『ジョージィの物語』ストーリー

これは、一人の母親の喪失と再生の物語である。

2001年1月、幸せな家族を悲劇が襲った――。
世界トップクラスの病院で治療を受けていた1歳半のジョージィは、コミュニケーションの行き違いが招いた医療事故のため、命を落としてしまう。

娘の死を受け入れられない母ソレル。
病院との対立、夫婦の危機、苦悩と葛藤……絶望の底に沈んでいた彼女は、心ある人々の支えで少しずつ自分を取り戻していく。

ある日、医療事故で落とす人があまりにも多い現状を知り、ソレルは新たな決意を固める。それは和解金を使って財団を設立し、事故を起こした病院で安全への取り組みを始めることだった。

問題の大きさと複雑さに翻弄されながらも、多くの協力者と出会い一歩ずつ前へ進んでいく。

父を医療事故で失い、病院の改革に身を捧げる若き医師。
医療事故を繰り返さないと誓う看護師たち。
そして、同じ悲劇に見舞われた無数の患者と家族たち。

「医療事故で苦しむのは、関わったすべての人なのだ」
さまざまな人との出会いと触れ合いのなかで見えてきたものとは……。

「世界を変える50人の女性」に選ばれた著者が贈る渾身のメッセージ。


※2015年2月24日発売開始予定
日本語版への序文(豊田郁子/IMSグループ新葛飾病院 セーフティーマネージャー、患者家族と医療をつなぐNPO法人「架け橋」理事長)

プロローグ 写真

Part 1 悲劇
1.緑色の屋根の家
2.悲鳴
3.国内最高の医療機関
4.凍てつく日の別れ
5.弔いの鐘
6.根本原因分析会議

Part 2 喪失から再生へ
7.埋葬
8.子供を亡くした夫婦
9.ジャックの願いごと
10.悲嘆セラピー
11.転機

Part 3 変化
12.ジョージィ・キング財団
13.動きだした活動
14.新しい命
15.医師たちの苦悩
16.許すことの意味
17.感謝のつまったバインダー
18.被害者たちの声
19.十万人の命を救えキャンペーン
20.断絶にかける橋
21.小さな町の奇跡

エピローグ 粉雪(パウダースノウ)の日々

日本の読者の皆様へ
謝辞

解説 対立の、その先へ(奥田昌子)
情報の手引き
〈ジョージィの物語——患者安全カリキュラム〉サンプル版

プロローグ 写真

誕生日のプレゼントにトニーからもらった新しいニコンのカメラを手にして、三十五ミリレンズからキャップをはずし、ビーチハウスのポーチに立って海のほうへ広がる芝生を眺めた。水平線へと沈みかけた太陽が、毎日泳いだ埠頭の中央桟橋付近に温かい光を投げかけていた。夏休み最後の日だった。自転車は車のうしろに積まれ、冷蔵庫は空っぽになり、あとは明朝、島を離れる七時のフェリーにまにあうように荷物を積みこめばいいだけだった。

「光の具合を見て。完璧。クリスマス・カードにする写真が撮れると思わない?」カメラのレンズを覗きながら、わたしはトニーにいった。

トニーはこちらまで歩いてきてわたしの横に並び、ハンモックを揺らしている四人を眺めた。「子供たちは写真を撮られるのをひどくいやがるからね。うまく騙さないと」

そこで一人ひとりに小さなビニール袋を渡し、最後にもういちど浜辺のガラス片を集めにいこうと誘った。

六歳のジャックと五歳のレリは、ビニール袋をつかんで未舗装の道路を桟橋へと駆けていった。三歳のエバを抱きあげようと手を伸ばすと、妹のジョージィがエバを押しのけてわたしの脚をつかみ「ママ、ママ」といった。ジョージィは一歳になったばかりだったが、四人きょうだいの末っ子だったので、わがままを通す方法を早くから学んでいた。エバがジョージィを押し返す直前に、トニーが身を屈めてエバを肩にかついだ。トニーが小走りでジャックとレリを追いかけると、エバはその肩の上でぴょこぴょこはずんだ。三人ともビニール袋を空に向かって高く掲げ、風をいっぱいに入れていた。わたしはカメラを首からさげ、ジョージィを腕に抱いてうしろからついていった。

