カテゴリー別アーカイブ: 落書き

イメージを、筆が進むがままに書き綴ったものたち。
「詩」なのか、「物語」なのか、「小説」なのか、
名前なんてどうでもいいんです。
とにかく、心の中の、できるだけ深いところから持ってくる。

決して折れない輝く木

老人は言った。

 

この密林の中に、「決して折れない木」が、ただ1本だけある。

しかしその木は、見た目は他の木と何一つ変わらない。

 

見つける方法はただ一つ。

 

一つひとつの木を、根気強く、

激しく揺すり、ナタを振り下ろし、ノコギリを引くのだ。

 

折れる木は、折れていくだろう。

「決して折れない木」も、揺すれば揺れ、ナタを振り下ろせば傷つき、ノコギリを引けば痛むだろう。

 

しかし、決して折れることはない。

 

旅人はさっそく、目の前の木を揺すった。

その木は、あっけなく折れてしまった。

 

旅人は次の木を揺すった。

しかし、折れることはなかった。

そこでナタを振り下ろしてみると、

一撃のうちに折れてしまった。

 

旅人は3本目の木を揺する。

折れる気配はない。

ナタを振り下ろしても、耐えている。

祈るような気持ちでノコギリを引くと、

願いは叶わず、その木も折れてしまった。

 

目の前の無数の木を有する密林を前に、旅人は座り込んだ。

 

再び老人は言った。

 

運の良い者は「決して折れない木」にすぐに出会うことができるだろう。

だが皆がそういうわけでもあるまい。

 

心の持ち方を教えよう。

 

出会えば「決して折れない木」の発見だ。

しかし、折れた木も、また発見なのだ。

「これは『決して折れない木』ではなかったのだ」という発見なのだ。

 

そう、すべては発見だ。

無駄なことは何一つない。

 

休みながらでもいい。

だが決して、動くことを諦めないことだ。

 

たくさんの木と出会いなさい。

たくさんの物事とぶつかりなさい。

たくさん空しい思いもしなさい。

 

ほんの数本のうちに出会えた者は、運が良かっただけだ。

 

全てやり切って、全てが折れてしまったと思えた時、顔を上げてみなさい。

荒れた大地に、ただ1本、そびえ立つ木に出会うだろう。

 

遅かれ早かれ、どちらにしても出会えるのだ。

動くことを諦めなければな。

 

「決して折れない木」は、見た目は他の木と変わらない。

だが、出会ったその時に、力強く輝きを放ち始めるのだ。

 

 

最後の言葉

最後の言葉は

体とともに

土の中へと

潜ってゆきました

 

最後の言葉は

魂とともに

空の彼方へと

飛んでゆきました

 

最後の言葉を

僕は心の中で

毎日毎日

追いかけてゆきます

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

19年前の一昨日、

1994年4月6日は、

ルワンダにおける大量虐殺(ジェノサイド)の発端となる事件が起きた日。

 

昨日4月7日は、

ルワンダにおける大量虐殺追悼記念日。

 

「80万人の犠牲者」という途方も無い数字に埋もれた、

“一つひとつ”の尊い命に想いを馳せて・・・

 

ルワンダで見た夕空は

傷口から滲み出る血液のようにも見えました

まだ痛むんじゃないか・・・

その痛みの端っこだけでも

感じ取れる感性をください

 

両足

二本の足で立つ力さえ奪われた

 

固い地面の奥深くへと

難なく沈んでゆける体

 

励ましは無慈悲にこだまし

容赦のない悲痛な叫び声が寄り添った

 

躊躇いのない暗闇は

優しささえ感じさせ

流れは同調し

ひと雫の癒しをもたらした

 

光を恐れ

闇へと安住せし者は

もうひと時・・・

もうひと時と

深海の椅子に腰を下ろす

 

 

 

差し伸べられた数々の手を

いつまで拒み続けるのか

 

