難民、貧困、紛争、人身売買…………

世界にある問題はあまりにも多くかつ複雑で、なかなかその本質に近づくことができません。テレビや新聞の報道を観て、自分の無力さにため息をつく、そんなことはないでしょうか?

そんなとき、映画を観てみませんか?

元国連UNHCR 協会事務局長の根本かおるさんは、「UNHCR 難民映画祭」や国連UNHCR 協会の「ヒューマン・シネマ・フェスティバル」に深く関わってこられ、ご自身も大の映画好き。

根本さんのセレクトで「世界の今」を知ることのできる映画を新作・旧作取り揃えてご紹介します。

第25回 『トラブゾン狂騒曲 ~小さな村の大きなゴミ騒動~』 (連載最終回)


愛より強く』『そして、私たちは愛に帰る』『ソウル・キッチン』でそれぞれベルリン、カンヌ、そしてヴェネツィアで受賞に輝いたトルコ系移民2世のファティ・アキン監督。そんな彼が自分のルーツであるトルコの小さな村の「ゴミ騒動」に、映像の力で立ち上がった。

8月シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

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ルーツのある村のゴミ騒動に立ち上がる

私は、かつて国連の仕事でトルコに駐在し、2年を過ごしました。休みを活用して、あまり日本の観光客が行かない黒海沿岸のトラブゾン地方も旅しました。トルコとグルジアとの国境に近いこの辺りは丘陵地の斜面を利用してお茶の栽培が盛んで、雨がよく降る地域でもあります。

そんなトラブゾン地方のことを、前作『ソウル・キッチン』で大いに笑わせてくれたファティ・アキンが描いたとあって、ぜひ観たいと思ったのが本作。

これまた私が子ども時代を過ごしたドイツ・ハンブルク育ちで、トルコとドイツ、2つの文化の間を行ったり来たりするアキン監督の作品に独特のユーモアを感じるのです。

彼を駆り立てたのは、祖父母の故郷のトラブゾン地方の村チャンブルヌで持ち上がったゴミ処理場の建設問題でした。故郷の一大事を世界に訴えたいという一心で、2007年から2012年まで5年がかりで撮影して世に出した作品です。前回・今回と「ゴミ」がらみの映画が続きますが、どうぞお付き合い下さい!

腐臭に芳香剤をまく

映画は、アキン監督のルーツであるチャンブルヌの市長や地元住民らの猛反対にも関わらずゴミ処理場が建設され、故郷の豊かな自然を破壊し、悲劇を迎える様をつぶさに追います。

トラブゾンの海岸はゴミ投棄の問題が深刻で、この地方のゴミ処理のためにチャンブルヌの銅鉱山の採掘場跡地を廃棄場に充てることが検討されます。地域の人々は猛反対し、環境安全基準を満たさないとしてチャンブルヌ市長も建設許可を出しませんでしたが、中央政府は「国家の利益を損ねている」として市長を提訴。裁判で追い込まれた市長は、許可を出さざるを得なくなってしまいます。

建設条件として示されていたはずの民家からの最低距離も守られません。ひどい悪臭にゴミ施設側は芳香剤をまいてにおい消しに走りますが、そんな付け焼刃でどうにかなるものでもありません。

汚水が浸み出し、ついには大雨で水が処理場の縁からあふれ出し、海に流れ込み、汚染はどんどん広がります。施設側も中央政府も「こんなに雨が降るとは予測できなかった」の一点張り。空はゴミにたかる鳥で埋め尽くされ、そのフンで名産の茶葉も汚されていきます。人々の暮らしは立ち行かなくなり、若い人を中心にチャンブルヌを離れていきます。

処理場の容量を増やすための拡張工事の最中に汚水処理層の壁が倒壊。壁という支えを失ってどっと流れ落ちる汚水による惨事で被害はさらに広がっていくのです……。

中央政府の都合の押し付けは、世界共通の構造か?

本作は、マイケル・ムーア監督のような激しい糾弾型の作品ではありません。

村の人々の日々の営みと、ゴミ処理に関わる側のあまりにも杜撰な対応を淡々と描き、その行間に村人の故郷への想いや人間の愚かさが滲ませます。

人々の生活を脅かす施設の運営管理にあたる人々に危機意識が圧倒的に欠如し、白を黒と言う詭弁が随所に見られます。

視察に訪れる知事や政治家や官僚らは、遠くからでさえハンカチで鼻を覆わなければ耐えられない悪臭に襲われても、「これでゴミだらけだったトラブゾンの海岸はきれいになっただろう」「ゴミ廃棄場はどこかには必要なのだから」と議論をすり替えてどこ吹く風。

大雨で水が処理場からあふれ出して汚染が拡大するのも、福島第一原発事故後の汚染水対策の顛末と実によく似ていれば、住民の暮らしと健康を優先せず、国の都合を押し付けるゴミ処理施設と中央政府の姿勢にも、どこか、既視感があります。

この体質は、連載第20回の『飯舘村――放射能と帰村』を思い出させます。『飯舘村』で土井敏邦監督は官僚たちの言葉が、人々の苦悩に対してあまりにも空疎であることを残酷なまでにあぶりだしています。

この『飯舘村』同様、本作は人々の健康や安全よりも為政者の都合を優先し、村の人々の苦しみや不安にまったく答えない中央の無責任を浮かび上がらせます。それはあまりにも不実で、むしろ滑稽なほどです。

子どもと女たちが立ち向かう

チャンブルヌの人々はすでに建設中から惨事を予言していました。排水パイプが細すぎる、汚水処理層が小さすぎる、下に敷いたビニールシートがすぐに裂けて漏れを引き起こすだろう、雨季に降る大雨に耐えきれない……。

すべてを見通していたということを忘れてはなりません。それを詭弁で言いくるめた中央政府とゴミ処理施設。

頼もしいと思わせてくれたのは子どもたちのガッツです。

地域の子どもたちのグループがアースデーにゴミ処理場を視察し、施設を管理する担当者に二酸化炭素排出やメタンガスの環境への影響について対応しているのかと質問します。

満足に答えられない施設側担当者に子どもたちはあきれ顔で、正しい知識と理解を教えるのです。

そして女たち。映画の中で最も行動的なレジスタンスの闘士として描かれるのは、お茶の作り手である女性たちです。

彼女たちは保守的な風土にも関わらず自らを組織し、臆することなく知事や役人たちに詰め寄ります。そんな人々の姿を追うカメラは、彼ら・彼女らの勇気ある行動を称えるようでもあります。

福島原発の処理という国民的課題を抱える日本に生きる私たちには、とても他人事とは思えない作品です。映画の中の世界と日本とを頭の中で結びつけながら、どうぞご覧になって下さい!

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さて、昨年8月にスタートしたこの映画コラム連載、開始からまる1年となる今回をもって最終回とさせていただきます。ちょっと変わった映画の楽しみ方にお付き合いくださって、本当にありがとうございました!


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第24回 『ヴィック・ムニーズ/ごみアートの奇跡』


ブラジル出身の現代アーティストのヴィック・ムニーズが、リオ・デ・ジャネイロ郊外にある世界最大のごみ処理場「ジャウジン・グラマーショ」に向かった。そこで働くリサイクル可能な素材を拾い集める「カタドール」と呼ばれる人々とともに、ごみを再利用してアートをつくるためだ。ムニーズのアート・プロジェクトがカタドールたちに起こした化学反応をとくとご覧あれ!

