく、亡命者だらけ!

こんなに「亡命」が話の中核になる映画がつくられたのも、「亡命」を宣伝合戦に利用した東西冷戦のなせる業かもしれません。「米=善、ソ連=悪」という勧善懲悪の、西側の宣伝色の強いストーリーにも、東西冷戦という「時代」を感じてしまいます。

レニングラードの街の雑感に目を見張った観客たち

亡命中のバリシニコフは母国ソ連に行くことができないため、本作はロンドンにセットを組んで撮影されました。ソ連での撮影を多く手掛けていたフィンランドのクルーを送り込み、レニングラードの街の雑感を出しています。

「鉄のカーテン」の向こうについてほとんど情報のなかった当時は、観客はソ連の人々の日常風景に目を見張り、釘付けになったそうです。

また、ハインズはソ連の雰囲気をつかむために、映画撮影に先駆けてレニングラードに行きました。ハインズ演じるレイモンドの妻のダーリャ役を務め、一緒にレニングラードを訪問したイザベラ・ロッセリーニは、「豪奢なホテルのレストランでメニューの料理を頼んでも何もつくってもらえず、いつもジャガイモばかりだった」とメイキング映像で語っています。

また、ロッセリーニは「映画製作から数年でソ連が崩壊するとは、そのときは思いもつかなかった」と驚きを隠しません。

世界随一のバレエとタップの融合

ニコライはとにかくソ連から脱出したい。「ソ連を捨てたバレエ・ダンサー」と「アメリカを捨てたタップ・ダンサー」という、相反する立場から、ニコライとレイモンドは衝突してばかりいます。

しかし、「芸術のため」「表現の自由のため」と語るうちに、2人の心の距離が次第に縮まり、やがて一緒に白夜(ホワイトナイツ)の脱出計画を練るのです……。

 

筋書きに賛否両論あるとは思いますが、純粋に「ダンスを楽しむ」という見方をすると、断然面白くなります。

ハインズに惚れ込んだテイラー・ハックフォード監督(『愛と青春の旅だち』、『Ray/レイ』)が「とにかく、ダンス映画を撮りたかった」というだけあって、華麗なダンス・シーンが満載。

ダンスが劇中劇的に挿入されるだけではなく、物語の「ナレーター」役を担っている、という贅沢なつくりです。

しかも、舞台撮影でありがちな固定カメラではなく、動きがダイナミックに見えるよう撮り方が工夫されていて、心が高揚します。

ハイライトは、バリシニコフとハインズが2人で踊るシーン。さらなる挑戦を求めるトップ・アーティストの2人が刺激し合ってスパークする場面は、カメラワークの妙もあって、何度見てもしびれます。

こうした異分野のトップと共演することや、社会や組織のための踊りではなく、個の自由な表現を追求することは、バリシニコフがソ連に留まっていたら難しかったでしょう。

亡命者特有の事情も描き込まれる

映画には、亡命者特有の事情も描かれています。

飛行機がシベリアに不時着したときには、ニコライはパスポートを破り捨ててトイレに流し、自分の身元がわからないようにします。

ニコライは国を棄てたために「犯罪者」とされ、刑が欠席裁判で言い渡されているからですが、亡命することが「国家反逆罪」のような扱いになることは残念ながら往々にしてあることです。

また、ニコライが最後に駆け込むのはレニングラードのアメリカ総領事館です。

大使館や領事館などの外国公館には「不可侵権」があり、接受国が手を出せないからです。

実際に外国公館に逃げ込んで亡命を申請したケースとしては、2002年中国・瀋陽の日本領事館に脱北者の家族が駆け込んだ事件、今年内部告発サイト「ウィキリークス」の創始者のジュリアン・アサンジ氏が、イギリス・ロンドンのエクアドル大使館に逃げ込んで亡命申請した事件があります。

冬はバレエのシーズンですが、バレエ・ダンサーで亡命した人はバリシニコフにとどまりません。ヌレエフ、ゴドノフ、マカロワ(以上、旧ソ連)、リー・ツンシン(中国)と、切りがありません。

踊りに情熱を爆発させるバレエ・ダンサーたちは、当局が望む統制色の強い政治バレエに疑問を持ってしまうと、「もっと自由に表現したい」という欲求に歯止めがかからなかったのかもしれません。情熱的な芸術だからこそ、自由への願いがひときわ強いのかも。

でも、自由の追求は命がけ。代償は大きく、一歩間違えば殺されることもあったでしょうし、一生家族に再会できないことも覚悟しなくてはなりませんでした。

 

そんなことを考えながらこの映画を観ると、より一層楽しめることでしょう!

