アフリカの事を話す時に僕が考えること。

「授業中に寝るな!」

 

・・・と怒られた経験。

多くの人にあると思います。

でも、自分が講演などをさせてもらうようになって思ったこと。

 

「寝かせるような話をする方が悪い」

 

どんなに寝不足な人でも目が覚えてしまうような、

前日色々あって気が散ってる人でも耳をすませてしまうような、

そんな話をすることを理想に掲げるべきです。

 

・・・と、かっこいいこと言いながら、

僕は講演の時、よく率直にこうお願いします。

 

「寝ないで聞いて欲しいです」

 

なぜか。

 

僕はTABLE FOR TWOという活動を4年前から続けてきました。

詳細はこちらを読んでいただくとして、

活動の一面だけを語れば、

飢餓にあえぐアフリカ諸国に学校給食を届ける活動です。

 

僕が講演などで話す内容は、

主に2010年に訪問した支援国のウガンダ・ルワンダの事です。

僕は話の中で、

いわゆる「貧しい村に住む人たち」の写真を使います。

ゴミ捨て場の前に裸足で座っていた捨て子の写真も使います。

勝手に。

衝動的に撮ってしまった写真です。

 

 

 

 

 

 

そして、彼らのことを克明に語ります。

 

 

 

これ、どう思いますか?

 

 

 

これははっきりいって、

彼らを「曝しもの」にしているようなものです。

彼らにしてみれば、

土足で村に入ってきて好きに写真を撮っていったムズング(外国人)たちによって、

母国の見知らぬ人たちに自分たちのことを曝されているんです。

 

だから、その写真を使い話すその瞬間まで、罪悪感に襲われます。

なんて残酷なことをしようとしているのだと自己嫌悪に陥ります。

「やっぱり自分なんかが勝手に曝していいものじゃない」と悩みます。

 

でも、

「この写真を見る事で良いアクションを起こす人が一人でも増えれば・・・ 」

「そのアクションが巡り巡って彼らのためになれば・・・」

と、身勝手な解釈を始めます。

 

そして、悩み抜いた先の、

その時の暫定的な、だけどいつも同じ結論に達します。

 

 

 

「どんなに呵責があっても、真実を見せよう」

 

 

 

「残酷」「非礼」と言うレッテルを背負う覚悟を持って、

見てきた者として語ろう。

話す機会をいただくたびに、

同じ葛藤を毎回くぐり抜けてこの結論に達し、語っています。

その責任感を聞き手にも共有させることが正しいのかは分からないけれど、

 

僕もそれなりの覚悟を持って喋ります。

だから、それなりの覚悟を持って聞いてください。

 

そう、お願いしています。

 

正直、それでも眠そうな目を見ることもあります。

うつむいていて何を考えているか分からない人も見ます。

僕の力不足です。

そんな時、心が揺らぎますが、

まっすぐに真剣に、こっちを見てくれる目も確実にあります。

 

向いていないベクトルをこちらに向けてもらう努力も当然必要。

だけど、そこを嘆くことよりも、

まずはしっかり向いてくれているベクトルに対してしっかり応えたい。

 

そんな人たち、「一人ひとり」の目を、

僕はちゃんと見れているだろうか。

「聴衆全体」を眺めているだけになっていないか。

原稿を見ないで顔を上げて語れればいいという話ではない。

「1」の大切さを語る身として、

そこいてくれて、時間を割いて耳を傾けてくれている人たち、

一人ひとりに向けて語りかけることができているだろうか。

「全体」への語りかけではなく、「一人ひとり」に語れているだろうか。

 

 

 

話す機会がある度に、

こういった色んなことを悩み抜きます。

僕にできることは、

毎回真摯に考え抜いた結果、

その時の暫定的な自分を出し切ること。

 

悩み続ける覚悟です。

真摯に悩めなくなった時が、

伝える活動の終わりの時だと思います。