立ち上がる足は

その両足でしかない

 

大地に立ったその時から

1平方センチあたり1kgの大気圧に耐えてきた

その両足しか

 

負けてもいい。

負けてもいい

 

苦しいこと

悲しいこと

辛いこと

 

あったその時は

負けてもいい

 

大事なのは

負け続けないこと

 

いつか立ち上がって

亀よりも遅くていい

少しずつでも進んでいく

 

少し進んでは

また迷って

立ち止まっては

それでもまた

少し歩む

 

負けてもいい

負け続けなければ

負けてもいい

 

線の神様

昔々 線の神様がいたそうです

 

 

 

 

 

 

ある日 線の神様は

その大きな指で

一本の横線を引きました

 

線の神様は

その横線の上と下に

名前を付けることにしました

 

線より上を 『ソラ』と名付け

線より下を 『ウミ』と名付けました

 

その線はときに

魚の生死を分けました

その線はときに

鳥の生死を分けました

 

 

 

またある日 線の神様は

その太い指で

一本の縦線を引きました

 

線の神様は

その縦線の右と左に

名前を付けることにしました

 

線より右を 『ワタシタチ』と名付け

線より左を 『アナタタチ』と名付けました

 

その線はときに

線の向こう側への憎しみを生みました

その線はときに

線の向こう側への無関心を生みました

 

 

 

線の神様は 困りました

線の神様は 名前を付けたことを

悲しみました

 

 

 

ある日 線の神様は 悲しみのあまり

その両手を合わせて お祈りをしました

 

そのとき 合わせた両手を見て

線の神様は気が付きました

線を引いたその指は

とても大きく 太かったのです

 

線の神様は気が付きました

その指で引いた線には

『ハバ』があることに・・・

 

 

 

線の神様は言いました

 

その『ハバ』は ソラでもなく

その『ハバ』は ウミでもありません

その『ハバ』は ワタシタチでもなく

その『ハバ』は アナタタチでもありません

 

でも・・・

 

その『ハバ』は ソラでもあり

その『ハバ』は ウミでもあります

その『ハバ』は ワタシタチでもあり

その『ハバ』は アナタタチでもあります

 

 

 

ソラは言いました

「それは、フシギな場所だ」

ウミは言いました

「それは、シンピテキな場所だ」

ワタシタチは言いました

「それは、モトメテイタ場所だ」

アナタタチは言いました

「それは、タシカニアル場所だ」

 

 

 

線の神様は その『ハバ』に

名前を付けることにしました

 

フシギで

シンピテキで

モトメテイテ

タシカニアル

 

その場所に

線の神様は 嬉しそうに

名前を付けることにしました

 

 

 

線の神様は その『ハバ』に

『平和』と名付けました

 

ここ

振り返れば

確かに辿ってきた

その長い道のりには

過去からの

たくさんの贈り物

 

今の「そこ」は

過去の「ここ」

 

 

 

今直面する

数々の苦悩も

いつか振り返れば

今からの

たくさんの贈り物

 

未来の「そこ」は

今の「ここ」

 

 

 

いつも「そこ」は

いつかの「ここ」

思い出す。信じる。

世界に感じた怒りを思い出す。

自分の不甲斐なさを思い出す。

出会ってきた人たちへの感謝を思い出す。

見つけ出したメッセージを思い出す。

伝えたい人たちの顔を思い出す。

 

最後に、

 

自分のできることを信じる。

小舟に乗った船乗りは

一人洞窟の中

水の滴る音

 

流れは

光射す入り口へと

優しく船を押し戻す

 

なぜさからう?