7月20日よりロードショー

公式サイトはこちら

「ヴィック・ムニーズ」サイトはこちら

アートの持つ「変容(トランスフォーメーション)」の力

長年携わった人道援助の現場では、とかく食糧や水などの支援物資の提供や、住まいや医療サービスの提供などが優先されがちですが、個人的にこだわって大切にしてきたことがあります。それは、音楽やアートやスポーツなどを通じて、人々の心を癒し、かつ豊かにする活動です。

好き、楽しいという感情を大切にすることで、寂しさや絶望やささくれだった気持ちを落ち着けることができます。あまりお金を掛けずに実行できるアート・プロジェクトから、難民キャンプの中の看板や建物の壁に絵を描くアーティストやお祭りで演奏するミュージシャンも生まれ、誇りと自信につながります。

ブラジルの貧しい家庭出身のヴィック・ムニーズは、若い頃に喧嘩の仲裁に入った際に脚を銃で撃たれ、その賠償金で渡米し、アーティストになりました。砂糖やチョコレートシロップなど意外な素材を生かした大胆な芸術作品を創作し、「変容(トランスフォーメーション)」にこだわって活動しています。それはアートによるものの変容であり、人の変化でもあるのです。

©Vik Muniz Studio

 

ごみ山に蟻のように群がるカタドールたち

3年かけて撮影された本作は、ヴィック・ムニーズが活動拠点のニューヨークから故郷ブラジルに飛び、リオ郊外にある世界最大のごみ処理場「ジャウジン・グラマーショ」で、リサイクル可能な素材を拾い集める「カタドール」と呼ばれる人々とともに、ごみアートを作る軌跡を追ったドキュメンタリー映画です。

毎日7000トンものごみが運び込まれ、至るところからメタンガスが立ち昇るという劣悪な環境の中、カタドールたちはごみ山に蟻のように群がって、金属スクラップやペット・ボトルなどリサイクル可能な素材を集め、販売することで生計を立てています。その数、およそ3000人。

住まいはごみ処理場の周りを取り囲むスラム。「我々はごみを集めているんじゃない。リサイクル可能な資源を集めているんだ」と仕事に誇りを持つものの、麻薬・売春・暴力が蔓延する不衛生なスラムという社会の底辺に追いやられ、将来が描けずに葛藤します。

ムニーズは、ごみ処理場で集めたガラクタを使って、カタドールの巨大ポートレートのモザイク画を彼らと一緒に制作するアート・プロジェクトを通じ、彼らの人生を変えたいと願いますが……。

©Vik Muniz Studio

 

「におい立つ」ような映像が、そこに生きる人を描く

ごみ山の腐臭や湿気、ほこりが昇り立つような映像が印象的です。

あちこちに吹き上がるメタノールガスで、景色がゆがんで見えます。そして、マスクもせずに、その巨大な山にタックルしていくカタドールたちは、まるで勇猛な戦士のよう。

ムニーズは「当初は風景を描くつもりだった」と語っています。

それが実際に現場に足を運んでみると、「人と交わり、人を描かざるを得ない」と気持ちが変わっていったのです。映画はムニーズの関心に寄り添いながら、ポートレートの主人公たち一人ひとりのストーリーを追います。

中心人物のチャオは、カタドールたちの生活向上を訴える団体をつくり、代表を務めます。

レニー・クラヴィッツにも似た風貌でカリスマ性あふれる彼は11歳の頃からごみを拾い、生計を立ててきました。

ネタバレになるので詳しくは書きませんが、このチャオのポートレート作品がロンドンで競売に掛けられることになり、ムニーズはその場に立ち会わせるためにチャオをロンドンに連れていきます。カタドールたちの作品を世界がどう評価するかをこの目で確かめ、自分たちを見つめ直すきっかけにしてほしい、との望みからでした。

アーティストの熱意が化学反応を起こす

ムニーズは、チャオをロンドンに連れていくことを迷っていました。今いる環境からあまりにもかけ離れた世界に連れていき、彼の価値観が変わったとしても、それに責任を持てるだろうか。プロジェクト後にチャオが元の生活に戻ることを躊躇したらどうすればいいのだろう……。

でも、「ほんの一瞬でもいい、別の世界を体験して欲しい」と願うムニーズは、「変容」こそがこのプロジェクトの狙いだと、ロンドン行きを決行します。

チャオの絵が高額で落札されたに留まらず、リオでのごみアートのムニーズの個展は大ヒットを記録し、ムニーズ自身にも「変容」をもたらします。カタドールたちとの出会いを振り返るムニーズは言います。

「人助けのつもりが、自分の方が彼らに助けられていた」。

それは、私自身がこれまで手掛けてきた人道援助の仕事にも通じるものです。

©Vik Muniz Studio

ジャウジン・グラマーショ閉鎖という変容

映画のラストが伝える主人公たちの「その後」から、このアート・プロジェクトの持つチカラを再認識しました。

2012年に国連の環境会議「リオ+20」が開かれたのに伴い、30数年をかけた「ジャウジン・グラマーショ」の閉鎖が実現したのです。

ブラジル政府はリサイクル制度を推進し、チャオはごみアートの落札で得た収益を活用して、カタドールたちが他の仕事を得られるように職業訓練などを呼び掛け、活躍しています。

一歩を踏み出すことに背中を押すような、さわやかな余韻が残る力作です!


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第23回 『しわ』


高齢化と認知症は、誰もが「自分事」として捉えざるを得ない、世界共通の課題。無関心ではいられないけれども、なかなか直視できないこのテーマを、セルアニメという温かい表現法を用いた本作は、ユーモアとファンタジーを交えて描き、立ち向かう勇気を与えてくれる。

6月22日より全国で順次公開中

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認知症と生きる

65歳以上のおよそ7人に1人は認知症で、その数は462万人。

政府の新しい推計が先日発表になり、これまでの推計の1.5倍にあたる数に衝撃が走りました。かく言う私にも認知症の家族がいます。

さらに今回の発表では、認知症予備軍はおよそ400万人。「ピンピンコロリ」という、死ぬまで元気でポックリ逝くことを願う言葉がありますが、それは実は贅沢な願いで実際はなかなか難しいことを、これらの数字は示しています。私自身すっかり物忘れがひどくなり、以前は難なくできていたことがめっきりできなくなり、自分自身の「老い」に気づかされることが増えてきました。

在宅介護か施設に入るか、どんな暮らしを望むのか、家族にどれだけ負担を強いるのか、家族がいない場合はどうするのか。

認知症の人と家族を取り巻く重い課題は、誰もが避けて通れない現実です。

そんな折、昨年の教育番組の世界的コンクールの「日本賞」のグランプリ作品受賞で話題になった『しわ』が日本で劇場公開されると聞き(しかも、世界の優れたアニメーションをセレクトした「三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー」作品として!)、ぜひ取り上げたいと思いました。

本作は、スペインのマンガ家、パコ・ロカによる『』(小野耕世、高木菜々訳、小学館集英社プロダクション)原作にした作品です。

©2011 Perro Verde Films - Cromosoma,S.A.

老人たちはしわに刻まれた思い出の中で生きる

あらすじをご紹介しましょう。

かつて銀行に勤めていたエミリオは認知症で在宅では暮らせなくなり、養護老人施設に入ります。同じ部屋になったのは、お金にうるさく、抜け目のないミゲル。

その他にも、自分の言葉を失い、他人の言葉をおうむ返しすることしかできなくなった元DJのラモン、アルツハイマーが進行して身の回りのことができなくなったモデストと、モデストの世話のために一緒に入所している妻のドローレス、毎日家族に連絡したいと電話を探して回って歩き続けているソル、イスタンブール行きのオリエント急行に乗っている妄想の中で生きているロサリオなど、様々な思い出の中で生きる老人たちが一緒です。

©2011 Perro Verde Films - Cromosoma,S.A.