バリシニコフの亡命を描いた『バリシニコフ―故国を離れて』(現在は絶版)

 

 

 

 


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第8回 『ファースト・ポジション 夢に向かって踊れ!』


『ファースト・ポジション』は12月、渋谷「Bunkamura ル・シネマ」などで公開

戦争や貧困に傷ついた子どもたちが、自分を極限まで追い込みながら踊ることで人間の尊厳と自分自身を取り戻していく。そして、踊りは、彼らがどん底から這い上がるための「将来へのチケット」を与えてくれる。自分を信じて踊る子どもたちのきらめきをご堪能あれ!

バレエの登竜門「ユース・アメリカ・グランプリ(YAGP)」の舞台裏

今年はじめ、日本人の高校生の菅井円加さんが「ローザンヌ国際バレエコンクール」で1位に輝き、多くの日本のバレエ・ファンを沸かせました。

このローザンヌと並んで若手バレエ・ダンサーの登竜門として知られるのが、「ユース・アメリカ・グランプリ(YAGP)」です。

毎年このコンクールには、世界中から約5000人、9歳から19歳までのダンサーが応募します。そして、日本をはじめとした世界各地の予選を勝ち抜いた数百名のダンサーが、ニューヨークの最終選考に臨むのです。

入賞すれば世界の名門バレエスクールへの奨学金やバレエ団入団が約束されるとあって、プロを夢見る新人たちがしのぎを削るのです。

©First Position Films LLC.

 

トップダンサーとその家族の物語

秋・冬のバレエ・シーズン真っ只中の12月から日本で劇場公開になる『ファースト・ポジション 夢に向かって踊れ!』は、2010年のYAGPに挑んだ6人の子どもたちとその家族を追ったヒューマン・ドキュメンタリーです。

表舞台での鮮やかなダンス・シーンにうっとりしてしまいますが、やはり惹きつけられるのはキラキラした子ども一人ひとりの強靭な精神とその家族ドラマです。

遊びたい盛りの子どもたちが、憧れに少しでも近づきたい、という情熱に突き動かされ、厳しい練習に耐え、ギリギリの限界まで自分を追い込んでいきます。そして、多くの犠牲を払って献身的に支える家族の物語があります。

「家族のために踊る」というコロンビアの少年

6人の主人公の一人、南米コロンビア出身の16歳のジョアン・セバスチャンは、才能を見出され、一人親元を離れてアメリカに渡りました。

彼が踊るのは、ずばり「家族のため」。YAGPで入賞すれば、貧しい暮らしから這い上がり、家族を養う道が開けるからです。

ジョアンは、両親の収入の何十年分にもあたる奨学金獲得を目指し、成功への切符を手にしたい一心で異国でのレッスンに明け暮れます。ですが、そこにはまだ甘えたい子どもの顔も。母親恋しさについついコロンビアに電話をかけてしまいます。

YAGP最終選考を控えて帰郷し、飼っている鶏を絞めてつくったコロンビアの「おふくろの味」に、家族と一緒に舌鼓を打ち、「家族のために踊る」という気持ちを新たにするのでした。

私たちからはなかなか想像しえないハングリーさと決意が、ジョアン・セバスティアンの端正で甘いマスクをよぎります。

©First Position Films LLC.

