第7回 『ニッポンの嘘』 『HIROSHIMA NAGASAKI DOWNLOAD』


写真家の原点となった被爆者との出会いを今も見つめる老練なジャーナリストと、30代で祖父母の世代の被爆のストーリーを紡ぐ映画監督と。いずれも「寄り添い続ける」信念を持って、「被爆」という日本の宿命に向き合っている。

ジャーナリズムと人道援助の仕事の共通点

今年8月、シリアのアレッポで、フリージャーナリストの山本美香さんが銃撃に遭って命を落とす、という事件がありました。紛争下で生きる人々の姿を発信しようとした信念に、ただ頭が下がる思いです。

アサド政権側、反体制派側双方が自分たちに有利な「情報合戦」をする中では、独立系ジャーナリストによる報道は非常に貴重なものです。

危険な目に遭いながらの取材活動は、何も国際報道だけではありません。

1987年、「赤報隊」によると見られる朝日新聞阪神支局銃撃事件では、記者が射殺されました。1991年の雲仙普賢岳の火砕流では多くの犠牲者が出ましたが、当時、テレビ局の記者として取材にあたっていた私の同期であるテレビ朝日の報道記者も亡くなりました。

志を同じくする人々が命を落とす――私にはジャーナリズムと人道援助の仕事がだぶって見えます。

90歳の現役報道写真家

1921年生まれ、御年90歳の報道カメラマン福島菊次郎さんは、1946年に広島で被爆者の撮影をはじめてから、ずっと目線を「忘れ去られた人々」「立ちはだかる権力に抵抗しようとする人々」に置いて、その姿を撮り続けてきました。

その軌跡を追ったドキュメンタリー映画『ニッポンの嘘  報道写真家 福島菊次郎90歳』が全国各地でロングラン公開中です。

©2012 『ニッポンの嘘 報道写真家福島菊次郎90歳』製作委員会

福島さんの写真家としての原点は、重い原爆症に苦しみながら救済されず、差別に苦しむ人々を取材したことにあります。

悶えながら亡くなった広島の男性の執念が福島さんを突き動かし、体制側にとっては不都合な「ニッポンの嘘」を暴く写真を次々に撮らせてきたように感じてなりません。

もちろんその代償も大きく、プロのカメラマンとして活動するために妻と別れ、日本の「兵器産業」を取材した写真集の刊行後には暴漢に襲われ、自宅を放火されました。

世を疎み、無人島に住んだこともあります。

昭和を写し、平成を撮り続ける

それでも、なお、撮る。

成田の三里塚闘争、安保闘争、東大安田講堂占拠事件、水俣、ウーマンリブ、祝島の人々による原発建設反対運動……。

東日本大震災を受けて高まる脱原発運動の現場、南相馬や飯館村の最前線で今もシャッターを切り続けます。そして、若い世代に「問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を犯してもかまわないんだ」と報道者としての精神について説くのです。

©2012 『ニッポンの嘘 報道写真家福島菊次郎90歳』製作委員会

 

80歳の頃から、「写らなかった戦後」シリーズの執筆をはじめ、今は来年の完成を目指して『写らなかった戦後4 ヒロシマからフクシマへ』を書いているとのこと。

まさに、時代の生き証人です。

私もジャーナリズムの末端に身を置く者として、執念と情熱を持ち続け、様々な妨害にめげることなく粘り強く撮り続ける姿勢にはもう脱帽でした。

生き様も一貫した姿勢

そして、この福島さん、とてもチャーミングでいらっしゃるのです。

山口県柳井市のアパートで、犬のロクとの「二人暮らし」。

©2012 『ニッポンの嘘 報道写真家福島菊次郎90歳』製作委員会

 

年季の入った「ワープロ」で執筆し、ロクの散歩がてらに買い物し、慣れた手つきで自炊。飄々とバイクに乗って補聴器を買い求めに行く。

そして、「この国を攻撃しながら、この国から保護を受けることはできない」と、年金は断固拒否。子どもたちからの援助も断り、自分の原稿料だけで生計を立てている。

実にカッコよく、かつ色っぽいのです。

自分の生き方も含め、いろいろな出来事に徹頭徹尾真剣に向き合ってきたからこそ、まやかしやきれいごとを「嘘」と断言できる説得力につながっているんでしょう。

『写らなかった戦後4 ヒロシマからフクシマへ』を早く読みたいと思うとともに、私も何歳まで生きられるかはわかりませんが、生き方として憧れてしまいます!