その老人たちも、症状が進み、完全介護が必要になると「2階」に移されます。

「2階」からは時折老人たちの叫び声が聞こえ、「2階送り」は入所者から恐れられています。たまたま2階の世界を見てしまったエミリオは、その阿鼻叫喚ぶりに愕然とします。

そんなある日、モデストと薬を間違えられたことで、自分もアルツハイマーだと気づいたエミリオは、そのショックで症状が悪化します。ミゲルは「2階送り」もそう遠くなくなったエミリオを思い、ある行動に出るのです……。

自分をだまし続けるか、現実と向き合うか

個人主義的な考えが優先される欧米では老後に施設に入ることは珍しくありませんが、ヨーロッパでも南部のスペインでは大家族主義的な考え方がまだ色濃く、介護を巡る状況はアジアに近いかもしれません。

銀行マンとして生きてきたエミリオはプライドが高く、自らの老いのきしみをなかなか受け止められません。生涯独身で自由気ままに暮らしてきたルームメートのミゲルは、エミリオより達観している様子。自分の「2階送り」が決まったときに自ら命を絶つことができるよう密かに薬をため込み、「道は2つ。自分をだまし続けるか、現実と向き合うかだ」と語ります。

©2011 Perro Verde Films - Cromosoma,S.A.

それぞれに家庭事情と症状を抱える老人たちは、和気あいあいとやっているようでも、それ以上は立ち入らないラインをもっているようです。エミリオとミゲルにもわだかまりがありましたが、エミリオの危機的状況を境に「戦友」のようになっていきます。

施設での暮らしに当惑するエミリオですが、「自分らしく」、生き生きと描かれるシーンがあります。所内のプールでかくしゃくと泳ぎ、「1年後はわからんが、今は生きている。好きなことをやらせてほしい」と毅然と言い放つのです。

これを見て、私も老いを迎えるにあたって、大好き、楽しいと思えることを一つでも多くもっておきたい、と感じました。

アニメーションの可能性

「今日の老人、明日の老人、すべての人に捧げる」――エンディングに記されたこの言葉が刺さります。国境を越えた、普遍的なテーマを扱った作品であることの証でしょう。

やわらかい質感のセルアニメの世界は、老人の尊厳を大切にしながら、一人ひとりの苦悩や当惑、寂しさと悲しみを、「問題」ではなく、「個人の姿」として浮かび上がらせます。直視するにはあまりにも厳しい現実を人々に寄り添って描くにあたって、アニメーションがもつ可能性を改めて感じさせます。

少しは自分のしわを愛せるかしら――、そんな気持ちにもさせてくれる作品です。

©2011 Perro Verde Films - Cromosoma,S.A.

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第22回 『犬と猫と人間と2 動物たちの大震災』


震災後を懸命に生き抜こうとする動物たち、動物たちを救おうと奔走する人々。宮城県出身の若手監督が600日にわたって正面から向き合った。監督は人間の身勝手さを非難することなく、誠実な眼差しで事実として受け止める。目を背けたくなるような現実を正面から受け止め、努めて淡々と物語をつむぐ姿勢は、いつしか観る側に再生を予感させるものだ。

ユーロスペースより順次全国公開中

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「母性」からはじまったレスキュー

震災後、3・11関連の本を多数読みましたが、強く印象に残ったものに、森絵都さんのノンフィクション『おいで、一緒に行こう 福島原発20キロ圏内のペットレスキュー』(文藝春秋)があります。

森さんはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)職員を主人公にした『風に舞いあがるビニールシート』(文藝春秋)で直木賞を受賞し、当時UNHCRに勤務していた私は、その執筆過程で取材を受けたご縁があります。

犬の保護活動を取り上げたノンフィクションを執筆していた森さんの視線は、震災後、原発周辺に残された動物たちを救う人々に向かったのです。

おいで、一緒に行こう』の中には、並々ならぬ覚悟で20キロ圏内に入っていくレスキュー隊の女性たちの姿と、マスコミが報じない20キロ圏内の現実がありました。

森さんの言葉を借りると、「20キロ圏内に残された動物たち、そしてその飼い主の哀や苦を、彼女たちに代わって引き受ける機能がこの国には存在しない。だから彼女たちがこうして命を賭している」のです。

立ち入り禁止区域に入ることを森さんは善悪の判断抜きに受けとめ、そして自ら一緒に活動したのでした。レスキュー隊の中心は40代の女性たち、その動機について「母性」と語っていたことが、同年代の私には刺さりました。

©宍戸大裕

600日にわたるドキュメント

森さんの本に出会っていた私は、ドキュメンタリー映画『犬と猫と人間と2』に自ずと興味が湧きました。本作は、東日本大震災で人間と並んで被災した犬や猫などの動物と飼い主、そして動物の保護に忙しくする人々の姿を通じて命を見つめます。彼らが600日間寄り添った記録なのです。

「家族」同様に人々の暮らしにとってかけがえのない存在だったにもかかわらず、津波の犠牲になった動物の数は把握されていません。

そして、より複雑なのが原発事故で立ち入りができなくなった警戒区域の状況です。同区域内におよそ2万匹の犬と猫がいたと推定されますが、そのうち保護されたのはその3分の1に過ぎません。カメラは、餓死した犬の死骸が道路に置き去りになっている横で、無秩序に繁殖する様子を捉えます。

また、同区域内に取り残された家畜は、多くが餓死または殺処分されましたが、その一方で、900頭の牛が生き残っていました。放逐されて無人の大地をさまよったか、規制の目をかいくぐって餌の世話をしたボランティアに支えられるか、いずれかの形で生き延びたのです。

©宍戸大裕

牛が涙を流す

本作の圧巻は、遠方から車で通うレスキューボランティアの岡田久子さんらが、取り残された牛に餌を与え、その関係に深入りしていく過程です。

牛舎には餓死した牛の骨が散乱し、ハエに取り付かれた牛の死骸の横で、息も絶え絶えの牛が糞尿の中に座り込んでいました。画面を超えて牛舎の腐臭が襲ってくるような、テレビニュースが伝えない圧倒的な映像です。

ボランティアは、そんな過酷な現実の中で黙々と餌をやり、水を与えます。カメラにじっと目を向ける牛の目からは、涙がこぼれます。自分たちの都合で動物の生き死にを決める人間の身勝手さを突き付けられると同時に、ボランティアの女性たちをここまで駆り立てるものを思わずにはいられませんでした。

©宍戸大裕

 

「出会っちゃった」責任

震災から1年後の2012年4月、国は警戒区域の家畜について方針を転換。それまでの「全頭殺処分」から、出荷・移動・繁殖は引き続き認めないものの「区域内で生かすだけならよい」という姿勢に転じたのです。

それを受け、区域内に牧場ができ、岡田さんら個人ボランティアも献身的に参画します。おびただしい死を見てきたからこそ、命あるものを生かしたい――、そんな思いに突き動かされているかのようでした。

「なぜここまで深入りするようになったのですか?」と聞かれ、ボランティアの一人が笑いながら口にした言葉が印象に残ります。

「出会っちゃったから」。

この凄まじい現実に出会ってしまったから、知ってしまったから。

その責任として行動せずにはいられない、と言うのです。それは、森さんの本にあるように、子を無条件で受け入れる「母性」と言い換えることができるのかもしれません。

©宍戸大裕

受け止めることから、再生の予感が生まれる

宮城県出身の監督の宍戸大裕さんは震災を受けて、地元の人々の生き抜く姿を映像で記録したいと考え被災地に入りますが、変わり果てた故郷に戸惑い、カメラを向けることができずにいた、と言います。しかし、生き残った動物たちと彼らを保護しようと奮闘する人々と出会い、カメラで追うようになっていました。