アフリカ・シエラレオネの戦争孤児は、自分を取り戻すために踊る

ジョアン・セバスティアンが家族のために踊るなら、西アフリカのシエラレオネ出身で、アメリカ人家庭の養女になったミケーラは、「自分の尊厳」のために踊ります。内戦で両親を亡くし、シエラレオネの孤児院で育ちました。

「目の前で人が殺される」という凄まじい環境に加え、首から肩にかけて大きな白斑のあるミケーラは「悪魔の子」として虐げられ、孤児院でもないがしろにされていました。

ある日、ミケーラは、雑誌の表紙を飾ったバレリーナのあでやかな姿を目にします。このバレリーナの明るいイメージが、ずっと彼女」の心の支えとなりました。

ミケーラは4歳で養女としてアメリカに渡り、黒い肌と皮膚の斑点、低い身長と筋肉質というさまざまなハンデを跳ね返し、憧れの「バレリーナ」を目指します。新しい家族も、チュチュの肩の紐や下地が肌になじむように茶色に染めるなど、彼女を応援し、見守ります。

本番直前、ミケーラの足に異変が現れますが、強靭なメンタル力で乗り越える姿はさすが!

「生死の境目を見た人」の生命力を感じます。

©First Position Films LLC.

吉田都さんも子どもたちにエール

世界的なバレリーナであり、「国連難民親善アーチスト」でもある吉田都さんは、過酷なバレエ人生のスタート地点に立った『ファースト・ポジション』の主人公たちに、エールを送ります。

「世界共通であるバレエはどんな境遇の子供たちにも扉が開かれている。必要なのは決意と献身。ダンサー達の情熱とひたむきさに胸が熱くなった」

「バレエという美しい芸術とともに生きていける喜びは、その過酷さも忘れさせてくれる」

とも語る吉田さん、YAGPに賭ける子どもたちの姿と、御自身が歩んでこられた道とがだぶって見えたかもしれません。

後日談ですが、「白人中心」というバレエ・ダンサーの固定観念を、身を以て打ち破りたい、というミケーラの物語は『ファースト・ポジション』公開を機にマスコミで反響を呼び、多くの人々の共感を呼んでいます。

今年南アフリカのバレエ公演で踊り、故郷のアフリカでもデビューを果たしました。

公演の帰りにはシエラレオネに里帰りし、学校を訪れて女子生徒たちに夢を追いかけることの大切さを語りました。

「過去の自分の克服が出発点でしたが、今は目が将来に向いています」

CNNのインタビューでそう語るミケーラの新たな夢は、故郷シエラレオネにバレエ学校をつくることです。

©First Position Films LLC.

 

子どもたちの「本番力」に脱帽

私が何より「すごい」と思ったのは、『ファースト・ポジション』に登場する子どもたちが、YAGPという大会を目標にして燃え上がり、とてつもない集中力を発揮している姿でした。

「競争」というと、とかくギスギスした負の面ばかりが強調されがちですが、誰もが切磋琢磨する大会や競争はわかりやすい明確な目標設定になるのでしょう。

「練習は裏切らない」と信じて過酷な練習を積み、そしてチャンスをモノにする子どもたちの「本番力」が、何とも羨ましくなる映画です!


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第7回 『ニッポンの嘘』 『HIROSHIMA NAGASAKI DOWNLOAD』


写真家の原点となった被爆者との出会いを今も見つめる老練なジャーナリストと、30代で祖父母の世代の被爆のストーリーを紡ぐ映画監督と。いずれも「寄り添い続ける」信念を持って、「被爆」という日本の宿命に向き合っている。

ジャーナリズムと人道援助の仕事の共通点

今年8月、シリアのアレッポで、フリージャーナリストの山本美香さんが銃撃に遭って命を落とす、という事件がありました。紛争下で生きる人々の姿を発信しようとした信念に、ただ頭が下がる思いです。

アサド政権側、反体制派側双方が自分たちに有利な「情報合戦」をする中では、独立系ジャーナリストによる報道は非常に貴重なものです。

危険な目に遭いながらの取材活動は、何も国際報道だけではありません。

1987年、「赤報隊」によると見られる朝日新聞阪神支局銃撃事件では、記者が射殺されました。1991年の雲仙普賢岳の火砕流では多くの犠牲者が出ましたが、当時、テレビ局の記者として取材にあたっていた私の同期であるテレビ朝日の報道記者も亡くなりました。

志を同じくする人々が命を落とす――私にはジャーナリズムと人道援助の仕事がだぶって見えます。

90歳の現役報道写真家

1921年生まれ、御年90歳の報道カメラマン福島菊次郎さんは、1946年に広島で被爆者の撮影をはじめてから、ずっと目線を「忘れ去られた人々」「立ちはだかる権力に抵抗しようとする人々」に置いて、その姿を撮り続けてきました。

