欠落・空白の力 ?「独創・独奏」を「共創・協奏」にするには?

今日のテーマは、一言で言うと「人を引き寄せるためには」だと思います。

組織を率いる立場にいたり、プレゼンを任されたりした時、
こんな風に思いませんか?

 

「どうやったらみんな高いモチベーションで一緒に頑張ってくれるかな?」
「どうしたら聞き手を前のめりにさせるようなプレゼンができるかな?」

 

僕もずいぶん「何が必要かな?」と考えてきたのですが、
ひとつ面白い結論が見つかったんです。
今日の記事で最終的に言いたい事は、ずばり・・・

 

「空白・欠落が人を引き寄せる」

 

です。

 

どうしてそう考えたのか。
ヒントは、あの有名作家:村上春樹から得ました。
ちょっと長くなりますけど、ご容赦。

 

彼のインタビュー集で「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」という本があります。

 

『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997?2009』 著:村上春樹、文藝春秋

 

彼の作品はまだ「海辺のカフカ」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」しか読んだことがないのですが、
このインタビュー集はめちゃめちゃ面白かったです。

彼が小説家になったきっかけ、
普段のライフスタイル、
作品の出来上がり方、

などなど彼の哲学に触れ、500ページ以上あるのにノンストップで読んでしまいました。
もう一度読み返したいと思わせてくれる本です。

 

その中でも特に、次の言葉がとても印象的だったんです。

 

『僕にとって潜在意識は「テラ・インコグニタ(未知の大地)」なのです。僕としては、そこからいちいち意味を読みとったりはしたくないのです。それをそのまま総体として受容したい。』

 

彼の作品を読んでいると、人間の深層心理(潜在意識)に触れるような、
非科学的で不思議なシーン・・・
はっきり言ってしまって「意味がありそうでよく分からないシーン」がしょっちゅう出てきます(笑)

そんな彼の「テラ・インコグニタ」に触れた時、読者は色々考えます。

「あのシーンって、こういう意味なんじゃないだろうか・・・」
「もしかして現実世界のあの出来事を暗示してるんじゃないか・・・」

などなど。

僕もいろいろ考えましたが、
結局なんだったのか分からず読み終わってしまっているシーンが多々あります(笑)

そんなこんなで、「村上春樹解体新書 」みたいな第三者が書いた説明本みたいんなものがわんさか出ているそう。
それで、インタビューの中でも聞かれるわけです。

「あのシーンの意味ってこうなんですか?」

みたいに。

 

・・・で、大事なのはここから。

 

それに対する村上春樹の応え方がすっごい面白いんです。

 

「きっとこの時、主人公の●●の心境ってこうだったんじゃないかって思うんですよね。」
「だからこのシーンにはこういう暗示がある可能性もありそうですよね。」

 

・・・

 

まるで、他者が書いた作品を評論しているかのような応え方なんです(笑)。
自分の作品なのに、自分でも分かっていないような。

だから引用したように、
「テラ・インコグニタ」から自分で取り出してきたものに対して、
「いちいち意味を読みとったりしない」し、
「そのまま総体として受容」して、
感じ取ったがままに筆を動かしてるだけなのかもしれないです。

彼曰く、作品のストーリー展開すら、書いてるその時は分からないそうですから(笑)
究極の読者目線。

 

そこで気づいたのは、
彼の作品の魅力ってまさにそこなんじゃないかなってことなんです。

 

作者自身もはっきり分かってないメタファーのようなものを、
説明も解釈も無しに、ある意味不親切に読者にぶん投げてくるわけです。

そんなもん、ほとんどの読者が簡単に分かるはずもない。

そういう意味で、誤解を恐れずに言えば、
彼の作品はある意味「不完全」で「欠落」があるんです。

 

でも、その欠落・空白部分こそが、
読者の想像力を刺激して、
前のめりにさせて彼の世界に引きづり込むことができるのではないでしょうか?