宍戸監督は善悪の判断を押し付けず、動物と人との交わりに温かな目線で寄り添います。

動物を無残に扱うのも人間なら、身を賭して救おうとするのも人間。すべてをありのままに受け止める中から、ラストにはほんのりとながら、再生の予感がしてくるのが、この作品の妙でしょう。

©宍戸大裕

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第21回 『そしてAKIKOは…~あるダンサーの肖像~』


日本モダンダンス界の先駆者は、1950年代に単身渡米し、家族よりもダンスを優先し、アーティストとしての生き方を極めた人だった。ダンサーとして完全燃焼して2011年にこの世を去ったアキコ・カンダの生き方は、今を生きる私たちに何を伝えるのだろうか。

6月1日より岩波ホールにてロードショー
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「東京国際女性映画祭」のフィナーレを飾る

バブル真っ最中の1985年にスタートした「東京国際女性映画祭」は、昨年の第25回でその歴史に幕を閉じました。

発足当初の目標だった「日本の女性監督の輩出」に一定の成果をあげ、映画祭実行委員の方が高齢化したのも閉幕の一因だったようです。同映画祭のジェネラルプロデューサーを務めてきた高野悦子さんも今年2月に亡くなられました。
最後の映画祭のクロージング作品として上映されたのが、記録映画作家の羽田澄子監督による『そしてAKIKOは…~あるダンサーの肖像~』です。

©自由工房

本作は、50年代に渡米してアメリカのダンス・カンパニーで研鑽を積んだ日本のモダンダンス界の草分け的存在、アキコ・カンダ(1935年生まれ)の生き様を描いたもの。今春、フラメンコ・ダンサーの長嶺ヤス子(1936年生まれ)を追ったドキュメンタリー『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』が劇場公開されましたが、私も日本を飛び出して学び、働いた経験をもつ女性として、先達たちの情熱あふれる軌跡に深く感じるものがありました。

最近では東京の新国立劇場にバレエと並んでダンスのレパートリーが設けられているほか、新潟市の支援で日本初の劇場レジデンシャルダンスカンパニー「Noism(ノイズム)」が誕生して同市を拠点に活動、ダンスも日本で市民権を得るようになりました。
精力的に活躍している日本のコンテンポラリー・ダンスのアーティストも、こうした草分けたちの奮闘があって今があるのだと感じさせてくれる作品です。

命の完全燃焼を記録する

羽田澄子監督は、円熟期を迎えた40代のアキコ・カンダがダンスに生きる姿をドキュメンタリー映画『AKIKO-あるダンサーの肖像-』(1985年)として描いています。

2010年11月、70代半ばを迎えたアキコの姿を羽田監督は再び撮影しはじめました。そこには『安心して老いるために』や『終わりよければすべてよし』など、日本社会の高齢化にこだわって作品をつくってきた羽田監督ならではの目線が感じられます。

撮影開始時には羽田監督も知らなかったのですが、アキコは肺癌に侵されており、撮影が入った公演の直後から入院を余儀なくされます。

©自由工房

2011年9月に予定されていた公演に向けて稽古を再開しますが、ガン転移が発覚。公演開催も危ぶまれたものの、アキコは完璧に舞台をこなします。
そして、そのわずか13日後、彼女は静かにこの世を去ります。

試写会で挨拶に立った羽田監督は、「こんな結末になるなんて思わずに、つくりはじめた作品です」と語っていました。
カメラは、死が目前に迫っているとは思えない、アキコの迫力溢れるダンスを追います。
肉体的にはどんどんやせ細っていくのとは裏腹に、「踊りたい」という欲求の方は逆にどんどん研ぎ澄まされていくようでもありました。こんな小枝、いや爪楊枝ぐらいの身体のどこからそんなエネルギーが湧き溢れてくるのだろう……。

©自由工房

監督はアキコの踊る姿とその楽屋裏を主軸にしつつ、生前、没後双方に周辺の人たちへ取材し、それを織り交ぜることで情熱的に生きたアキコの姿を浮かび上がらせています。最後までアーティストとして生きたアキコについてポツリポツリと語る親族、生前アキコが熱心にダンスを指導した宝塚歌劇団の面々の言葉を丹念に拾います。

芸術家として生きるということ

生前298作品のダンスを制作したアキコは「自分にとってダンスとは何だろう」と自問します。

大学生の頃、世界のモダンダンスを牽引したダンサー兼振付家のマーサ・グラハムの来日公演を観て惚れ込み、大学を中退して渡米してグラハムに師事します。

マーサ・グラハム舞踏団でソリストとして活躍しますが、6年のアメリカ生活にピリオドを打って帰国した後は、自分らしいダンスの追求とグラハムの呪縛に苦しみました。この映画の端々から、そんな彼女の身悶えが感じられます。

アキコには息子が一人いますが、早くから姉に預け、一人芸術の道に生きることを選び取りました。「私は母親としては失格だけど、あなたに『母は、芸術家としては立派だった』と思ってもらえるよう頑張っている」と語ったそうです。言葉にならないほどの迫力溢れるアーティストのアキコと、子どものようなアキコ。息子はその両面をしっかりと受け止め、死期を悟りつつダンスに打ち込む彼女を支えます。

人を抱きしめること

映画の中のアキコは、とにかく人をよく抱擁します。アメリカ時代の習慣の名残かもしれませんが、観客や友人との「一期一会」を大切にし、自分の感情を「抱きしめる」ことによって共有しようとしているかのようにも見えました。ダンスというものの激しさゆえの「感情を共有したい」という気持ちの表れなのかもしれません。

こうした抱擁に表されるような「共有の気持ち」がまいた種は、彼女の死後、残されたダンス・カンパニーや宝塚歌劇団のメンバーたちによって芽を出し、しっかり育ちつつあります。彼女たちは「アキコが伝えてくれたことを、私たちこそがさらに発展させていく」という気概に満ち溢れています。

信仰のようなものに出会う

「ダンスは私にとって何なんだろう?」という問いに対するアキコ自身の答えは、「信仰のようなもの」。そんな敬虔なものを見出すことができれば、これはもう本望でしょう。果たして私たちは、そんな信仰のようなものに出会えているでしょうか?

©自由工房

アキコ・カンダの完全燃焼物語を、皆さんのこれまでと重ね合わせながらご覧になっていただければと思います!


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第20回 『飯舘村 放射能と帰村』


原発から30キロ以上も離れていながら、風向きと降雨などによって放射能に汚染され、「全村避難」を余儀なくされた福島県相馬郡・飯舘村。あれから2年。「帰りたい、でも帰れないのでは? ではどうするのか?」という問いの前に、村を追われた人々は悩む。故郷を失った人々を取り巻くのは、権力を持った組織と人々に対する圧倒的な不信感だ。その疑問は、あたかもすべてを解決するかのように語られる「除染」に対しても投げかけられる。

公開中

監督の作品紹介サイトはこちら

飯舘村の家族たちの故郷探し

私は、紛争や人権侵害で故郷を追われた難民たちに寄り添って援助活動をした経験があります。避難生活を支える活動にも苦労しましたが、最も歯がゆさを感じたのは「彼らの将来をどうするのか」という問いです。

「人々から故郷を奪った紛争に完璧な和平が訪れてハッピー・エンド」ということはまずあり得ません。難民一人ひとりが不完全な選択肢に向かい合って悩み、納得し、将来を選び取っていくしかないのです。

それは新たな土地で再出発することかもしれませんし、故郷に帰る日をじっと待つことかもしれませんし、見切り発車して帰ることかもしれません。

よりよい選択肢が生まれるよう、国連機関として紛争当事者や関係諸国などに働きかけましたが、自分たちの非力さを痛感させられるばかり。交渉の進捗や故郷の置かれた状況について情報提供するのが精いっぱい、ということも多くありました。難民たちは、まさに「宙ぶらりん」という状態でした。

 

ドキュメンタリー映画『飯舘村 放射能と帰村』のチラシのコピーを見て、ハッと胸を突かれました。

私は故郷の村へ帰れますか?
村で子どもたちと安心して暮らせますか?
もし帰れなければ、どこに“故郷”を探せばいいですか?