 

そっちは寒い

そっちは暗い

そっちは永遠

 

暗闇の道しるべを辿る

 

暗黒に染まろう

深淵の住人に

寒くて、暖かい

孤独への安住

 

寄り添うは

奥底から響く呻き声

そのためになら

滝壺からでも登ってみせよう

 

船乗りは言い聞かせる

 

光の種は暗黒石

暗闇に照らされ続けた孤独の石

孤独を知る本当の光

 

船乗りはこぐ

 

光を求めて

闇の奥へ

 

暗闇は教えない

内包する光の在処を

枯れた命の上で

 

 

 

お前は知っているか

お前の立つその荒れた大地は

かつて輝いていた命であったことを

 

お前は知っているか

お前の立つその傷ついた大地は

命尽きても尚お前を育んできたということを

 

お前は知っているか

お前の立つその母なる大地も

かつては育まれた子であったことを

 

お前は知っているか

悠久の時の中で

命が命を繋いできたことを

 

お前は知っているか

命の下の命を

命の上の命を

 

お前は知っているか

一つの命の価値は

一つ分をはるかに越えたものであるということを

 

枯れた命の上の 新しい命よ

 

生きろ 枯れた大地の上を

生きろ お前を生かした命を想い

生きろ お前が生かす命を想い

生きろ 悠久が繋いできた連鎖の中を

生きろ たとえ大木となれずとも

 

生きろ

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

3.11。

命を考えるこの日に、自然と筆が動き出して書いてしまった。

だけど、分からないことが一つ・・・

 

一体誰に向けて書いているのだろう。

 

ただ純粋に、写真の木に向かって語りかけたつもり。

だけど、やはり何か重ね合わせているものの影が見える。

 

被災地の方々へ?

もちろん、励ましになれればそれに越したことはない。

でも、

すでに頑張り過ぎているほど一生懸命生きている方や、

どうしようもなく絶望している方に向けてであれば、

僕なんかが「生きろ」を強く連呼するのは少し残酷かもしれない。

気分を害されたと思う方は、ごめんなさい。

 

ただ、あの子どものような木に自分を重ね合わせた人だけが、

何かを感じ取ってくれればいい。

 

そう思ったときに、気づいた事。

僕自身も、「自分」をあの木に投影している。

 

一番伝えたかった相手は、自分なのかもしれない。

 

 

 

みんなが同時に想いを馳せる日も大事。

だけど、3.12になっても、3.13になっても、

どの日も尊さは変わらない。

どの日付をとっても、必ずどこかの誰かが、

大事な人に想いを馳せて手を合わせているはず。

 

そんな尊い毎日の上を、僕らは生きている。

深海と太陽

赤い夕日・・・

燃えるような日が沈むころ
課されたものを一通り以上終えて
体を休めに静寂の場所へと向かう

 

 

 

深緑の森・・・

僕以外は近づかない
僕以外は近づけない
光を裏切った薄暗い森の中へ

 

 

 

白い泉・・・

浮かぶ一艘の小さな船
波立つ水面を両の手で平らげて
ゆっくりと体を横たえる

 

 

 

青い雨・・・

沈黙よりも静かな雨音
重荷を降ろした船は
重力の法則を破り沈んで行く

 

 

 

黒い海・・・

瞼の裏の漆黒の奥へ、深く、深く
すれ違う無数の深海魚達に教えを乞う
光の届かぬ場所でも自ら輝ける方法を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深海のイス・・・

誰の声も届かない深い海の底に
空席がひとつ

前かがみにゆっくり腰を降ろし
閉じた瞼をもうひとつ瞑る

濃厚な深海の酸素をゆっくりと吸いこむ
地上よりも心地よい深海の呼吸

ごぽごぽとあぶくが地上に昇る音だけを聴きながら
誰もいない海の底の孤独に浸る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝の光・・・

どんなに深く潜っても
あらゆる波を器用に避けながら緩やかに届く

僕を連れ戻す時間を知らせるために
その日の分の重荷を片手にやってくる

 

 

 

最後の深呼吸・・・

深海の酸素をたっぷりと吸い込み
託された重荷を背負う

相変わらず裏返った重力の法則に乗っかり
僕の体は地上へと浮かんで行く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地上の空気・・・