完成し過ぎたものに対しては、読者が能動的に関与できる部分は少ないんです。
ジブリ映画の作曲家で有名な久石譲さんも同じようなことを、

「音楽は、説明過剰になってはいけないんです。」

角川書店の『感動をつくれますか?』という著書の中で仰っていました。
僕はすぐに何でもかんでも意味・意義を言葉にしなければ気が済まないタイプなので、
よく説明過剰になります(笑)。

 

・・・

 

そろそろ結論へ。

 

説明や解釈のされていない「空白・欠落」を埋めようと、
読み手・聴き手が前のめりになったとき、

その作品は「作者の独創・独奏」を越えた、
「他者との共創・協奏」になります。

この「他者との共創・協奏」の状態が、
「人を引き寄せている」ということなのでは。

 

と考えます。

 

団体のミーティング一つとってもそう。

アジェンダを準備してきたリーダーが何から何まで答えを考えてきて片っ端から提示 していたら、
そこにメンバーとの共創の余地はありません。
仲間を前のめりにさせることはできません。

実は少しばかり度胸のいることだとは思いますが、
あえて空白・欠落を残しておくことは、
それを埋めてくれる仲間への信頼の証であり、
共創の始まりだと思います。

組織は、独創ではできない大きな事を、共創の力で成し遂げるためにあり、
プレゼンは聞き手を前のめりにさせて共感を得るためにあるんです。
(時々「圧倒してやろう・すごいって思わせてやろう」って意気込みでプレゼンする人がいますが、
それって相手を「後ろ倒し」にしているわけで、目的の逆だと思っています。)

 

ただ、全くの空白だと困っちゃったりすると思うので、
組織の現状、その時必要なスピード感、相手の想像力の発揮具合、などを見ながら、
絶妙な具合で空白を準備しておくことが大事です。

ミーティングのアジェンダ作りしたことある人ならきっとピンとくると思います。

 

自分のことを「取り柄がない」「できることがないと」思ってる人は、
そういう建設的な欠落・空白を自然と生みだす才能を持っている可能性が高いです。
言いかえれば人を引き寄せる才能、共創・協奏を生みだす才能です。

「何かができる」状態は、努力でなんとか作れることはあります。
だけど「何かができない」という状態は、
一度できるようになってしまうと滅多に「できない」には戻れません。
「何かができる」と違って、「何かができない」は、努力しても手に入らないんです。

もしかしたら何かが「できない」というのは、最高の贈り物に「なるかも」しれませんね。

 

・・・

 

余談ですが、
村上春樹は毎日ランニングを欠かさないそうです。
かなりのランナーですよ。

それは、彼が創作活動の中でテラ・インコグニタ(「心の地下室のようなところ」とも表現しています)に行くに当たり、
そこからきちんと日常世界に戻ってくるための体力を養う為なんですって。

 

「深層」には不思議な引力があると僕も思います。
「普段の自分では知覚できないものを探り当てたい」
そんな誘惑に駆られて、時々一人潜っていこうとします。
だけど、そこはとても暗くて、孤独で、肌寒くて、
出口を見失うにはあまりにも危険な場所。

最近運動不足だったし、少しずつ体の重みも取れてきている(と信じたい)ので、
僕もランニングしようかな?と思います。

 

・・・

 

今日はそんなところで。

村上春樹ファンの方、2作品しか読んでないど素人の生意気、
どうかご容赦。

ご意見あったらぜひ?

欠落・空白の力 ?「独創・独奏」を「共創・協奏」にするには?」への2件のフィードバック

  1. しばりな

    これ、ぐさっっときました。
    今イベントの統括をしているのですが、スムーズに進むMTGにしたいと思いすぎて、アジェンダを細かすぎるくらいに作ってしまっていた感があったので、ゆうやさんのこの記事を読んで目が覚めました。
    バランスが難しいですね><手探りで頑張ります。

    返信
    1. ゆーや 投稿作成者

      しばりな

      読んでくれてありがとう!
      バランス難しいよね?、
      建設的な議論ができる余白も残したいけど、
      残された時間を考えるとある程度確定させておかねば・・・みたいなね。

      でもそのバランスの重要性に気付けた上に、
      手探りしていく覚悟があるのであれば、
      きっといい方向に向かうと思うよ!

      残りの任期、がんばって。

      ゆ?や

      返信

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