これはまさしく難民援助の現場で私自身がいつも突き付けられていた問いかけだったのです。

©Takashi MORIZUMI

 

「日本の中のパレスチナ」飯舘村

監督の土井敏邦さんは、このコラム連載第17回でご紹介した『異国に生きる 日本の中のビルマ人』の監督でもあり、30年近くパレスチナを追い続けたジャーナリストでもあります。

3・11という未曽有の大惨事を受け、土井さんは「故郷と土地を奪われたパレスチナ人のことを伝え続けてきた私がやるべきことは、大震災で故郷と土地を奪われた人たちの“痛み”を伝えること」と考え、パレスチナ同様に人が起こした災い(原発事故)によって故郷を追われた飯舘村の人々に寄り添いながら、彼らの苦悩を追ってきました。

土井監督とトークセッションでお話をする機会がありましたが、難民の姿と東北の人々の姿がだぶる私にとって、深く共感する視点の持ち主です。

故郷とは、家族とは何かを問いかける

飯舘村は原発から30キロ以上離れていますが、風向きなどの条件から放射能に汚染されたエリアです。

政府が村に全村避難を指示したのは事故から1カ月以上経ってからで、人々は日常生活を突然奪われる痛みに苦しむとともに、「幼い子どもなどに被曝させてしまったのではないか」という不安に苛まれます。

土井監督は、政府や東電に振り回される飯舘村の二組の酪農家一家の姿を追うことで、「放射能に汚染された村に人々は帰れるのか」というテーマに迫ります。

村を追われた酪農一家、志賀家の老夫妻は息子夫婦と離れ、村から数十キロ離れた町で2人暮らし。75歳の父親は、村民自ら集落を警備して回る「見まもり隊」の仕事に出て当座の生活費を稼ぎます。息子は、コンクリート工場に就職したものの、酪農の道を諦めきれないでもどかしさを感じています。

©Doi Toshikuni
©Doi Toshikuni
©Doi Toshikuni

 

四世代で暮らしてきた長谷川一家も、両親は福島市近郊の仮設住宅に、長男一家は山形に移って暮らします。
線量の高い村で子どもを育てられないと、長男は別の場所で牧場を持つことが夢です。
親の世代と将来の方向性は重ならず、一度離散した家族がまた一緒になることの難しさが浮かび上がります。

若い親は子どもの被曝を心配して帰村を断念しはじめています。
年配者も望郷の念に駆られるものの、農業もできず、子どもも孫もいない村に帰るのかと葛藤します。

 

©Doi Toshikuni

他方、政府や地方自治体の関係者たちは、莫大な費用(飯舘村だけで3000億円以上)をかけ、「除染、除染」の大号令。

その姿は、放射能汚染で地域社会が丸ごとなくなるかもしれないことを直視せず、この問題に除染によってフタをするかのよう。そして、土井監督は、除染という手法そのものの有効性に疑問を呈するだけでなく、そこに土木関係者による利益共同体としての「除染ムラ」ができた、と厳しく指摘します。

映像は、住民との意見交換会で説明に立つ官僚の言葉が、人々の苦悩に対してあまりにも空疎であることを残酷なまでにあぶりだします。

人々の健康や安全よりも為政者の都合を優先する彼らの説明は、村の人々の苦しみや不安に対してまったく答えません。

心までも汚染された、という悲痛な叫び

「心が汚染された」

為政者たちや東電への圧倒的な不信感を称して、主人公の一人が絞り出すように口にした言葉が深く胸に突き刺さります。

©Doi Toshikuni

農地や住宅の汚染以上に、大きく尊厳が傷つけられた。そのやり場のない怒りを人々はどう乗り越えていくのでしょうか。その言葉は日常の雑事に追われて震災と原発事故を忘れがちな私たち一人ひとりに向けられたものだ、とも感じました。
 
人々の苦しみは現在進行形です。そして、私たちの税金で講じられる対策ならば、人々のこれからの暮らしに本当に意味のあるものでなくてはなりません。
 
原発事故で故郷を追われた人々の存在を風化させないことから、私たち一人ひとりにできることを考えていこう――。そうした気持ちにさせてくれる作品です。

かつて世界各地で出会った故郷を追われた人が私に教えてくれたことは、「途方もなく長い『宙ぶらりん』であっても、人はそれを乗り越える勇気とすべを見出せる」ということでした。

たとえ時間がかかったとしても。


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第19回 『孤独な天使たち』


車イス生活を余儀なくされ、一度は映画製作を続けることを諦めかけたベルトルッチの復活作品。車イスとともに生きることを受け入れたことで、映画作りへの情熱に再び燃えた監督の10年ぶりの新作『孤独な天使たち』は、子どもと大人のはざまで苦悶する少年が大人に成長する地下室での7日間を描く。ベルトルッチ自身の「自分再発見」ともダブる青春の物語は、監督デビュー50周年のメモリアルを飾る。

公開中

公式サイトはこちら

10年ぶりのベルトルッチ作品

私は乗せられやすい性質かもしれません。

アカデミー賞10部門を制したベルトルッチ『ラストエンペラー』 を観た後、無性に中華料理が食べたくなって中華レストランに駆け込み、おまけに中国旅行までして撮影の舞台となった紫禁城を探訪してしまいました。

ここまで乗せてくれたベルトルッチですが、「最近彼の撮った映画を見かけないなあ」と思っていたところ、10年ぶりの新作が公開されるというのです。病魔に苦しみ、車イスなしには動き回れなくなった監督の復活作品は、30年ぶりに母語のイタリア語で撮った『孤独な天使たち』

©2012 Fiction - Wildside

そうか、「国際派になる」ということは、オーディエンスについて自国中心で考えるか、世界標準にするかというせめぎ合いがあるのね、と妙に納得。

舞台も彼が育ったイタリアのローマ。その意味でベルトルッチは齢70を超え、改めて本卦還りしているのかもしれません。

「大人への脱皮」という世界共通のテーマを描く

ストーリーを簡単にご紹介しましょう。

自分の殻に閉じこもりがちで学校にもなじめず、現実逃避するロレンツォは14歳。人づきあいが極端に下手なロレンツォが学校の1週間のスキー合宿に参加すると言ったことに、母親は大喜び。留守がちな夫に電話で報告しますが、実はスキー合宿に行くというのは真っ赤な嘘で、ロレンツォはひそかな計画を立てていたのです。

©2012 Fiction - Wildside

スキー合宿へのバスの出発地点から姿をくらまし、あらかじめ食糧や水を買い込んで備えておいた自宅アパートの地下室に身を隠して、好きな本や音楽に囲まれた1週間の自由を満喫するつもりだったのです。