ビーチに着くと、ガラス片を探すのはあとでね、と子供たちに話した。

「ちょっとそこのベンチに座って、写真を撮らせてくれない?」

罠にかけられたとわかると、子供たちはすぐに文句をいいはじめた。

「だってサンタクロースに見せるすてきな写真があったほうがいいじゃない?」というと、子供たちは埠頭の端までついてきて、いかにも渋々といった顔つきで白いベンチに腰をおろした。

写真を撮るときに「チーズ」といってもうまくいったためしがない。それは「チーズバーガー」でもおなじだった。「クリスマスが大好き」や「サンタクロース」のような気を惹く言葉を使っても、子供たちを喜ばせ、笑わせることはできそうになかった。お互いに突きあったり、ぐずぐずいったりしている四人の“王様”を笑わせるには、本物のコメディが必要だった。

「準備はいいかい?」カメラを構えたわたしに、トニーが尋ねた。

「ええ」と答え、わたしは五歩さがった。トニーがうしろで踊ったりおかしな顔をしてみせたりするあいだ、わたしはレンズ越しに笑顔を捉えようと待ちかまえた。

「いい写真が撮れた?」とトニーが尋ねた。彼が飛びまわる音が聞こえてくる。

「駄目、ぜんぜん笑ってない」

「じゃあ、これならどうかな」

わたしたちはトニーが埠頭を駆けおりるのを見守った。トニーはビーチで何かを拾って駆け戻ってきた。拾ったものはうしろに隠している。

「オーケイ、準備して」とトニー。

カメラを構え、レンズを覗いていると、四人が笑いだした。首筋に水滴が落ちてくる。トニーが濡れた海藻をわたしの頭にのせたのだ。切れ端を肩にものせている。わたしはやめてと悲鳴をあげた。笑顔を捉えることはできていたが、風がやんでレリの髪が顔にかからなくなるのを、そしてエバが指しゃぶりをやめるのを待った。

カメラをおろし、ジョージィが兄の肩につかまって立ちあがるのをじっと見つめる。ジョージィはぽっちゃりした脚を広げてうまくバランスを取り、わたしを見た。いまだ。ほほえんだり声をたてて笑ったりしている四人の子供たち。その幸せそうな顔が、穏やかな夏の夕陽に照らされている。わたしはオート・フォーカスのボタンを押し、シャッターを切った。完璧な瞬間を捉えた。

これが、四人が一緒に写った最後の写真になった。

半年後にジョージィは亡くなり、それまでの暮らしは終わりを告げた。

あの写真はジョージィの遺灰を入れた小さな木の箱に貼られ、地中深く埋められることになった。おなじ写真が、世界中の何百、何千もの医療関係者に話をするときに、わたしの背後のスクリーンに映しだされることにもなった。ジョージィの死から何カ月も、何年も経っても、あの写真のジョージィの顔を見るとつらかった。中央桟橋にいたあの日のことを思いだすとつらかった。

あれは、髪をうしろに撫でつけてリボンをつけたり、きれいなワンピースやブレザーを着たりして撮るふつうの家族写真ではなかった。わたしたちの家族写真だった。父親が笑いながらわたしの頭にどさどさ海藻をのせるのを見て、レリはかん高い笑い声をあげ、絡まった髪を顔から払いのけた。ジャックは顔を横に向けてレリを見ている。エバは膝を薄いブルーのサンドレスのなかに引きあげて座り、口から指を離したところだった。

ジョージィはライオンの飾りのついたサンダルを履いてしっかりと立ち、一方の腕をぴったり脇につけている。いまにもその腕をあげて「だっこして」といいそうだ。反対の手には湿ったグラハムクラッカーを握りしめており、淡いグリーンのサンドレスのいたるところにそのクラッカーのかけらが散っている。茶色い髪は、黄色のヘアクリップでうしろに留めてある。少しまえにレリがつけたものだ。ジョージィはカメラを―レンズ越しにわたしの目を―じっと見つめている。首を傾げ、わたしに笑いかけている。半笑いの顔。