30代の竹田監督の挑戦

さて、もう1本紹介する映画は、90歳の福島さんとは対照的な30代の若いアメリカ在住の竹田信平監督の作品です。

竹田監督は、2009年春、アメリカ大陸西海岸をヒロシマ・ナガサキで被爆した人々を訪ねて旅しました。

©ヒロシマナガサキダウンロード上映委員会

ヒロシマ・ナガサキを直接には知らない、当事者の孫世代にあたる竹田さんは、元「敵国・アメリカ」でひっそりと暮らす被爆者たちの「魂のことば」に耳を傾けてまわります。

竹田さんは高校時代のクラスメートを旅の相棒に得て、被爆体験とその後のストーリーに触れるたび、「一人ではかかえきれない辛さ」を解き放つように相手と意見交換をします。

この二人の掛け合いには、どのように重い過去の事実を「等身大」で受け止めればいいのかヒントが詰まっていて、歴史を今につなぐアクセントになっています。

それぞれの「語り」がある

雄弁に語る人、ポツリ、ポツリと記憶の断片をたどるように話す人、ずっと押し殺してきた辛い経験がよみがえってきて泣き崩れる人。

©ヒロシマナガサキダウンロード上映委員会

そこには、「キノコ雲」というような単純なイメージのみでは語り尽くせない、それぞれの喜怒哀楽が浮き彫りになります。余りに重い内容なので、一度には話を聞けず、ときを改めて再度話を聞いたケースもありました。

日本で差別を受け、北米に移住して尺八をたしなむ男性。「なぜアメリカ人と結婚してしまったのだろう」と自問自答する女性。

仇討ちのつもりで渡米したものの誰が敵なのかがわからず混乱し、精神病院に入れられ、そこでアメリカ人の看護師さんからはじめて人のぬくもりを感じた、という男性。

それでも、どの人も最後には「話すことができてよかった」「若い人たちが関心を向けてくれて嬉しい」と感謝を込めて竹田さんの手を握るのです。

©ヒロシマナガサキダウンロード上映委員会

ロードムービーから特設ウェブサイトへ

竹田さんが北アメリカの西海岸在住の被爆者を訪ね歩いた旅は、ロードムービー『HIROSHIMA NAGASAKI DOWNLOAD』にまとめられました。

そして、この旅で集めた証言は、監督が過去に記録した中南米在住の被爆者の証言とともに、国連軍縮局の協力を得て、特設ウェブサイトとして今年の8月に公開されています。

このサイトは、過去7年間にわたる、7ヵ国・54人の証言の記録の集大成です。10月には国連総会第一委員会で、竹田さんがこの新機軸のウェブサイトについてプレゼンテーションを行いました。

つながる力と信念の大切さ

何気なくこのウェブサイトを見ていた私は、「協力者」の欄に奇しくも知り合いの名前を発見しました。ウェブサイトのロシア語翻訳に協力していたのです。メールをやりとりした竹田監督と交わした言葉は「世界は狭いですね!」。

平和や人道の問題に映像分野から関わっている人の世界は、本当にボーダーレス。みんなお金がない分、こうしたネットワークこそが武器になります。

これまで語られることの少なかったアメリカ大陸における被爆者のストーリー。

 

日本の若い力によって、これがようやく世界に向かって発信されたことは、「信念」の大切さを教えてくれます。


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