7月24日。
この日ともう一度対峙するためにこの一年間必死でもがいてきた、と言っても過言じゃない。
今年のこの日を「再出発の日」にすると誓ってきた。
その想いを胸に、どれだけ努力してきたか。
止まりたくないのに動けないもどかしさをずっと抱えてきた。
言い訳を抱えながら生きている気がしてずっと苦しかった。
少しずつ登ってきて、今日まだ滑り落ちるかもしれないと、ずっと怖かった。
だけど、やっと進めそう。
「時間が経てば立ち直れる時が来る」
そんな綺麗ごとは僕には言えなさそう。
待っているだけだったらダメだったと思うから。
僕がやったのは、待つことではなく、「必ず立ち直る」と強く決意することだった。
うまくいく保証なんてないし、やり方だって分からなかったし、不安だらけだった。
でもとにかく、先に「必ずどうにかする」と、無理矢理にでも固く決意した。
そして、その瞬間その瞬間の自分にできる“1”をひたすら積み重ねてきた。
できることが極端に減ってしまった中でも、「それでも今できる“1”はなんだ」と常に自問してきた。
ただ止まって待っていたら、今日この日、今の自分はなかったと断言できる。
一ミリずつでも、体を引きずってでも進んできたことが今に繋がったと。
この1年間、必死でもがいて、色んなものを犠牲にして学んだこと。
それは「立ち上がり方」。
人生に転ばない方法はない。
何かをしようとすれば転ぶリスクがあるし、
何もしなくても外圧で転ばされることがある。
人生は転ぶもの。
だから、「決して転ばない」方法なんて探る必要はなくて、
「何度でも立ち上がる」決意が何より大事。
スピードを緩めてもいい。
時々止まってもいい。
でも、止まり続けないこと。
どんなに周りがサポートしてくれても、最後に1歩足を進めるのは自分自身に他ならない。
誰にも譲れず、誰にもお願いできない、自分自身にしかできない瞬間がある。
そこだけは放棄しちゃいけないんだよね。
そうして自分の力で進めた微々たる1歩を日々自分で認めることで次の1歩に繋げる。
進むことは、自分を救うこと。
わずかでも進んでいるという実感がいつか希望に繋がる。
とても大切なことを苦しかったこの1年間は教えてくれた。
もう1年前の自分じゃない。
今日から、再出発します。