第21回 『そしてAKIKOは…~あるダンサーの肖像~』


日本モダンダンス界の先駆者は、1950年代に単身渡米し、家族よりもダンスを優先し、アーティストとしての生き方を極めた人だった。ダンサーとして完全燃焼して2011年にこの世を去ったアキコ・カンダの生き方は、今を生きる私たちに何を伝えるのだろうか。

6月1日より岩波ホールにてロードショー
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「東京国際女性映画祭」のフィナーレを飾る

バブル真っ最中の1985年にスタートした「東京国際女性映画祭」は、昨年の第25回でその歴史に幕を閉じました。

発足当初の目標だった「日本の女性監督の輩出」に一定の成果をあげ、映画祭実行委員の方が高齢化したのも閉幕の一因だったようです。同映画祭のジェネラルプロデューサーを務めてきた高野悦子さんも今年2月に亡くなられました。
最後の映画祭のクロージング作品として上映されたのが、記録映画作家の羽田澄子監督による『そしてAKIKOは…~あるダンサーの肖像~』です。

©自由工房

本作は、50年代に渡米してアメリカのダンス・カンパニーで研鑽を積んだ日本のモダンダンス界の草分け的存在、アキコ・カンダ(1935年生まれ)の生き様を描いたもの。今春、フラメンコ・ダンサーの長嶺ヤス子(1936年生まれ)を追ったドキュメンタリー『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』が劇場公開されましたが、私も日本を飛び出して学び、働いた経験をもつ女性として、先達たちの情熱あふれる軌跡に深く感じるものがありました。

最近では東京の新国立劇場にバレエと並んでダンスのレパートリーが設けられているほか、新潟市の支援で日本初の劇場レジデンシャルダンスカンパニー「Noism(ノイズム)」が誕生して同市を拠点に活動、ダンスも日本で市民権を得るようになりました。
精力的に活躍している日本のコンテンポラリー・ダンスのアーティストも、こうした草分けたちの奮闘があって今があるのだと感じさせてくれる作品です。

命の完全燃焼を記録する

羽田澄子監督は、円熟期を迎えた40代のアキコ・カンダがダンスに生きる姿をドキュメンタリー映画『AKIKO-あるダンサーの肖像-』(1985年)として描いています。

2010年11月、70代半ばを迎えたアキコの姿を羽田監督は再び撮影しはじめました。そこには『安心して老いるために』や『終わりよければすべてよし』など、日本社会の高齢化にこだわって作品をつくってきた羽田監督ならではの目線が感じられます。

撮影開始時には羽田監督も知らなかったのですが、アキコは肺癌に侵されており、撮影が入った公演の直後から入院を余儀なくされます。

©自由工房

2011年9月に予定されていた公演に向けて稽古を再開しますが、ガン転移が発覚。公演開催も危ぶまれたものの、アキコは完璧に舞台をこなします。
そして、そのわずか13日後、彼女は静かにこの世を去ります。

試写会で挨拶に立った羽田監督は、「こんな結末になるなんて思わずに、つくりはじめた作品です」と語っていました。
カメラは、死が目前に迫っているとは思えない、アキコの迫力溢れるダンスを追います。
肉体的にはどんどんやせ細っていくのとは裏腹に、「踊りたい」という欲求の方は逆にどんどん研ぎ澄まされていくようでもありました。こんな小枝、いや爪楊枝ぐらいの身体のどこからそんなエネルギーが湧き溢れてくるのだろう……。

©自由工房

監督はアキコの踊る姿とその楽屋裏を主軸にしつつ、生前、没後双方に周辺の人たちへ取材し、それを織り交ぜることで情熱的に生きたアキコの姿を浮かび上がらせています。最後までアーティストとして生きたアキコについてポツリポツリと語る親族、生前アキコが熱心にダンスを指導した宝塚歌劇団の面々の言葉を丹念に拾います。

芸術家として生きるということ

生前298作品のダンスを制作したアキコは「自分にとってダンスとは何だろう」と自問します。

大学生の頃、世界のモダンダンスを牽引したダンサー兼振付家のマーサ・グラハムの来日公演を観て惚れ込み、大学を中退して渡米してグラハムに師事します。

マーサ・グラハム舞踏団でソリストとして活躍しますが、6年のアメリカ生活にピリオドを打って帰国した後は、自分らしいダンスの追求とグラハムの呪縛に苦しみました。この映画の端々から、そんな彼女の身悶えが感じられます。

アキコには息子が一人いますが、早くから姉に預け、一人芸術の道に生きることを選び取りました。「私は母親としては失格だけど、あなたに『母は、芸術家としては立派だった』と思ってもらえるよう頑張っている」と語ったそうです。言葉にならないほどの迫力溢れるアーティストのアキコと、子どものようなアキコ。息子はその両面をしっかりと受け止め、死期を悟りつつダンスに打ち込む彼女を支えます。

人を抱きしめること

映画の中のアキコは、とにかく人をよく抱擁します。アメリカ時代の習慣の名残かもしれませんが、観客や友人との「一期一会」を大切にし、自分の感情を「抱きしめる」ことによって共有しようとしているかのようにも見えました。ダンスというものの激しさゆえの「感情を共有したい」という気持ちの表れなのかもしれません。

こうした抱擁に表されるような「共有の気持ち」がまいた種は、彼女の死後、残されたダンス・カンパニーや宝塚歌劇団のメンバーたちによって芽を出し、しっかり育ちつつあります。彼女たちは「アキコが伝えてくれたことを、私たちこそがさらに発展させていく」という気概に満ち溢れています。

信仰のようなものに出会う

「ダンスは私にとって何なんだろう?」という問いに対するアキコ自身の答えは、「信仰のようなもの」。そんな敬虔なものを見出すことができれば、これはもう本望でしょう。果たして私たちは、そんな信仰のようなものに出会えているでしょうか?

©自由工房

アキコ・カンダの完全燃焼物語を、皆さんのこれまでと重ね合わせながらご覧になっていただければと思います!


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