カテゴリー別アーカイブ: Message from Chicken

チキンが日々考えた事をアウトプットしていきます。

立つ鳥、大気圧の下で、最後の言葉の先へ

立つ鳥後を濁さず

【読み】
たつとりあとをにごさず

【意味】
立ち去る者は、見苦しくないようきれいに始末をしていくべきという戒め。また、引き際は美しくあるべきだということ

【注釈】
水鳥が飛び立ったあとの水辺は、濁ることなく清く澄んだままであることからいう。ここでの「立つ」は、「飛び上がって去る」という意味。

 

このブログの引き際として、
おそらくこれほどぴったりな言葉はないと思います(笑)
とはいえ、「美しく」「飛び上がる」自信はありません・・・

飛べない鳥はただの鳥ですらない

なんてどっかの豚さんが言いそうですが、
ペンギンと一緒に抗議しようと思います。

 

ということで・・・
延ばし延ばしにして来ましたが、この時がやってきました。

先日お伝えした通り、こちらのブログ、
この記事をもって更新を終了いたします。
読んで下さった皆様、
2年とちょっとの間、ありがとうございましたm(__)m

旅の始まり・・・いや、その前から応援してきてくださった、
英治出版株式会社の皆さんにも本当に感謝しております。

今でも過去の記事が繰り返し読まれていたり、
ずっと前の記事にコメントをしてくださる方までいて、
改めてこのブログを綴って来てよかったな~と思います。

 

最後の記事にふさわしい内容は何か、ずっと考えていました。

そもそもこのブログの目的はなんだったのか、とか
一番伝えたいことを一言で言うと?とか
たっぷり名残惜しんでもらえるには・・・とか(笑)

ただ、頭で考えてもあんまり出てこなかったので、
とりあえずキーボードを叩き始め、 流れに任せようと思いました。

 

 

 

まず、「脱チキンできたの?」という非常に大きな命題から取りかかります(笑)

これに関しては、正直どちらとも言えません。
なぜなら、よく考えたら「何をもって脱チキンなのか?」を明確にしていなかったからです(笑)

もしバンジージャンプを強要されたらやはり断るだろうことを考えれば、
チキンのままなのかもしれません。
(やっぱり「飛び去る」はできない!)

ただ、もはやチキンだろうとチキンじゃなかろうと、
割とどうでもよくなってきました。

ブログタイトル崩壊・・・(笑)

呼び名・呼ばれ名はどうでもよくて、
「いま、ここ」の自分ができることを、
きちんと無駄にしないで積み重ねているか・・・

そこに「Yes」と答えられれば、それでいいのだと。

その先の、自分を大きく変えなければいけない段階もあるのかもしれません。
だけど、臆病な自分を変える前に、
臆病な自分でもできることをきちんと積み重ねているか、
まずはそこからで、僕が今伝えたいのはそこの大切さです。

チキンなら、チキンなりにできることから

です。
その先の「どうやったら臆病じゃなくなるか」、
そういう話は、そういう話が得意な人にお任せます。

僕は、僕のメッセージを伝えます。
自分を大きく変えようとするその前に、

「いま、ここで、できること」

略して「IKD」(笑)を大切にしたらいいんじゃないでしょうか。

 

 

 

他に伝えたかったこと・・・

というか、「残しておきたい」と思ったメッセージはたくさんあります。
優柔不断だから、とても絞り切れなくて。
なので、過去の記事読み返してみて、
今の自分から見て響いた記事のリンクをいくつか貼っておきます↓

 

『life is beautiful』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=4309

『止まり続けていたら、苦しくなるのは自分です ~6月7日の講演を終えて~』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=3916

『決して折れない輝く木』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=3666

『シンクロニシティ ~奇跡へと通じる扉は、すでに開いて待っている~』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=3276

『「正しい選択をする努力」から、「選んだ選択を正しくする努力」へ』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=2062

『4月2日、フォーツーの日に想う・・・』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=3062

『後ろから照らせる光に。』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=3017

『悼む人 ~死生観と、「悼む」と「痛む」のちがいについて~』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=2371

『42日間の旅を終えて・・・』
http://eijipress.co.jp/chicken/?page_id=1862

『「世の中」の意味 ~人を率いる前にすべきこと~』
http://eijipress.co.jp/chicken/?p=1444

 

他にもあるのですが、ちょうど10個になったのでこの辺で・・・
よかったら適当に遡りながら読んでみて下さい。

 

 

 