その軌跡を追ったドキュメンタリー映画『ニッポンの嘘  報道写真家 福島菊次郎90歳』が全国各地でロングラン公開中です。

©2012 『ニッポンの嘘 報道写真家福島菊次郎90歳』製作委員会

福島さんの写真家としての原点は、重い原爆症に苦しみながら救済されず、差別に苦しむ人々を取材したことにあります。

悶えながら亡くなった広島の男性の執念が福島さんを突き動かし、体制側にとっては不都合な「ニッポンの嘘」を暴く写真を次々に撮らせてきたように感じてなりません。

もちろんその代償も大きく、プロのカメラマンとして活動するために妻と別れ、日本の「兵器産業」を取材した写真集の刊行後には暴漢に襲われ、自宅を放火されました。

世を疎み、無人島に住んだこともあります。

昭和を写し、平成を撮り続ける

それでも、なお、撮る。

成田の三里塚闘争、安保闘争、東大安田講堂占拠事件、水俣、ウーマンリブ、祝島の人々による原発建設反対運動……。

東日本大震災を受けて高まる脱原発運動の現場、南相馬や飯館村の最前線で今もシャッターを切り続けます。そして、若い世代に「問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を犯してもかまわないんだ」と報道者としての精神について説くのです。

©2012 『ニッポンの嘘 報道写真家福島菊次郎90歳』製作委員会

 

80歳の頃から、「写らなかった戦後」シリーズの執筆をはじめ、今は来年の完成を目指して『写らなかった戦後4 ヒロシマからフクシマへ』を書いているとのこと。

まさに、時代の生き証人です。

私もジャーナリズムの末端に身を置く者として、執念と情熱を持ち続け、様々な妨害にめげることなく粘り強く撮り続ける姿勢にはもう脱帽でした。

生き様も一貫した姿勢

そして、この福島さん、とてもチャーミングでいらっしゃるのです。

山口県柳井市のアパートで、犬のロクとの「二人暮らし」。

©2012 『ニッポンの嘘 報道写真家福島菊次郎90歳』製作委員会

 

年季の入った「ワープロ」で執筆し、ロクの散歩がてらに買い物し、慣れた手つきで自炊。飄々とバイクに乗って補聴器を買い求めに行く。

そして、「この国を攻撃しながら、この国から保護を受けることはできない」と、年金は断固拒否。子どもたちからの援助も断り、自分の原稿料だけで生計を立てている。

実にカッコよく、かつ色っぽいのです。

自分の生き方も含め、いろいろな出来事に徹頭徹尾真剣に向き合ってきたからこそ、まやかしやきれいごとを「嘘」と断言できる説得力につながっているんでしょう。

『写らなかった戦後4 ヒロシマからフクシマへ』を早く読みたいと思うとともに、私も何歳まで生きられるかはわかりませんが、生き方として憧れてしまいます!

30代の竹田監督の挑戦

さて、もう1本紹介する映画は、90歳の福島さんとは対照的な30代の若いアメリカ在住の竹田信平監督の作品です。

竹田監督は、2009年春、アメリカ大陸西海岸をヒロシマ・ナガサキで被爆した人々を訪ねて旅しました。

©ヒロシマナガサキダウンロード上映委員会

ヒロシマ・ナガサキを直接には知らない、当事者の孫世代にあたる竹田さんは、元「敵国・アメリカ」でひっそりと暮らす被爆者たちの「魂のことば」に耳を傾けてまわります。

竹田さんは高校時代のクラスメートを旅の相棒に得て、被爆体験とその後のストーリーに触れるたび、「一人ではかかえきれない辛さ」を解き放つように相手と意見交換をします。

この二人の掛け合いには、どのように重い過去の事実を「等身大」で受け止めればいいのかヒントが詰まっていて、歴史を今につなぐアクセントになっています。

それぞれの「語り」がある

雄弁に語る人、ポツリ、ポツリと記憶の断片をたどるように話す人、ずっと押し殺してきた辛い経験がよみがえってきて泣き崩れる人。

©ヒロシマナガサキダウンロード上映委員会

そこには、「キノコ雲」というような単純なイメージのみでは語り尽くせない、それぞれの喜怒哀楽が浮き彫りになります。余りに重い内容なので、一度には話を聞けず、ときを改めて再度話を聞いたケースもありました。