ジョージィが亡くなって六年になる。

いまこの写真を見ても、焼けつくような痛みは感じない。ジャックとレリとエバの成長に目を見張る。それでも、ジョージィの目はわたしを見つめているように思える。写真に顔を近づけ、穏やかに笑ったジョージィの顔を覗きこむと、あの日、あの埠頭で、わたしたち全員が知らなかったことをジョージィだけは知っていたのかもしれない、と思えてくる。



日本語版への序文

IMSグループ新葛飾病院 セーフティーマネージャー
患者・家族と医療をつなぐNPO法人「架け橋」 理事長

豊田郁子


わたしが本書の著者、ソレルさんに会ったのは、二〇〇八年五月のことでした。ソレルさんは優しい目をした人で、日本から来たわたしを温かく迎え入れてくれました。

ソレルさんが何万人もの人々に語り、書いた「ジョージィの物語」は全米で話題になったストーリーです。ほとんどの人が何らかの形で関わる「医療」について、あまり知られていなかった大きな問題を広く伝え、共感を呼んだだけでなく、多くの医師や看護師の行動を促し、また多くの患者やその家族の人々が、医療との向き合い方を問いなおすことにもつながりました。ひとつの物語が社会に大きな動きを生み出したのです。

ソレルさんは次のように語ってくださいました。

「米国の医療では、患者のストーリーはデータよりも意味を持つと考えられています」

まさに、最も大切な視点だと思いました。

ソレルさんを訪れたあと、本書に登場するプロノボスト医師や、MITSS(医療により外傷を負った人々への支援サービス)を設立したリンダ・ケニーさんとブリガム・アンド・ウィメンズ病院の医師、そしてIHI(医療の質改善研究所)の方々ともお会いしました。彼らの取り組みについてお話を伺うなかで、幾万の数字ではなく、たった一人の小さな女の子の物語が大きな影響を及ぼしていることを実感しました。

わたしはソレルさんと非常によく似た経験をしています。二〇〇三年に医療事故で五歳の息子を亡くしました。明け方に強い腹痛を訴えた息子を救急病院に二度受診させましたが、担当医師の誤診、医師と看護師間の引き継ぎミスにより、入院から二時間半後、病室に医師が訪れることもないまま、息子の心肺は停止しました。後に、死因は緊急度の高い重症の絞扼性イレウスだったことが分かりました。

病院は当初、「最善を尽くした」としていましたが、内部告発により事故の事実が明らかになりました。ほんとうに言葉にできないほどの悲しみと怒りを感じ、病院を恨みました。大切な人が亡くなった悲しみに加えて、病院が家族の声に耳を傾けようとしなかったからです。二次被害を受けたとしか思えませんでした。

それでも、多くの人と出会うなかで、悲しみと怒りのエネルギーに縛られたままではだめだと思うようになりました。自分だからこそできることを考え、医療改善のための講演活動を始め、病院のセーフティーマネージャーの職に就きました。

そんなわたしにとって、ソレルさんは同志とも言える存在です。自分のつらい経験を、勇気をもって語ることで大きな変化を生み出してきたソレルさんに対して尊敬の念をいだき、わたし自身とても勇気づけられました。

皆さんは、医療事故と聞くと、どのようなイメージを持ちますか。実際に経験したことがないからよく分からないし、関心がないという方は少なくないと思います。しかし、実は医療事故は、交通事故よりもずっと多いのです。一般の方が知らない理由は、これまで医療事故の多くが明らかにされてこなかったため、実情を知る術がなかったのです。

では、事故を減らすためには何が必要でしょうか。

一九九九年に起きた医療事故をきっかけに、医療安全についての社会的関心が高まりました。それから十五年、さまざまな取り組みがなされてきています。しかし、一般的な認知はまだまだ低く、課題も多いのが現状です。

この職に就いてから医療安全のことを学んで気づいたのは、病院の現場に患者・家族の声が生かされていないことでした。講演等で患者の声を聴く取り組みは行われていましたが、患者の声をどう生かせばよいのか、具体的な方策が見えていませんでした。わたしは、患者に従って医療を変えさえすれば問題が解決すると思っているわけではありません。しかし、患者やその家族の声は、医療事故の再発防止や改善の基本になると考えています。