上々にスタートしたかに見えたロレンツォの冒険は、2日目に突然、長い間会っていなかった異母姉のオリヴィアが地下室に闖入してきたことで脱線してしまいます。美しくも奔放なオリヴィアは、父が南部シシリアのオリヴィアと靴職人の母親を捨て、都会のローマでロレンツォと母親との暮らしを選んだことから、屈折した感情をロレンツォの母親に抱いていました。

ロレンツォは折角の自由をかき乱されて苛立ちますが、オリヴィアは他に行き場所がなく、地下室を舞台に2人の共同生活がはじまります。

©2012 Fiction - Wildside

麻薬依存症に陥っていたオリヴィアは苦しいヤク断ちの真っ最中。嘔吐を繰り返して悶え苦しむ姉を、ロレンツォは助けようと必死に考えるのでした……。

外界から隔絶された「地下室」という閉じた空間を舞台に、濃密な1週間を姉とともに経験した少年は、大人への脱皮と再生への手がかりをつかむのです。

デヴィッド・ボウイが少年の心をイタリア語で歌う

タイトル明け、映画はセラピーのシーンからはじまります。どんよりと曇った目をしたロレンツォに向き合うのは、車イスに座った精神科医。少年は精神科医の質問をはぐらかし、ザ・キュアーの名曲「ボーイズ・ドント・クライ」が響く中、自分の世界に消えてしまいます。監督はこのあたりに自分を暗示したかったのかもしれません。

そして、クライマックス。反発し合っていた姉と弟が奇妙な共同生活を経てようやく心を開き始め、デヴィッド・ボウイの曲に身を委ねて、ダンスしながら抱擁。こ、こ、これは……!

ボウイ自らが「スペイス・オディティ」をイタリア語で歌っているのです。「私もドラッグをやめるから、ロレンツォももう隠れるのはやめて。たまに打ちのめされたって平気よ」とオリヴィアが諭すようにささやきます。

©2012 Fiction - Wildside

そして、心の絆を確かめるダンスを踊った翌朝、新しい日々を送ろうと姉を連れて地下室から街に出たロレンツォの眼差しは、精神科医の診察室で見せたうつろな表情とはまるで別人のように、しっかりと自信に満ち溢れたものになっているのです。

映画を通じて、「一人の少年の脱皮と成長」を見届けた気にさせてくれます。

「スペース・オディティ」のオリジナルの歌詞はSF的なのですが、イタリア語版は「孤独な少年よ、教えてくれ、どこに行こうとしているのか」と問いかけ、まさにロレンツォの心の軌跡を歌ったもののようです。

この曲を70年代に聴き、80年代にはデヴィッド・ボウイのコンサートに行っていた私にとって、この名曲に新しいいのちが吹き込まれるのを見るだけでも幸せでした。

失意からの再起

マエストロの復活、ベテラン監督の手による新人俳優の起用と色あせない永遠のテーマ、そして時代を越えた名曲。

車イスに座ったままでしか監督できなくなったベルトルッチがあまり動かずに座ったまま指揮を取れる「地下室」という場面設定は、姉と弟の反発と親密をより浮かび上がらせることに成功しています。それは監督自身にとって、「自分再発見」だったのかもしれません。

「この映画を撮影した私は、また自分が走り出したことを感じている。私は70歳を超えたが、今も若いキャラクターや彼らの生命力や好奇心を捉える難しさに魅了され続けているのだ」

そう語るマエストロの復活をご堪能あれ!


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第18回 『カルテット! 人生のオペラハウス』


名優ダスティン・ホフマンの初監督作品は、引退した音楽家たちが暮らす老人ホームが舞台。肉体は衰えても音楽や愛が人生を彩ってくれる、というメッセージ溢れる人間賛歌を75歳で監督に挑むホフマンが描きます。イギリスが誇る著名な老アーティストたちが出演して名曲を演奏し、音楽好きにはたまらない作品です!

4月19日よりロードショー

公式サイトはこちら

75歳にして新境地に挑戦するダスティン・ホフマン

監督業も務める名優というと、クリント・イーストウッド、ロバート・レッドフォード、そして『アルゴ』で今年のアカデミー賞作品賞を獲得したベン・アフレックなどが挙げられますが、『卒業』『クレイマー、クレイマ-』『レインマン 』など数々の名演で知られるダスティン・ホフマンは、75歳にしてようやく初監督作品を発表しました。

彼の新境地を開いた『カルテット! 人生のオペラハウス』は、イギリスののどかな田園風景の真っ只中にある、引退した音楽家たちのための老人ホーム「ビーチャム・ハウス」を舞台に、ホフマンの同世代のアーティストたちの人生との付き合い方を描きます。

©Headline Pictures (Quartet) Limited and the British Broadcasting Corporation 2012

 

老人ホーム存亡をかけ、伝説のカルテットが復活?

「ビーチャム・ハウス」で穏やかに暮らすレジー、ウィルフ、そしてシシーの3人の声楽家は、かつて同じカルテットで歌っていた仲間です。

理知的なレジーは近隣の学生たちに音楽を教えることを、冗談好きのウィルフはホームの女性スタッフたちを口説くのをそれぞれ生き甲斐にし、そしてシシーは物忘れが目立ち、認知症が進んでいるようです。

財政難にあえぐ「ビーチャム・ハウス」を存続させるために、このホームに住む老アーチストたちはヴェルディ生誕200周年を祝うコンサートをホームで開いて資金調達することを計画し、練習に余念がありません。

そこに新しい住人が加わることになるのですが、それはオペラの名プリマドンナとして活躍したソプラノ歌手のジーン(マギー・スミス、ハリー・ポッター」シリーズのマクゴナガル教授役で知られます)でした。

©Headline Pictures (Quartet) Limited and the British Broadcasting Corporation 2012

レジー、ウィルフ、シシーの3人は心穏やかではありません。と言うのも、ともにカルテットで歌っていたジーンは、野心のために仲間を傷つけ、そして夫だったレジーの心を引き裂いて去ったのです。

そしてコンサートの準備の方も、出演するはずだったスター・ソリストが病気で出られなくなり、暗雲が立ち込めます。代わりの目玉にと白羽の矢が立てられたのが、ジーンたちの「カルテット」でしたが、かつての栄光にがんじがらめになって人前で歌うことを封印していたジーン。彼女はかつての仲間と一緒に再び舞台の上に立てるのでしょうか……。

老アーティストによる競演、音楽への愛が映画の通奏低音に

完璧主義で知られるホフマンは、「ビーチャム・ハウス」の住人たちのキャスティングにこだわりを見せました。イギリスの老トップ音楽家たちを軒並み集めたのです。

役者が音楽家を演じるのでなく、音楽家が演じる。老齢のアーチストたちが歌い、演奏する味わいのある音楽も、この映画の見所の一つでしょう。足腰がおぼつかなくなった人たちも、ひとたび楽器を手にし、ピアノを前にし、衣装を身に付けると別人に変身するのです。

映画公開に先駆けて21年ぶりに来日したホフマンは、演技経験のないミュージシャンたちに「演技は全くしないでいいから、今感じていることをそのまま撮りましょう」とアドバイスしたと話し、「年をとるとはどういうことか、そのまま見せたかった」と語りました。

「彼らが長時間の撮影にも参加してくれて、素晴らしい贈り物を受け取った気持ち。感動しました」と瞳を潤ませる場面もありました。

©Headline Pictures (Quartet) Limited and the British Broadcasting Corporation 2012

 

人生の最終章に彩りを与える彼らの音楽には、壮年期の音楽とはまた違った深い味わいがあるように感じます。それは、「音楽があれば、人生はいくつになっても楽しめる」と言っているかのようです。

