1994年のジェノサイドが起きた時のルワンダ国連平和維持軍司令官:ロメオ・ダレール氏。
彼の手記“Shake Hands with the Devil”が和訳刊行されました。

『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか―PKO司令官の手記』著:ロメオ・ダレール(風行社)
僕もまだ読み始めたばかりです。
けっこうボリュームあるので、良ければYoutubeにあがっているダイジェスト版を見てみて下さい。
ルワンダ虐殺を振り返る (1/5)
ルワンダ虐殺を振り返る (2/5)
ルワンダ虐殺を振り返る (3/5)
ルワンダ虐殺を振り返る (4/5)
ルワンダ虐殺を振り返る (5/5)
それぞれ10分ずつくらいです。
僕がここで書きたいのは、ルワンダの政治的・歴史的云々ではありません。
そもそも僕もまだまだ不勉強です。
綴るのは、2年前に僕がルワンダを訪問した時に「ジェノサイド」について感じたこと。
「100日間で80万人が亡くなる」
統計上の莫大な数字。
そのイメージし切れないひとくくりにされた数字という隠れ蓑の下に、
それぞれの「1」 の中にあったであろう、尊く、唯一無二の物語たちが覆い隠される。
すべての「1」ずつの悲しみを80万人分・・・
そんなものを感じ取れるほど、人間の心のキャパシティーは大きくない。
「ギコンゴロ」というルワンダ南西部にある虐殺記念館に行った時のこと。
受付のある綺麗な建物が記念館なのだとすっかり勘違いしていたが、
ガイドから一通りの説明を受けた後に向かったのは、建物の裏にある学校の校舎だった。
1階建てで教室が一列に連なる横長の校舎が、川の字に並んでいた。
ガイドによれば、
「技術を教える学校になる『はずだった』」。
近づくにつれ異臭を放ち始めるその教室の中の光景に、言葉を失った。
大量の被害者の亡骸が、文字通り「敷き詰められて」いた。
次の教室も、その次の教室も・・・
赤子を抱えた母親の亡骸、小さな子ども達の遺体ばかりの部屋・・・
かつてないほどの悲しみに打ちのめされる・・・
そう「予想」していたけど、現実は違った。
頭が真っ白になって、何も分からなくなった。
悲しいのか、絶望しているのか、怒っているのか・・・
自分の感情を言葉にできない。
というより、そこに感情があった確信がない。
ただ目の前の光景に対する「無」に近い感覚の中で、
魂を抜かれた人の形をした物体達が放つ、強烈に鼻をつく酸味をおびたようなにおいだけが漂っていた。
人はきっと、感受し切れないほど・・・感受しては危険なほどの何かに直面した時、
心が壊れないように防衛本能的に自動的に麻痺がかかるようになっているんだと思う。
「1」の尊さを感受できなくさせるジェノサイドを、心底恐れる。
これは、ルワンダでなくても同じこと。
東日本大震災の2万人近い死者と行方不明者。
1週間で1600人が亡くなっているシリア。
10億人の飢餓人口。
その数字の本質を麻痺して感知し切れていないという前提を忘れずにいつつ、
その中にある尊い「1」に可能な限り想いを馳せたい。
正直、今の僕の病状的に「もう少し麻痺してくれたらどれだけ楽か」という想いも何度も頭を巡ります。
それでも、たとえ苦しくても、僕は感性だけは失いたくない。
このブログを読んでくれてる人にTABLE FOR TWOの活動をしている後輩たちも多いと思うので、書いておきます。
戦う相手は「10億人の飢餓」や「10億人の肥満」なんていうカタマリじゃありません。
尊い一人ひとり、「1」ずつの解消できる飢餓や肥満なんだと思います。
それが10億個あるだけなんです。
もちろん飢餓や貧困の問題は、気候変動、政治、雇用・・・
もっと広く大きく考えなきゃいけないアプローチもたくさんあると思う。
けど、今僕らの活動の中でできることは、限りなく尊い「1」にアプローチしていくことだと思う。
マクロが動くのをいつまでも待っている間に犠牲になる子たちに、小さいけど力強い希望を灯すこと。
僕は思う。
届いた給食がきっかけで学校に通えるようになった子どもが、
夢を叶えて「先生」になったら・・・
子どもを学校に通わせられず、
“サポートミー”と腕を掴みながら何度も言い続けたあのウガンダのお母さん、
まさにそんな子たちに勉強を教えるかも知れない。
届いた給食がきっかけで学校に通えるようになった子どもが、
夢を叶えて「お医者さん」になったら・・・
エイズで両親を亡くし、本人もHIV陽性反応、
預かっている家からも「発症したらもう面倒見れないよ」と言われていたあの子、
目の前にいて何もできなかったあの子を、救ってくれるかもしれない。
届いた給食がきっかけで学校に通えるようになった子どもが、
夢を叶えて「大統領」になったら・・・
もうジェノサイドのような悲劇は決して起こさない。
飢えの苦しさを自ら知り、もう同じ苦しみにあう子を一人でも減らす。
そんな国作りをしていくかもしれない。
理想論だと思う。
だけど、上に書いたような夢を真剣に語る時の彼らの目を見ると、
そんな理想論にかけてみてもいいと思えてくる。

夢を語る目
世界には、本当に多くの悲しみがある。
給食でお腹を満たすだけでは解消し切れないたくさんの悲しみが。
だから、給食を信じるんじゃなくて、給食を食べて育つ彼らの未来を信じる。
ウガンダ・ルワンダ訪問報告動画『TABLEの向こう側』に僕が込めた最後の言葉。
「全ての悲しみ」は消せなくても
「1つの希望」なら作れるかもしれない
生まれた「1つの希望」は
「次の希望」を生むかもしれない
「アフリカ支援」と言うけれども、アフリカを変えるのは僕らじゃなくて、彼ら自身だと思う。
現地で見てきたあらゆる悲しみを全部どうにかしようとしても途方にくれてしまったけど、
給食という一つの「希望」の種が実って、将来彼らが一つずつ悲しみを消し、一つずつ新しい希望を生みだしていく・・・
そんなストーリーを、彼らの笑顔と真剣なまなざしが見せてくれた。
僕らが送っている「給食」は、そんな連鎖の1つになれるんだと思う。
だから、給食は「希望の種」。
読んでくれたメンバーに最後に伝えたいことはすごくシンプルです。
僕らが送ることができる1食1食の給食には
とても意味があるということ。
だからこそ、
その給食を送っている一人ひとりのメンバーも、
とても尊いということ。
今年ももうすぐ世界食料デーキャンペーンが始まりますね。
自分が代表をやらせてもらっていた年に始まったキャンペーンだから、
OBになっても思い入れは強いです。
後輩たちが一生懸命準備してるのを遠くから見ていて、OBとして少しでも励みになることができれば・・・
そんな想いも込めて色々綴ってみました。
直前期の最後の大詰めで爆発しそうになるほど忙しかったり、
集客がうまくいかず気が狂いそうになるほど焦ったり、
色々とあると思います。
だから「苦しそうな顔するな」とも「いつも元気に!」とも言いません。
ただ、全てを終えた最後の最後は、みんなで笑えるようにしてください。
みんなの笑顔から届いた給食が、子ども達にとっても一番美味しく食べれる給食だと思います。
応援してます。頑張ってください。