ところが医療現場にはそのような考え方はまだ浸透しておらず、推し進めようとしたわたしの活動は三年で行き詰まりました。

自信を失いかけたころ、二〇〇七年に『沈黙の壁』(日本評論社)を読んでソレルさんの活動を知り、翌年思い切って米国に飛んで会いに行きました。ソレルさんは「コミュニケーションの問題は変えられます」と語ってくれました。ほかの医師たちも異口同音に同様のことを話され、医療者と患者のパートナーシップの重要性について熱心に語っていました。そして、患者やその家族が医療安全対策に参加し、医療者とパートナーシップを築く取り組みが実践されていたのを目の当たりにして、とても感動しました。このような変化が生まれるために、「物語」が大きな役割を果たしたのだと思います。

改めて本書を読み直してみて、医療現場に携わる立場として、また一人の母親として多くの気づきと学びがありました。

医療に携わる方々には、この本を通して多くのことを感じ、医療現場をより安全にするための参考にしてほしいと願っています。また一般の方々にとって、医療事故は決して他人事ではないことを知っていただきたいのと同時に、事故をただ怖がるのではなく、わたしたちが何をしていくことが大切なのかを考えるきっかけになってほしいと願っています。

わたしはこの本で、子どもを失った母親としてたくさんのことを共感し、たくさんのことを教えていただきました。ソレルさんが、自らの体験とつらい思いをここまで赤裸々に綴られるのにどれだけの勇気を必要としたのかは計り知れませんが、ソレルさんの勇気がこれからも多くの人を支え、多くの人を救うのだと信じています。

本書の出版に尽力された皆様に感謝するとともに、ソレルさんの勇気に心から敬意を表します。


著者紹介


ソレル・キング氏講演動画(日本語字幕つき)

ソレル・キング Sorrel King

ジョージィ・キング財団設立者、代表。4人の子どもを育てる専業主婦だったが医療事故で末娘ジョージィをなくす。その後、事故に対する和解金をもとに財団を設立し、医療の安全を推進するための活動をおこなっている。娘の事故の経 緯を話した講演DVDは数千の医療機関で上映され、大きな反響を呼んだ。患者側も緊急の対応を要請できる〈早期対応チーム(RRT)〉、入院患者の医療参加を支援する〈入院日誌(ケア・ジャーナル)〉、医療従事者の心理ストレスを軽減する〈医療者への支援(ケア・フォー・ザ・ケアギバー)〉プログラム、〈看護師日誌(ナース・ジャーナル)〉、教育プログラム〈患者安全カリキュラム〉などさまざまなツールならびにプログラムを開発。全米各地の病院に導入をすすめている。その功績が称えられ『ウーマンズ・デイ』誌の「2010年 世界を変える50人の女性」に選ばれた。

「ジョージィ・キング財団」公式サイト(英語)


[訳者]
奥田昌子 Masako Okuda
京都大学大学院医学研究科修了、京都大学博士(医学)。現在は内科医、医療専門学校講師として勤務のかたわら、医学文献、医学書の翻訳に従事。患者安全分野の論文、ガイドラインの翻訳多数。訳書に『身体(からだ)が見える・疾患を学ぶ 解剖アトラス』(メディカ出版)など。

高山真由美 Mayumi Takayama
東京生まれ。翻訳者。共訳書にヨリス・ライエンダイク『こうして世界は誤解する』(英治出版)、訳書にアッティカ・ロック『黒き水のうねり』、サラ・ブレーデル『見えない傷痕』(ともに早川書房)、ポール・タフ『成功する子 失敗する子』(英治出版)など。

読者からの声

読みはじめたら止まらなくなり、
一晩で読み切ってしまいました。

(20代女性・病院勤務)
誰もができるわけではないことを成し遂げていくさまに、
子を想う母の愛情と強さを感じました。

(40代女性・主婦)
ふつうの人間でも強い意志に支えられれば
社会の大きなしくみを変えられる
という実話に感動しました。

(50代男性・医師)
医療だけでなく、いろいろな人、どんな人にも気づきになる内容だと思いました。
生き方そのものも考えさせられました。

(30代女性・看護師)