そして、体の中に刷り込まれた習性と、舞台の上で拍手を受ける快感は、いくつになっても消えることはありません。

ホフマン自身がもっと若かったら、こんなメッセージに果たして到達していただろうかと思わずにはいられません。彼は5歳からピアノのレッスンを受け、演技の勉強を始める前はジャズ・ピアニストになるのが夢だったそうで、音楽への愛がこの映画の通奏低音として流れているように感じます。

また、認知症を進行させるシシーには、身につまされるものがあります。ホフマンは『レインマン』で自閉症の主人公を演じましたが、こうした病気に直面する人へのまなざしに温かいものを感じました。

ヴェルディの「音楽家のための憩いの家」という遺産

この映画は、1896年にヴェルディがミラノに創った音楽家のための老人ホーム「音楽家のための憩いの家」からインスピレーションを得ています。

数々のオペラを作曲し、名声を得たヴェルディですが、他の音楽家たちの恵まれない最期を憂慮して、音楽家たちが最期まで尊厳をもって音楽に向かい合えるように、私費を投じて創設しました。音楽練習室とホールがあり、施設の運営はヴェルディの没後50年間は彼が作曲した音楽の著作権料で賄われ、現在は施設利用料と寄付で運営されているそうです。この家のことは、2001年にNHKスペシャル「人生を奏でる家~ミラノ・老音楽家たちの日々~」でも取り上げられています。

映画『カルテット!』でも老音楽家たちが子どもたちに音楽を教えるシーンがありますが、「憩いの家」では近年音楽学校生の入居を受け入れ、映画のシーンさながらのレッスンや元トップ・アーチストたちとの音楽交流が日夜行われているそうです。

今年はヴェルディ生誕200周年で日本でもヴェルディのオペラが多数上演されますが、こんなヴェルディの心意気も思い出していただければと思います!


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第17回 『異国に生きる 日本の中のビルマ人』&『海と大陸』


祖国ミャンマー(ビルマ)の民主化を願って遠い日本で生きる活動家。アフリカの難民を満載した小舟を前に、溺れる人を助けるべきかどうか苦悶するイタリア人青年。2つの映画が描く、究極の選択を迫られた人々の生きざまが鏡となって、私たちは私たち自身の姿を考えざるを得ない。

『異国に生きる 日本の中のビルマ人』公開中 監督のサイトはこちら

◆4月13日(土)、ポレポレ東中野にて、筆者と土井敏邦監督のトークショーが開催されます!(詳しくはこちら)◆

『海と大陸』 第68回ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞、4月6日より岩波ホールにてロードショー 公式サイトはこちら

究極の選択で、人となりが如実になる

日本とイタリア。作られた場所は異なるものの、「難民」を描いた力作映画に出会ってしまい、これは難民をライフワークとする私としては書かずにはいられません。
ということで、今回は2本ご紹介したいと思います。

どちらも「自分は何のために生きるのか」と悩み苦しむ若者が主人公です。

まずは、『異国に生きる 日本の中のビルマ人』

(c)Masaya NODA

1992年、ミャンマー軍事政権の弾圧を逃れて、妻と家族を祖国に残して単身日本に渡るという選択をしたミャンマー人青年のチョウさんという主人公を、14年間にわたって追い続けた記録です。

チョウさんはミャンマーを逃れて安全は手にしたものの、生きるためにレストランで働きながら、東京を拠点に民主化運動を続ける毎日。数年後にやっと難民認定が下りて難民渡航証明書が発給され、妻ヌエさんとの再会が叶います。

(c)Doi Toshikuni

ヌエさんの来日で二人一緒の亡命生活が始まり、ともに経営するようになったミャンマー料理店は、ミャンマー人コミュニティーの憩いの場になっています。しかし、母の死に目には会えず、年老いた父とは第三国のタイで14年ぶりに感動の再会を果たすものの、その後の訃報に際して帰国することはできませんでした。また、異国での民主化運動にも終わりは見えません。

自分は何のために、誰のために生きるのか

日本での滞在は20年を超え、生活に慣れてはきましたが、チョウさんにとって日本は所詮異国であり、「帰りたい」という気持ちは少しも変わることはありません。

それでも彼は「家族に会いたい」「祖国で暮らしたい」という思いを断ち切って、祖国の民主化運動のために献身的に活動します。

お金を儲けるだけの生活には満足できない。

祖国のため、祖国の人々のため、社会のために自分はある―。チョウさんはそう語ります。自分の進むべき道についてよほどの信念がなければ、こうした厳しい環境の中で自分を支え続けることはできないはず。社会と個人との距離の近さとその関係の濃密さは、私たち日本人にも、自身のあり方を問いかける迫力があります。

日本は難民たちの思いに応えているか

自分や家族の幸せを後回しにして、故国の将来のため、ふるさとの人々の幸せのため、社会のためを第一に考えるチョウさんは、東日本大震災が起こったときには、「今度は私たちが日本に恩返しする番だ」とミャンマー人の有志を募って被災地に向かいました。

「困っている人がいれば助けるのは当然のこと」と語ります。

映画は、日本の難民認定行政の閉鎖性も浮き彫りにします。

祖国を逃れて政治活動を続けるだけでも大変なことなのに、難民認定審査を司る入国管理局の厚い壁と非情な扱いに耐え、不当な収容にもめげない精神力を持ち合わせることが求められます。日本という国は、難民たちの日本に寄せる思いに十分に応えているだろうか、と考えざるを得ません。

アウンサンスーチー氏の来日もあり、ミャンマーの民主化に光が当たりますが、その裏には、チョウのような活動家たちのたゆまぬ努力の積み重ねがあることを忘れてはならないでしょう。

(c)Doi Toshikuni

アフリカ難民を満載した密航船の襲来を受けるイタリア

さて、もう1つご紹介するイタリア映画『海と大陸』は、シチリア島の南方の小島、リノーサ島が舞台。

2011年のリビア危機などでは、北アフリカから安全を求めてイタリアなどヨーロッパに向けて地中海を渡ろうとする密航船が難破し、多くの人々が犠牲になりました。ヨーロッパ評議会によると、2011年だけで2000人もの人々が地中海で亡くなり、このイタリアが直面する大きな社会問題が重要なモチーフとなっています。

©2011 CATTLEYA SRL・BABE FILMS SAS・FRANCE 2 CINÉMA

かつてリノーサ島を支えた漁業はすたれ、人々の生活も夏の観光業を中心に変わろうとしています。父を海で亡くした20歳のフィリッポは、漁師を続けようとする祖父、観光業に転じた叔父、本土で新しい生活を始めたいという気持ちを持つ母との間で心が揺れ、将来の設計図を描けずにいます。

そんなある日、漁に出ていたフィリッポと祖父は、アフリカから難民たちが密航する小舟に遭遇。「当局に通報するだけで、舟には近づくな」という当局からの指導にもかかわらず、「溺れる人は助ける」という海の掟を重んじる祖父は溺れる人々を助けるのです。
その中には、エチオピアからリビア経由で逃げてきたサラとその息子のふたりもいました。

©2011 CATTLEYA SRL・BABE FILMS SAS・FRANCE 2 CINÉMA

フィリッポの一家は身重のサラを家にかくまい、出産までも手伝いますが、この人間として尊い行いが不法入国を手助けした疑いがあるとして、波乱を呼ぶことになってしまうのです。
圧政を逃れて海を渡ってきた母子を前に、将来の見えない生活に不安を抱えるフィリッポの一家は、葛藤しながら一体どんな「人間らしい」選択をするのでしょうか?