日本で差別を受け、北米に移住して尺八をたしなむ男性。「なぜアメリカ人と結婚してしまったのだろう」と自問自答する女性。

仇討ちのつもりで渡米したものの誰が敵なのかがわからず混乱し、精神病院に入れられ、そこでアメリカ人の看護師さんからはじめて人のぬくもりを感じた、という男性。

それでも、どの人も最後には「話すことができてよかった」「若い人たちが関心を向けてくれて嬉しい」と感謝を込めて竹田さんの手を握るのです。

©ヒロシマナガサキダウンロード上映委員会

ロードムービーから特設ウェブサイトへ

竹田さんが北アメリカの西海岸在住の被爆者を訪ね歩いた旅は、ロードムービー『HIROSHIMA NAGASAKI DOWNLOAD』にまとめられました。

そして、この旅で集めた証言は、監督が過去に記録した中南米在住の被爆者の証言とともに、国連軍縮局の協力を得て、特設ウェブサイトとして今年の8月に公開されています。

このサイトは、過去7年間にわたる、7ヵ国・54人の証言の記録の集大成です。10月には国連総会第一委員会で、竹田さんがこの新機軸のウェブサイトについてプレゼンテーションを行いました。

つながる力と信念の大切さ

何気なくこのウェブサイトを見ていた私は、「協力者」の欄に奇しくも知り合いの名前を発見しました。ウェブサイトのロシア語翻訳に協力していたのです。メールをやりとりした竹田監督と交わした言葉は「世界は狭いですね!」。

平和や人道の問題に映像分野から関わっている人の世界は、本当にボーダーレス。みんなお金がない分、こうしたネットワークこそが武器になります。

これまで語られることの少なかったアメリカ大陸における被爆者のストーリー。

 

日本の若い力によって、これがようやく世界に向かって発信されたことは、「信念」の大切さを教えてくれます。


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第6回『すぐそばにいたTOMODACHI』


圧政を逃れて日本で暮らすミャンマー難民たちは、東日本大震災後の日本で、祖国の民主化の兆しをどのような想いで見つめているのだろう?

難民たちは日本人と「一蓮托生」

2011年3月の東日本大震災を受け、大勢の外国人が日本を離れ、外国人の訪日も激減しました。

しかし、祖国から迫害を逃れて日本に来ている「難民」たちは、日本を離れるわけにはいかず、日本人とまさに一蓮托生の状況にありました。

難民の方たちは、自分たちの経験と境遇ゆえに、震災で傷ついた人たちに対してひときわ高い感受性をもっています。

「故郷のかけがえのなさ」を語るとき、そこに国境はありません。故郷を追われた理由が自然災害か人災か、紛争や迫害かを問わず、人間としての足元が大きく揺らいだのは同じだからでしょう。

「日本が苦しいときだからこそ、恩返ししたい」

こうした気持ちに突き動かされた在日ミャンマー人95人は、ボランティアグループを結成し、石巻や多賀城などの被災地に向かいました。

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10月28日まで開催された「ヒューマン・シネマ・フェスティバル」では、日本の難民受け入れ制度の厚い壁に阻まれ、国に帰るに帰れずに日本で暮らしながら、東北でボランティア活動をするミャンマー難民たちを追った映画『すぐそばにいたTOMODACHI』を上映しました。

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第2の故郷・日本への恩返し

「活動家として国を追われ、ビルマに残る両親の死に目には会えなかった。避難所のおじいさん、おばあさんに接しながら、自分の両親のことを思った」

「自分の親戚の家をきれいにするような気持ちで、清掃・片付けの仕事をさせてもらった」

「故郷を追われた人たちと僕らの境遇は同じ。つらいこともあったけど、日本は第2のふるさと。恩返ししたい」

©The Neighbourly TOMODACHI  ©Cecilia Ami Kitajima

日本に対して強い想いを持っていることを表すように、ボランティアとしての彼らの仕事ぶりは依頼した方もびっくりするような、それは丁寧なものでした。

そして、ミャンマーの料理の炊き出しに汗を流すのです。

2008年にミャンマー南部を襲ったサイクロン・ナルギスで被災した人々を救うために、多くの日本人が義援金を送って支援したことを挙げて、「あの時のお返しを」という人も。

