今年はすごく、「人間らしい」一年だったと思う。
大きな達成感、心を打ち砕く深い悲しみ、出口の見えなかった悩み、奇跡のような感動・・・
人生で一番揺さぶられた。ジェットコースターのように浮き沈みする波に揺られるのは楽じゃないけど、これぞ人生、なのでしょう。
年末恒例、修論の合間に今年あったことを色々書こうとしてみたけど、まとまりがなく、単なる備忘録のようになってしまった。なので、それはひとまず自分の中で寝かせておきます。
一つだけ、「年を越す」ことがいつもと違って感じられるので、そのことだけ少し。
年を越えられる自分がいる一方で、越えることができずに人生を終えてしまった人がいる。共に年を越えることができない人を、今年はとても強く意識してしまう。とても悲しい気持ちになります。
「悲しみを乗り越える」
この言葉の意味が、僕にはまだ分からない。越えたら悲しみではなくなるのでしょうか?全く想像できない。だから僕は言い方を変える。
「悲しみの上に立つ」
「糧にする」ってよく言うけど、起きた出来事をあれもこれも全て「あって良かった」と捉え直すこととは違うと思ってる。大抵の事はそうやって転換できるかもしれない。だけど、どう考えたって無い方が良かったと思うことだってある。「あって良かった」なんて口が裂けても言えない事だってある。
重要な問いは、「じゃあ、ただ嘆いていればいいの?」ということ。深い悲しみに沈んで、感情に負けてすぐに建設的になれないのは当たり前。
感情に負けたっていい、大事なのは「負け続けないこと」。
「あって良かった」なんて一生思えなくたって、悲しみが消えることなんてなくたって、一時的に悲しみの感情に押しつぶされたって・・・それでもどこかで立ち上がる。歩み始める。自分が生きている意味を考える。
悲しみを無理に何かに転換するんじゃなくて、悲しみのままでもいいから、その上に立って歩み始めなければならない。
悲しみは越えられない、と今は思ってる。だけど幸いにも、この記事を読んでくれてる人達は年を越えて新たなステージへと旅立つことができる。もちろん僕も。
少しだけ、年を越えられなかった人達に想いを馳せてあげてください。そして、自分が年を越えられる事を感謝してください。
僕自身、今年は良い顔できない時も、不甲斐ないこともすごく多かったけど、それでも生きている、と、胸を張って年を越えようと思う。
人生は九九。
シクシク泣いてシク36、ハッハッと笑ってハッパ64。合わせてようやく100になるそうです。人生トータルで見て、笑顔の方が多かったと思えるように歩んでいきたいと思います。
・・・
少しトーンの低い内容になってしまいました。
最後くらい年末らしく、今年一年間僕に関わってくれた皆様、本当にありがとうございました。きまぐれで、情熱が向かないことに関しては激しくめんどくさがり屋な僕は扱いずらかったことと思います。
TFTに出会って自分の中の可能性が一気に開放されて以降の3年間で、正直一番悩んだ年でした。「元代表」「いちメンバー」「半分OB」「インターン」・・・色んなアイデンティティが混在して、ことあるごとに自分の立場に迷い続けた。今でも、今年やってきた事で、正しかったのか自信のないものもあります。それでも踏ん張ってこれたのは、支えてあげたい後輩がいて、一緒に頑張りたい同期がいて、恩返しがしたい先輩方がいたおかげです。ありがとう。一人じゃ全然生きていけませんね?。
このブログが生んでくれた奇跡を考えるならば、いち大学生をこのように応援してくださった英治出版様には感謝の言葉が見つかりません。そして、このブログをどのような経緯でか見つけてくださり、旅中に突然の応援メッセージをくださった元世界銀行副総裁の京都弁の姉さん(笑)、美恵子さんからいただいた勇気と知恵は計り知れません。届くでしょうか、歩くタラヤナ様、僕もいつか雷竜の国に訪れる気がしてなりません。その日までに、あなたのように皆に勇気を与えられる人に少しでも近づけていられたらと思います。
そしてゼミ関係の皆様・・・修論頑張ります。多大なご心配をおかけしてしまい申し訳ないですm(_ _)mこういうとこ、成長してないな?(汗)
提出までの残り一週間を切った。頑張ります、この試練は「越えられるもの」だと信じて。
皆様、よいお年を?!来年もよろしくお願いします。
チキンゆーや
私は幸せになってはいけない人間です。
自分の犯した罪の重さと
別れの悲しみに暮れて…押し潰されそうになっている時にこちらの記事を拝見しました。
私も悲しみの上に立つことができるかな
〉ゆってぃさん
お返事がとっても遅くなってしまいました。
コメントいただきありがとうございます。
きっととてもお辛い状況におられるのですね…
僕にはとてもそれを察することはできないのですが、
どうか少しでも心が安らぐことを。
心が安らいでいる自分を責めて苦しくなられないことを祈っております。