2009年夏に同じくシチリア南方のランペドゥーサ島に80人の難民を乗せたボートが漂着した際、たった3人の生存者のうちのひとりが難民サラの役を演じ、映画にずしりと重いリアリティを生み出しています。

「北」と「南」がぶつかり合う場所としての地中海

この映画でも、人間らしくありたいと願う人々の姿とは対照的に、溺れる人々を前に「何もするな」と命じる官憲の非情さが際立ちます。溺れて浜辺に打ち上げられた人に水を与え、救急処置を施そうとする人々をも官憲は引きはがそうとします。

アフリカから無数の筏が流れ着くという構造問題に、一人を助けたからと言って問題の解決にはならないという現実もあります。ましてや島の主な産業は観光。イメージダウンを恐れる意見も噴出し、島は分断してしまいます。

そして、沈んでしまうぐらいにアフリカの人々をいっぱいに載せた小舟と、リゾート気分で浮かれ騒ぐ観光客で溢れかえるレジャーボートとの対比は、この映画で最も印象的なシーンでしょう。
地中海は、北の「持てる人々」と南の「持たざる人々」とがぶつかり合う場所でもあり、リノーサ島は、その最前線と言えるでしょう。

©2011 CATTLEYA SRL・BABE FILMS SAS・FRANCE 2 CINÉMA

 

葛藤を通じて、青年は成長する

実は私はUNHCR職員時代に、安全を求めて逃げてきた人々をかくまった経験があります。組織の規則には反する行為でしたが、怯える人をみすみす追い返すことができず、規則の前に葛藤しながら受け入れたのたのでした。
幸い「出口」を見付けて取りあえずの解決に結びつけることができ、彼らの「隠れ家生活」は2日で終わりましたが、もしあの時、規則を盾に追い返していたら、自分はどんな気持ちに追いやられただろうか、と思わずにはいられません。

映画の主人公のフィリッポが難民を乗せた小舟との遭遇をきっかけに現実を突き付けられ、悶え苦しみ抜きながら自分らしい決断を下すに至るまでの心理描写が素晴らしいと思いました。こうした究極の選択をする体験を通じて、青年は大人へと成長するのでしょう。

極限状態に置かれた人々の姿を描く『異国に生きる』、『海と大陸』、

「自分だったらどんな選択をしただろうか」と考えながらご覧ください!


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第16回 『シュガーマン 奇跡に愛された男』


信じた道をひるまず地道に歩めば、いつかは世界が開ける―-せちがらい世の中だからこそ不器用なミュージシャンの不屈の物語が一層心に染みる。「人生、捨てたものじゃない」と思わせてくれる、第85回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞に輝いた大人のためのおとぎ話をどうぞ!

サンダンス映画祭 ワールドシネマドキュメンタリー部門・審査員特別賞&観客賞

米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞

2013年3月16日からロードショー

公式サイトはこちら

表現者の悲哀

会社や組織を離れて、フリーで執筆したり表現したりすることを仕事にするようになり、何をするにもついて回ることがあります。

それは、ズバリ、「売れるか、売れないか」。

いくら自信作を表現者として世に出しても、それがマーケットから評価されて売れなければ、今後につながらないという厳しい現実があります。

私も自分が書いた本の売れ行きや出演した番組の視聴率が気にならない、と言ったらウソになります。

コツコツ表現し続けていくことこそが大切だと信じて、マイペースで行こうと思ってはいますが。トホホ……。

そんな表現の世界に身を置くようになった私を、一筋の希望の光のように励ましてくれる、そんな温かなドキュメンタリー映画に出会いました。

それが『シュガーマン 奇跡に愛された男』

field Pictures / The Documentary Company 2012

才能にも関わらず売れなかったために忽然と姿を消したミュージシャンをめぐる、夢と希望の物語です

賞レースを勝ち抜いて見事先日のアカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を獲得したのですから、さらに励まされます!

地球の裏側で一大ムーブメントに

マーケットから厳しい評価を突き付けられ、葬り去られたミュージシャンがいました。その名はロドリゲス。

1960年代後期のアメリカ・ミシガン州の自動車の街デトロイトのバーやクラブで、市井の人々の姿をつづった歌を演奏しているうちに、音楽プロデューサーの目に留まってデビュー。

『シュガーマン』は彼の一曲のタイトルから取ったものですが、「シュガー」とはスラングで麻薬・コカイン・ヘロインのことです。

ield Pictures / The Documentary Company 2012

吟遊詩人ボブ・ディランと並び評されるなど期待を集め、レコードを2枚発表しましたが、泣かず飛ばずに終わってしまいます。

結局音楽レーベルからも契約を解除され、ロドリゲスは音楽シーンから完全に姿をくらまし、彼の消息は途絶えます。

しかし、彼は知りませんでした。

地球の裏側の南アフリカで、彼の音楽が驚異的にヒットしていたことを。

本国アメリカではまったく見向きもされなかったロドリゲスの音楽は、アパルトヘイト政策で世界から孤立していた南アフリカで口コミによって広まり、アルバムセールス50万枚以上という人気となったのです。

彼はエルビス・プレスリーやローリング・ストーンズ、ビートルズ以上の大物として認知され、彼の反体制的な歌詞は、南アフリカで反アパルトヘイト運動を展開する若者たちを精神的に支える音楽になっていきました。

しかし、ロドリゲスには印税も一切支払われませんでした。ロドリゲスの存在は謎に包まれ、情報もまったくないまま、彼の音楽だけが一人歩きしていたのです。

ファンの執念とロドリゲスの地道な努力が奇跡を起こす

「ロドリゲス死亡」にまつわる様々な噂が飛び交う中、南アフリカの熱狂的なファン2人がその真偽を突きとめようと、個人的な興味から調査に立ち上がります。執念とも言えるリサーチの結果、彼らは衝撃的な真実にぶつかり、狂喜乱舞します。

まさに「dream come true」でした。

ネタバレになってはいけないので、ここから先は詳しくは書きません。

私は、この映画に引き込まれ、サスペンスにも似た大どんでん返しに、鳥肌が立ちました。

ぜひ映画館で、この映画のあたたかな通奏低音に触れてほしいと思います。「この世の中、捨てたものじゃない」と勇気づけられます。

観客が感情をあまり表さない日本では珍しいことだと思いますが、試写会では上映終了後に客席から自然と拍手が沸き起こりました。

ロドリゲスのように、地道に信じた道を、自分の理想に誠実にコツコツと歩みを続けていけば、きっといつかは何かにつながる。

そんなことを思わせてくれる映画です。

音楽好きがつくった映画

この映画、ロドリゲスのつくった作品世界や、彼の音楽に関わった音楽業界の関係者、そして熱狂的なファンの視点が、いずれもとても情熱的に、丁寧かつぬくもりをもって描かれているのが印象的です。

ひと目で「音楽好きの人が作った映画だろうな」と思いました。

スウェーデン人のマリク・ベンジェルール監督のプロフィールを見て大納得。

ミュージシャンとして活動後、ドイツのクラフトワークのドキュメンタリーや、ビョーク、スティング、エルトン・ジョン、U2、マドンナ、カイリー・ミノーグ、プリンスなど有名アーチストのドキュメンタリーを製作するという、大の音楽通なのです。

音楽を軸に、ロドリゲスのみならず、彼に関わった、パッションあふれる人々の息遣いが聞こえるような作品。

ちなみに、この映画のサウンドトラックが発売され、その印税はちゃんとロドリゲスに支払われているそうです!

大人のメルヘンをどうぞ劇場でご堪能あれ!


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