第6回『すぐそばにいたTOMODACHI』


圧政を逃れて日本で暮らすミャンマー難民たちは、東日本大震災後の日本で、祖国の民主化の兆しをどのような想いで見つめているのだろう?

難民たちは日本人と「一蓮托生」

2011年3月の東日本大震災を受け、大勢の外国人が日本を離れ、外国人の訪日も激減しました。

しかし、祖国から迫害を逃れて日本に来ている「難民」たちは、日本を離れるわけにはいかず、日本人とまさに一蓮托生の状況にありました。

難民の方たちは、自分たちの経験と境遇ゆえに、震災で傷ついた人たちに対してひときわ高い感受性をもっています。

「故郷のかけがえのなさ」を語るとき、そこに国境はありません。故郷を追われた理由が自然災害か人災か、紛争や迫害かを問わず、人間としての足元が大きく揺らいだのは同じだからでしょう。

「日本が苦しいときだからこそ、恩返ししたい」

こうした気持ちに突き動かされた在日ミャンマー人95人は、ボランティアグループを結成し、石巻や多賀城などの被災地に向かいました。

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10月28日まで開催された「ヒューマン・シネマ・フェスティバル」では、日本の難民受け入れ制度の厚い壁に阻まれ、国に帰るに帰れずに日本で暮らしながら、東北でボランティア活動をするミャンマー難民たちを追った映画『すぐそばにいたTOMODACHI』を上映しました。

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第2の故郷・日本への恩返し

「活動家として国を追われ、ビルマに残る両親の死に目には会えなかった。避難所のおじいさん、おばあさんに接しながら、自分の両親のことを思った」

「自分の親戚の家をきれいにするような気持ちで、清掃・片付けの仕事をさせてもらった」

「故郷を追われた人たちと僕らの境遇は同じ。つらいこともあったけど、日本は第2のふるさと。恩返ししたい」

©The Neighbourly TOMODACHI  ©Cecilia Ami Kitajima

日本に対して強い想いを持っていることを表すように、ボランティアとしての彼らの仕事ぶりは依頼した方もびっくりするような、それは丁寧なものでした。

そして、ミャンマーの料理の炊き出しに汗を流すのです。

2008年にミャンマー南部を襲ったサイクロン・ナルギスで被災した人々を救うために、多くの日本人が義援金を送って支援したことを挙げて、「あの時のお返しを」という人も。

難民という不安定な立場で暮らし、彼ら自身だって大変なはずなのに、「困っている人がいれば、助けるのが当たり前」と言うのです。

「世の中は、『困ったときはお互いさま』の論理で回っているのだなあ」と痛感させられるのと同時に、「日本はこの人達を十分に助けているだろうか?」と今度は私たち自身に目を向けざるを得ませんでした。

©The Neighbourly TOMODACHI  ©Cecilia Ami Kitajima

映画は、こうした熱い想いを持った人々の姿とともに、彼らをなかなか受け入れようとしない日本の難民受け入れ制度の問題点もしっかり掘り下げています。

ほとんどのミャンマー難民は日本政府から人道的理由から「特定活動」という資格で在留を認められてはいますが、それは日本で長期的に生活することを前提としたものではありません。

1年ごとに更新する形式のビザであり、そのたびに更新できるのかという不安にさらされます。先の展望が見えない彼らが、悩み苦しみながらも懸命に生きていく姿は、見通しが効きにくくなった時代を生きる日本に重なって見えました。

「ハーフの自分」をミャンマー難民たちにだぶらせて

本作の監督である、セシリア亜美・北島さんは、アルゼンチンのブエノスアイレス生まれ。生まれ育ったアルゼンチンでは「外国人」としての疎外感を味わった、と言います。

そうした自分の生い立ちもあって、日本に帰国後、日本に暮らす外国人に共感して彼らのことを作品にしたいと思っていたそうです。

たまたま、ミャンマー難民の問題を伝える新聞記事を見かけたのをきっかけに、2007年から彼らが日本で苦労して暮らし、帰国を夢見て民主化運動を続ける姿を追ってきました。

震災後、監督は「ミャンマー人100人ほどが被災地にボランティアに行くことになった」との連絡を受け、迷わず同行してカメラを回すことを決意します。震災を経て、難民の方々の生活の輪郭がビビッドに立ち上がった部分もあるでしょう。

映画には、在日ミャンマー人のコミュニティがにぎやかに描かれます。

頻繁に登場するのは、「リトル・ヤンゴン」と呼ばれる東京の高田馬場。

ここはミャンマー料理のお店も多い地域で、映画の中で被災地に出発するバスの待ち合わせ場所もここなら、炊き出し用の食材もこのエリアのお店から調達していました。

©The Neighbourly TOMODACHI  ©Cecilia Ami Kitajima

難民たちと被災地との交流はいまも続いています。

今年7月に宮城県石巻市で「ビルマ・デー」のイベントが開かれました。

ステージでミャンマーの伝統舞踊を披露したほか、ミャンマー料理を提供。『すぐそばにいたTOMODACHI』の上映会も開かれたそうです。

震災被災者と難民とがだぶって見える

東日本大震災から1年半余りが経過し、問題の風化が指摘されています。

震災直後、岩手・宮城・福島3県の都内のアンテナショップには、「特産品を買って被災地を応援したい」と全国から客が訪れていましたが、今は売上の減少に苦しんでいる、というニュースも報じられていました。

かく言う私も、思い当たる節が……。

ミャンマー難民についても同じことが言えるのではないでしょうか。つい先日も成田とミャンマーの直行便が就航した、というニュースが大々的に取り上げられていましたが、ミャンマーについて日本で報じられるのは民主化のニュースばかりです。

しかし、ミャンマー政府と少数民族との対立はいまだ根深く、難民たちの帰国の目処はつきません。

私には、震災の被害にあった日本人たちと、難民という立場になった人たちとがだぶって見えます。ともに忘却の彼方に追いやられつつあり、理不尽な状況に置かれ続けているのです。

同じ日本で暮らす、被災した方々とミャンマーの難民たち。

この2つをぐっと引き寄せて見せてくれるのが本作『すぐそばにいたTOMODACHI』です。

 

 

©The Neighbourly TOMODACHI  ©Cecilia Ami Kitajima

 

です

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