推薦の言葉

日本における医療安全の取り組みは、二〇一五年に開催される第十回医療の質・安全学会の活動や同学会が中心になって展開されている医療安全全国共同行動の広がりなど、この十五年で大きな進歩を遂げてきました。しかし、患者の安全を確立する取り組みはまだ緒についたばかりです。これからの日本の医療がより安全になるために、本書に紹介されている事例に学ぶことが数多く、一読して広く国民の皆様に是非読んでいただきたいと思いました。

髙久史麿
日本医学会長、医療の質・安全学会 理事長


本書は、一歳半の幼いわが子を、思いもかけない医療事故で亡くした母親の立ち直りの記録である。その立ち直りの経過が、米国医療の患者安全確保を推進し、事故の加害者となった医療者の立ち直りの支援ともなった。一九九九年に米国医学研究所は報告書『人はだれでも間違える』(To Err is Human)の中で、約十万人の防げる可能性のある命が失われていると述べている。その命の、一つ一つにジョージィの物語があることを忘れてはならない。

嶋森好子
東京都看護協会 会長


あなたは知っているだろうか。米国一といわれたジョンズ・ホプキンス病院でも医療事故があったことを。事故によって娘を失った母親が、深い悲しみと強い怒りから、「ジョンズ・ホプキンスを破滅させるために自分でできることは全てする」と話していたことを。夫婦に離婚の危機がせまり、家族の絆が壊れつつあったことを。事故に関わった医療者もまた苦悩していたことを。その後、この母親が怒りのエネルギーを患者安全を推進する力に変え、医療者と協働して活動を全米に広げ、そして「私たちは幸せだ」と断言できるようになったことを。

患者安全はグローバルな課題である。2002年のWHO世界保健総会決議において、全加盟国が患者安全に可能な限りの最大の注意を払い、患者安全および医療の質の向上に資する科学的根拠に基づいたシステム構築を求めた。患者・家族との協働は当初からWHOが掲げる優先課題であり、〈患者安全のための患者(Patients for Patient Safety〉プログラムはその取組みの1つである。世界中で患者安全を推進する患者・家族の「チャンピオン」から学んだことが少なくとも2つある。1つは、患者・家族との協働の推進には、医療者の患者家族への支援が不可欠である。そしてもう1つは患者・家族が患者安全に果たす役割に限界はない。この物語はこれらを私たちに教えてくれている。

種田憲一郎
WHO西太平洋地域事務局 患者安全専門官


著者は「事実が知識をもたらすこと、物語が知恵をもたらすこと、そして変化を促すにはデータや統計以上のものが必要なケースもあるということ」に気づいたといいます。根本原因分析、ラピッド・レスポンス・システム、十万人の命を救えキャンペーンといった医療安全の取り組みの物語も学ぶことができる一冊として。何より、それでも人は悲しみを乗り越えることができる、わかりあえる、許しあえる、そして変えることができるという、希望を新たにすることができる一冊として、この「喪失が前向きな取り組みへと変わる過程を描いた」物語を。

鮎澤純子
九州大学大学院医学研究院 医療・経営管理学講座 准教授、九州大学病院 病院長補佐


「何か奇跡みたいな方法があるんでしょう?」「奇跡はありません」―医師団は言い放つ。米国医療の最高峰、ジョンズ・ホプキンス大学病院で起きた医療事故。その事故で娘を失った一人の母親が、亡くなった娘とともにやがて全米に奇跡を起こす。その奇跡は海を越え、今まさに私たちの国に届こうとしている。

医療あるところにリスクが生まれる。これは人類が等しく学ばなくてはならない、悲しい真理と再生の物語である。

長尾能雅
名古屋大学医学部附属病院 副病院長、医療の質・安全管理部 教授


ソレル・キングさんが1歳半のジョージィちゃんを麻酔薬の誤使用でなくしたとき、病院の対応は、日本の多くの医療機関とは対照的でした。全面的に非を認め、和解金を支払いました。ソレルさんは、和解金で、ジョージィ・キング財団をつくり被害体験を語り始めました。そして、アメリカでは、「被害者の体験の物語こそ、データ以上に大切」といわれるようになりました。物語が人の心を動かし、病院の文化を変えていったからです。

