「世の中」の意味 ?人を率いる前にすべきこと?

「世の中を変える!」

 

よく聞くこの言葉の意味を、よ?く考えてみました。

「世の中」って、文字通り「世の『中』」。
じゃあ、世の『中』にいるのは誰だ?
って考えた時・・・

 

「僕ら」なんですよね。

 

「世」を、どのように定義するかによっても話は変わってくるかもしれませんが、
僕が思うに、世の『中』にいるのは、自分自身だと思うんです。

そう気付く前の「世の中」って、宇宙から地球全体を見渡したような、
どでかいものだと思っていました。

気付いてからは、宇宙からの視点が、
顕微鏡でズーーーーーっとクローズアップされていって、
「世の『中』」としてまず最初に映ったのは、自分自身だったんです。

 

ここでちょっと太宰治の『人間失格』から引用。
『人間失格』と『桜桃』しか読んだことないという、
ファンからしたら「読者失格」な僕ですが、ご容赦(笑)

 

世間とは、いったい、何の事でしょう。人間複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。

 

太宰のこんな問いから引用をスタートします。
「『世の中』ってなんだろう?」という、この記事の問いと似てますよね。
ここからは、(中略)を使いながら、一気に太宰が辿り着く答えまでいきます。

 

「世間というのは、君じゃないか。」という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。

(中略)

けれでも、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。そうして、世間というものは、個人ではなかろうかと思いはじめてから、自分は、いままでよりは多少、自分の意志で動く事が出来るようになりました。

(中略)

世間。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来たような気がしていました。個人と個人の争いで、しかも、その場の争いで、しかも、その場で勝てばいいのだ、人間は決して人間に服従しない、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえしをするものだ、だから、人間にはその場の一本勝負にたよる他、生き伸びる工夫がつかぬのだ、大義名分らしいものを称えていながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗り越えてまた個人、世間の難解は、個人の難解、大洋は世間ではなくて、個人なのだ

 

「世の中」という大義名分の正体。
それは、「世の『中』」にいる個人個人なんです。

そして、最初に思い当たる「世の『中』の個人」とは、おそらく「自分自身」なんです。

だから、僕は「世の中」という言葉に対して、こんな考えを持っています

 

「世の『中』」は
「変える対象」である前に、

「変わる主体」

 

自分自身が1歩進んでみること自体が、「世の『中』」を1歩前進させたことになる。
目の前の人を1人巻き込んで一緒に1歩踏み出したときには、
「世の『中』」は2歩前進したことになる。

かじれば、かじった分だけちゃんと変わるものだと信じてます。

 

僕の好きな本の中に、『リーダーシップの旅』という本があります。

 

『リーダーシップの旅 見えないものを見る』 著:野田智義、金井壽宏、光文社新書

 

この本の中で、リーダーシップは3つの段階に分けられています。

 

Lead the Society
Lead the People

 

そして、何よりも先立って、

 

Lead the Self

 

何よりもまず先に、Lead the Self・・・自分自身を1歩前に率いる段階があるんです。

 

そしてもう何度も書いてきましたが、このブログのおかげで御縁をいただき、
今でも貴重なアドバイスをたくさんいただいている元世界銀行副総裁の西水美恵子さん。

初めてメールを送らせていただいた時の返信が、今でも忘れられません。

そのメールのやりとりを、一部、ちょっとだけ引用させてください。
(美恵子さん、勝手にすみません!おそらくどの方にも通じるお話だと思ったので。)

 

【僕】

僕自身あまり人をぐいぐい引っ張っていける人ではなく、むしろ自分に自信がないタイプです。
だからこそ、1人で100歩踏み出せる自分になるより、
100人の1歩ずつを引き出せる自分になろうと思っています。
そんな想いから、一般の人達一人ひとりに眠るリーダーシップを引き出したいと考えてきました。
そのリーダーシップは、人々をぐいぐい引っ張る強いものばかりでなくても、
自分自身を今の位置よりも1歩前に踏み出させる(リードする)だけでもいいですし、
応援したい指導者のために1歩踏み出すフォロワーシップでも良いと思っています。
そんな、小さいけど、だけど多くの1歩が「世の中を住み心地の良い場所にしていこう」という想いに向かった時、
複雑に絡まりあっている多くの問題が解消に向かうのでは、といつも想像しています。

 

【美恵子さん】

自信がないのは人間である証拠!笑
なにをしても「本気」なら、人の心にタイプなどありません。
情熱と、そこから沸き出す信念があるのみです。
リーダーシップとは、人を率いることではありません。
謙虚さを忘れず、自分自身を率いることです。
その「在り方」が「本気」なら、まわりの人に感動とインスピレーションが生まれます。
それが世の中を変えて行く。。。だたそれだけです。

 

「もっと頼られるリーダーになりたい・・・」
「どうやったら人が付いてくる人になれるのかな・・・」

そんな「人を引っ張る力量」を付ける前に、ちゃんと段階があるんです。

 

自らが、情熱に従った1歩を踏み出す姿を見せること。

 

ここにチキン・ゆーやなりのメッセージを更に付け加えるとしたら(笑) 、

 

1歩踏み出すのが怖ければ、片足だけでも上げてみること。

 

「1歩踏み出す」とは、行動を分解してみれば、

(1)揃えていた片足を上げる
(2)上げたその片足を降ろす

の2段階なんです。

そして「1歩踏み出すのが怖い!」のは、(2)の時なんです。

降ろした先に、落とし穴があるかもしれない・・・
降ろした先に、針が落ちているかもしれない・・・
降ろした先で、犬の※※を踏むかもしれない・・・(笑)

 

だから、ひとまずは(1)だけでいいんです。
バランスを崩したり、強風が吹いたり、
怖くなったらいつでも足を戻せる状態、
「片足上げる」だけでもいいんです。

 

1歩踏み出すにせよ、片足上げるにせよ、
その勇気ある姿を見ている人が周りに必ずいます。

美恵子さんの仰る通り、その自分の「在り方」に魅せられた人たちが集まって、
「結果として」いわゆるリーダーという立場になるのだと思います。
あくまで結果です。(と、『リーダーシップの旅』の中でも書かれています。)

 

だから、人を率いる前に、そういう「セルフリーダー」になること。
「世の『中』」を覗く顕微鏡に一番最初に映る、自分自身を引っ張り出してみること。

それが大事なんだと思います。

 

僕がTABLE FOR TWOにほれ込んだ理由はそこにあります。

「食べるだけ!?自分にもできることってあるじゃん!」
「学食でできる活動!?学生にとって、いま、ここで、できることじゃん!」

そんな気付きを多くの人に与える力をTFTは持っている。
だから、TFTに出会った時に、僕の中で音が鳴ったんです。

自分自身が、その1歩を出せずにずっと苦しんできた人間だから。

僕なんかが何をしたらいいか分からなかった“NoWhere(ノーウェアー)”の状況を、
「いま、ここで」できるという“NowHere(ナウヒアー)”に切り分けてくれた。

 

だからTFTはずっと応援したいと思っています。
TFTに携わる人も応援したいと思っています。

頑張ってください。
頑張りましょう。

「世の中」の意味 ?人を率いる前にすべきこと?」への1件のフィードバック

  1. ひろし

    人間の集団、個人の集合体

    その真ん中に

    尊び畏怖すべき崇高な

    “何か”があって

    個を殺し、群れを成して

    それに尽くすこと。

    そういう集団妄想に駆られた

    怪談じみた存在の事を

    “世間”と呼びます。

    返信

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