難民という不安定な立場で暮らし、彼ら自身だって大変なはずなのに、「困っている人がいれば、助けるのが当たり前」と言うのです。

「世の中は、『困ったときはお互いさま』の論理で回っているのだなあ」と痛感させられるのと同時に、「日本はこの人達を十分に助けているだろうか?」と今度は私たち自身に目を向けざるを得ませんでした。

©The Neighbourly TOMODACHI  ©Cecilia Ami Kitajima

映画は、こうした熱い想いを持った人々の姿とともに、彼らをなかなか受け入れようとしない日本の難民受け入れ制度の問題点もしっかり掘り下げています。

ほとんどのミャンマー難民は日本政府から人道的理由から「特定活動」という資格で在留を認められてはいますが、それは日本で長期的に生活することを前提としたものではありません。

1年ごとに更新する形式のビザであり、そのたびに更新できるのかという不安にさらされます。先の展望が見えない彼らが、悩み苦しみながらも懸命に生きていく姿は、見通しが効きにくくなった時代を生きる日本に重なって見えました。

「ハーフの自分」をミャンマー難民たちにだぶらせて

本作の監督である、セシリア亜美・北島さんは、アルゼンチンのブエノスアイレス生まれ。生まれ育ったアルゼンチンでは「外国人」としての疎外感を味わった、と言います。

そうした自分の生い立ちもあって、日本に帰国後、日本に暮らす外国人に共感して彼らのことを作品にしたいと思っていたそうです。

たまたま、ミャンマー難民の問題を伝える新聞記事を見かけたのをきっかけに、2007年から彼らが日本で苦労して暮らし、帰国を夢見て民主化運動を続ける姿を追ってきました。

震災後、監督は「ミャンマー人100人ほどが被災地にボランティアに行くことになった」との連絡を受け、迷わず同行してカメラを回すことを決意します。震災を経て、難民の方々の生活の輪郭がビビッドに立ち上がった部分もあるでしょう。

映画には、在日ミャンマー人のコミュニティがにぎやかに描かれます。

頻繁に登場するのは、「リトル・ヤンゴン」と呼ばれる東京の高田馬場。

ここはミャンマー料理のお店も多い地域で、映画の中で被災地に出発するバスの待ち合わせ場所もここなら、炊き出し用の食材もこのエリアのお店から調達していました。

©The Neighbourly TOMODACHI  ©Cecilia Ami Kitajima

難民たちと被災地との交流はいまも続いています。

今年7月に宮城県石巻市で「ビルマ・デー」のイベントが開かれました。

ステージでミャンマーの伝統舞踊を披露したほか、ミャンマー料理を提供。『すぐそばにいたTOMODACHI』の上映会も開かれたそうです。

震災被災者と難民とがだぶって見える

東日本大震災から1年半余りが経過し、問題の風化が指摘されています。

震災直後、岩手・宮城・福島3県の都内のアンテナショップには、「特産品を買って被災地を応援したい」と全国から客が訪れていましたが、今は売上の減少に苦しんでいる、というニュースも報じられていました。

かく言う私も、思い当たる節が……。

ミャンマー難民についても同じことが言えるのではないでしょうか。つい先日も成田とミャンマーの直行便が就航した、というニュースが大々的に取り上げられていましたが、ミャンマーについて日本で報じられるのは民主化のニュースばかりです。

しかし、ミャンマー政府と少数民族との対立はいまだ根深く、難民たちの帰国の目処はつきません。

私には、震災の被害にあった日本人たちと、難民という立場になった人たちとがだぶって見えます。ともに忘却の彼方に追いやられつつあり、理不尽な状況に置かれ続けているのです。

同じ日本で暮らす、被災した方々とミャンマーの難民たち。

この2つをぐっと引き寄せて見せてくれるのが本作『すぐそばにいたTOMODACHI』です。

 

 

©The Neighbourly TOMODACHI  ©Cecilia Ami Kitajima

 

です

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