薄い、いつものごとく薄い
そんな息苦しさの中を
人々は躍動する

 

 

 

許された時間・・・

おそらくそう長くはない
心地よい深海のイスで全てを過ごすには
少しもったいないくらいに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっと、僕らは幸運だ

地上と深海の行き来が許された
水圧の変化に耐えられる体を与えられた
息苦しい地上でのあらゆる出会いに恵まれた

自ら輝ける深海魚すら持たぬ力を
僕らには授けられたのだから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全てを許す太陽・・・

時に深海に逃げ込んでも
優しく見つけ出してくれる

地上の尊さを伝えながら
深海の癒しを理解してくれる

 

 

 

太陽・・・

自ら姿を見せることのできない月を描き
自ら温もることができない地球を暖め
自ら輝くことのできない僕を照らし出す

それは、何も形容する必要なき宝

 

 

 

ため息をひとつ・・・

諦めのような、腹をくくるような
そんな想いで森を抜け出し
今日も息苦しい地上を駆けて行く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深海は、いつでも待っている

 

 

 

太陽も、いつでも待っている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから

 

 

 

 

 

大丈夫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

たまにこういう落書きをしたくなるんです。
理屈じゃなくて、深いところからわき出るイメージをそのまま出す、みたいな。
子どもの落書きってそんな感じじゃないですか?(笑)

だから、この前のきこりの話と合わせて、
ブログカテゴリーは「落書き」にしました。

 

今回書いたのは、『睡眠』のイメージです。

 

タイトルは『睡眠グ』にしようかともしたけど、
「ギャグかい!」って言われそうなので変えました(笑)

 

インスピレーションのほとんどはここからもらってます↓

 

 

Mr.Childrenのアルバム『深海』です。

最近のミスチルの曲しか聴いたことのない人なら、
聴くと 驚くと思います。

かなりダークな曲が多いです(笑)

でも、実は僕が一番好きなアルバムです。

 

なんで、深海にイスを置いたんだろう

 

その応えは、自分なりには出ています。

 

人には、暗闇に浸る時間が必要なんです。

光ばかりが良しとされるけれど、
あんまり眩しいところに居過ぎると危ないんです。

本当の暗闇が訪れた時、何も見えないから。

 

だから時々瞼を閉じたり、暗い場所に行って目を慣らしておかないと、
本当の暗闇が訪れた時に、落ちたらもう二度と戻ることのできない『深淵』に足を踏み外す。

 

そうならないように、時々深海に逃げ込むことを肯定してくれるんです、このアルバムは。
でもずっとそこにいるわけにはいかないから、

ひと休み・・・

のつもりで、イスを置いてくれたんだなって。
ゆっくりしてもいいから、一区切りついたらまた立ち上がれよって意味で。

「深海」っていうタイトルにしながら、写真見るとちゃんとうっすら光が届いてるでしょ?
そこも、

いつでも戻れるからね

っていう優しさなんだと思います。

だから、今日の落書きの中に僕は無意識に太陽の話も少し混ぜたんだと思います。

 

本当に優しい人たちは、こういう暗い部分をきちんと知っているし、
それを否定しようとしないんです。
無理やり励ましたり、無理に光を当てようとしたりしない。
「そういう時間も必要だよね」ってことが分かってる。

BUMP OF CHICKENも大好きなアーティストですが、
聴いてると「光を恐れる」ような歌詞があちこちに出てきます。

これは、「今は暗い場所に暫く居たい」っていう人に対する優しさ。
理解の印。

僕はそう思います。

 

 

 

今日は「暗闇」とか「深海」のことだったけど、
そのうち「光」の話もしますね。

チャリ旅中だいぶインスピレーションを得たので。

過去に書いた事もあるけどね、改めて。

 

 

 

たぶん今日は僕自身、少し暗い場所にいたい気分なんだと思います。
波が激しくて困る・・・