4月2日、フォーツーの日に想う・・・

2010年9月。

生まれて初めてアフリカの大地を踏み、

ウガンダとルワンダを回った。

 

日本で抱いていた固定観念を覆すような“アフリカ”が、そこにはあった。

 

発展した都市。

美しい風景。

気さくな人々。

 

 

 

それでも、抱いていた固定観念以上の現実も、

色、音、匂い・・・リアルな感覚を伴いながら、

そこにはあった。

 

ゴミ捨て場の前にいた捨て子。

HIVウィルスを持って生まれてきた少年。

子どもを6人中2人しか学校に通わせられないと嘆く母親。

ジェノサイド(大量虐殺)で命を奪われた大量の亡骸。

 

ジェノサイド記念館

 

 

 

・・・こんな悲しみだらけの世界で、

給食を届ける意味って、あるの?

 

お腹を満たしてあげたって、親に捨てられるかもしれない。

お腹を満たしてあげたって、エイズで死んでしまうかもしれない。

お腹を満たしてあげたって、紛争で無惨に殺されてしまうかもしれない。

 

何度も自分に問いかけた。

 

 

 

「給食を届ける意味って、なんなの?」

 

 

 

 

初めて本気で自分がやってきた活動を疑った瞬間だった。

 

そんな疑心暗鬼の中で、僕が最後に訪れたのが、

TABLE FOR TWOの支援地の学校だった・・・

 

 

 

 

 

 

5歳以下の子どもの20%以上が栄養不良と言われる地域。

 

そこで出迎えてくれたのは・・・

 

 

 

 

 

 

最高の笑顔だった。

 

 

 

ほっとした。

これ以上絶望するような現実を突きつけられるのを恐れていた心が緩んだ。

 

教室に行き、子ども達と交流した。

 

 

 

 

 

 

「好きな食べ物はなんですか~?」

「好きな科目は何ですか~?」

 

ありきたりな質問に、子ども達の反応はやや薄い。

なかなか手を挙げないシャイな姿が、

日本の子ども達と重なって見えた。

 

そんな中で、最後にした質問。

恐らく、最もありきたりな質問。

 

 

 

「将来の夢は何ですか?」

 

 

 

記録用のカメラ越しに見た光景に、目を疑った。

 

ほぼ全員の手が一斉に上がった。

目を輝かせながら、我先にと答えてくれた。

 

 

 

「先生になりたい!」

「お医者さんになりたい!」

「大統領になりたい!」

 

 

 

子ども達の中には、給食が導入されなければ学校に通えなかった子が少なからずいる。

給食が導入されて初めて、これまで家の手伝いを重視していた親が、

 

「食べられるんなら、行っておいで」

 

そう言って子ども達を初めて学校へ送り出す。

 

そうして子ども達は、

先生という人に出会い、

医者という尊い仕事を知り、

大統領という大きな夢を抱く。

 

 

 

子ども達の親にもインタビューをした。

 

「将来、子どもにどうなって欲しいですか?」

 

この問いに対する、イノセントさんというお父さんの答えが忘れられられない。

 

 

 

 

 

 

今はこうして助けてもらっている。

でもいつか、自分で生きられる子になって欲しい。

 

そしていつか・・・

 

誰かを助けられる子になって欲しい。

 

 

 

体中に稲妻が走ったような気がした。

 

この言葉が、僕がこの旅で見てきた多くの悲しみと、

この学校で出会った希望を、一本の線で結んだ。

 

 

 

 

 

 

もし給食がきっかけで学校に通い、

夢を叶えて「先生」になった子がいたら・・・

 

あの6人中2人しか子どもを学校に通わせてあげられなかった家庭に、

教育の手を差し伸べるかもしれない。

 

 

 

もし給食がきっかけで学校に通い、

夢を叶えて「医者」になった子がいたら・・・

 

僕が目の前にいて何もできなかった、

あのHIVの少年を救うかもしれない。

 

 

 

もし給食がきっかけで学校に通い、

夢を叶えて「大統領」になった子がいたら・・・

 

もう二度と悲しい紛争なんて起こさない、苦しい飢餓もない、

そんな国づくりをしてくれるかもしれない。

 

 

 

親達も、そんな光景を望んでいる・・・

 

 

 

 

 

「全ての悲しみ」は消せなくても

「ひとつの希望」は作れる

生まれた「ひとつの希望」は

「次の希望」を生み出してゆく

そうした「希望の連鎖」が

「多くの悲しみ」を一つひとつ消してゆく

 

 

 

 

 

学校給食そのもので、紛争も、エイズも、何もかも全てを消すことはできない。

だけど、給食をきっかけに夢を叶えた子ども達が、

ひとつずつ悲しみを消していってくれるかもしれない。

 

全ては「かもしれない」の理想論だと分かってる。

だけど、夢を語る時の子ども達の真剣な目が教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

そんな「かもしれない」に、

かけてみてもいいんじゃないか・・・

 

 

 

それが、僕らにできることであるのならば。

たった20円の積み重ねで、できることなのであれば。

 

 

 

・・・

 

 

 

「10億人の飢餓」というカタマリは、きっとない。

あるのは、尊い「一人ひとりの空腹」、

それが10億個。

 

「80万人の虐殺被害者」も、

「2万人の震災被災者」も、

「1000人の団体メンバー」も、

 

そこにあるのは、かけがえのない、尊い「1」ずつ。

 

 

 

大きな数字に惑わされてはいけない。

 

もちろん、問題をマクロに捉えて、根本的な解決を探る姿勢も大事。

だけど、そんな中でも僕らが究極的に向き合うのは、

その中にある尊い「1」ずつ。

 

そんな「1」に対してなら、

自分にもできることはあるんじゃないか・・・

 

そんな気付きを多くの人が持ち、

自分にも少なくとも「1」の力は備わっていると認め、

小さな力が数多く集まった時・・・

 

これまで開かなかった重い石の扉が、

音を立ててゆっくり開いてゆく。

 

 

 

1人で100歩踏み出せなくてもいい。

100人で1歩ずつ踏み出せればいい。

 

 

 

「食べるだけで、ちょっと世界を変えられる・・・」

 

TABLE FOR TWOは、

そんな尊い1歩ずつを引き出すことのできる活動。

 

そう信じてる。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

4月2日・・・

 

ご縁のある“フォーツーの日”に、

この想いを読んでくれた多くの人が、

自分に備わった「1」の力を積み重ねていくことを願って。

 

 

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