日本でも、患者・家族と医療をつなぐ「架け橋」というNPOが、医療者の中に新しい文化を根付かせる運動を始めています。ミスがあっても、隠さず、逃げずに、誠実に患者や家族に向き合う、そういう文化です。この運動を始めた人々には共通した思いがありました。

「医療事故の当事者は、患者・家族、医療者、どちらも、心の底まで深く傷ついている」「当事者どうしが誠実に対話を重ねていくことで、小さな信頼が次第に大きな信頼に結びつく」。

この本が広く読まれることで、日本に、患者と医療者の真のパートナーシップの文化が育ち、深まっていくことを願っています。

大熊由紀子
国際医療福祉大学大学院 教授、ジャーナリスト
『患者の声を医療に生かす』著者


同じ医療事故被害者遺族として、著者の経験と活動に共感するところが多かった。患者と心ある医療従事者とが手をつなぐと、医療はこんなにも変わるのだということを改めて確信した。

永井裕之
医療の良心を守る市民の会 代表


本書を読了し、10数年前のことが、まざまざと思い出されました。

2003年3月14日、ワシントンDCにて開催された、第5回全米患者安全会議(National Patient Safety Foundation)で、「物語はあなたの人生を変える」というパネルディスカッションに1000人の聴衆が聞き入りました。登壇した女性が、信頼していた名門病院で、わずか数歳の愛娘が医療事故によって死亡した悲痛な体験を、淡々と涙ながらに話し始めると、場内は静まりかえりました。

「怒りと悲しみが癒されるのは、決してお金ではありません。謝ってほしいsay sorry、本当のことを教えてほしい tell the truth、もう起きないようにしてほしい fix it、ただその3つだけなのです。」と繰り返し強調し、「事件後に病院関係者がすぐ訪問してくれて、すべてを透明(transparency)に 教えてくれた(disclosure) ので、病院を訴えることなく、和解成立後に、そのお金で愛娘の名を冠した医療事故防止基金を、病院内に設立しました。」と語り終えると、大きな拍手が起こるとともに、場内の参加者はみな自発的に立ち上がりました。

この発表者が、本書の著者、ソレル・キング夫人その人だったのです。次の演者は、当時は助教授だったプロボノスト氏で、彼自身の父親も医療事故で亡くなったことから説き起こし、医療者として、ジョンスホプキンス大学としてなすべきことを発表し、看護の立場から2人、経営の立場からもコメントがなされました。その後のフロアも交えた質疑応答は非常に活発でした。医師側からは「簡単に謝って訴えられるのが怖いのだが」という正直な質問も投げかけられましたが、プロボノスト助教授が「正直であることを基礎にして、過ちを責めない(blame free)文化を、リーダーシップにより作っていくことが重要ではないでしょうか」と締めくくりました。さらに驚いたことに参加者には医学生もいて、「私は学生だが、このような機会を医学教育に入れるべきである」という意見に多くの人が拍手を送りました。

隣に座っていた米国人内科医に「米国は進んでいる。日本から参加して本当に勉強になった。」と話しかけると、「いゃ、こんなこと自分の病院ではとてもできない。信じられない。」という生々しい返事が返ってきました。

それから 10数年、医療安全の取り組みは少しずつ進んでいるように見えますが、実際はどうでしょうか。私の見るところ、実行しやすい対策は確かに行われていますが、組織の文化を変えていく段階にはまだ道遠しの状態であると思います。そのためには、こうした患者体験を、医療を学ぶ場に取り入れていく必要があると思います。私は東京医科大学在籍中に WHO患者安全カリキュラムガイド多職種版*) を翻訳いたしましたが、本ガイドでは医療事故事例をまず提示し、そこからヒューマンファクターや組織管理を学ぶように設計されています。

そして本書の訳者の一人、奥田昌子先生は、このWHO患者安全カリキュラムガイド多職種版の翻訳の際にお力添えを頂いた方でして、これもまた本書との不思議な縁を感じているところです。

*) 東京医科大学医学教育学講座HPから全文PDF無償ダウンロード可能です。
http://www.tokyo-med.ac.jp/mededu/news/detail2.html

相馬孝博
公益財団法人日本心臓血圧研究振興会附属 榊原記念病院 副院長


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