さて、一個前の記事でも書きましたが、
最後の記事までに、書けたら書こうと思っていたことがありました。

このブログ、そしてあの旅を始めた、
本当の本当の理由についてです。

10月中、ずっとどうしようか悩んでいました。

「伝えられることを、伝えられるうちに」

がモットーなんだから、やっぱり書くべきかな・・・と。

 

ですが、どうしてもダメでした。
ごめんなさい。
今の僕には、文章として残すには少し早いようです。
まだ「伝えられること」にはなっていないようです。
どうなったら書けるのか、その条件は分からないけど、
そう遠くないいつか、書けると思います。

代わりに、ひとつの詩を。
僕がとても大切にしている一つの詩を、
友人から引用させてもらいます。

 

1013hPa

立ち上がること
自立するということ
自らの力で 両の足で
大地をしっかりと踏み締めて立ち上がること

この世界に生を受け
まっさらで 無垢な 子供だった頃
まだ足元も覚束ず
一人で立ち上がるのもやっとだった頃

この地上の大気圧が
双肩に 両足に
重く おもく のしかかってきたが
10トンを超える空気の重さと
地球の中心に私たちを引きつけようとする重力をも
はねのけて 立ち上がったとき

きっと母は 微笑んだのだろう

・・・

人は生きていく中で
成長していく上で
様々な重荷を抱えていく
様々な重圧がのしかかってくる
様々な荷物を携えていく
大切なものを手にする
大事なものを守り抜いていく

自分の足で 自分の意志で

そのためには確かな力が必要
確かな努力が必要
確かな自信が必要

10トンの重圧に耐えるのがやっとだった
赤子は 今
こんなにも大きくなりました

真っ暗な暗闇が私の目の前を塞いでも
大きな空が私の頭の上に降って来ても
どんな重圧が私の背中に重くのしかかっても
自らの両足で立ち上がる

何度でも
自らの意志で
自らの足で

 

嫌なことを我慢したり、
辛いことに耐えたり、
何かに向かって一生懸命だったり、

そんな時じゃなくても、
生きているだけで、
ものすごい大気圧の中で、
人はとても“頑張っている”のだと思います。

どんな人でも、
どんな状態でも、
どんな瞬間でも、

とても、とてもとても、尊いのです。

 

 

 

・・・

 

 

 

この記事が、このブログにおける“最後の言葉”です。

僕の人生における“最後の言葉”は、
もっとずっと先のことかもしれない。
明日なのかもしれない。
もしかしたら、日付をまたぐこともないのかもしれない。

それは、誰にも分かりません。

だから、やっぱり日々残していかないと。
その瞬間その瞬間の一生懸命を。
暫定的な“最後の言葉”を。

その暫定をいつまで越え続けていけるかは分からない。
だからこそ、一つひとつを大切に。

 

 

 

大気圧の下で

最後の言葉の先へ

 

これからも歩み続けていきます

 

 

 

1人の100歩より、100人の1歩ずつ

 

すべての悲しみは消せなくても
ひとつの希望はつくれるかもしれない
生まれたひとつの希望は
次の希望を生むかもしれない

 

すべては小さな“1”の積み重ね

 

伝えられることを、伝えられるうちに

 

ご愛読、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(こっそり・・・) 

暫定的な“最後の言葉”の、暫定的な“その先”↓
http://i-am-still-one.seesaa.net/article/379304014.html

読者の皆様にお知らせ

10月ですね。

数日前の9月30日、2年前のこの日に、このブログのきっかけとなった「42日間、分かち合い(フォーツー)の旅」を終えたのでした。

 

 

その節目の日にお伝えしようと思っていながら、書けずにいたことを今日お伝えしようと思います。

 

こちらのブログ、更新を終えようと思っております。

 

一番大きな理由は、このブログを作成し、協賛してくださっていた英治出版にて、8月から僕自身が働き始めたからです。
訳あってパートタイムの立場での志願で、今は週3~4日くらいのペースで働いています。

会社の一員となったからには、やはりその会社に協賛してもらう・・・というのはなんだか変な気がして。

「誰かの夢を応援すると、自分の夢が前進する」

この理念を掲げる会社に身を投じたのであれば、今度は僕自身が他の誰かを応援する番。
過去の自分がそうしてもらってきたように。

 

たとえ働き場所としてここを選んでいなかったとしても、「そろそろかな・・・」という気はしていたのです。
ブログタイトルをあの時のままにしていましたが、旅はすでに終わっています。
次のステージに進むためには、どこかで一区切りつけたいな、と思っていました。

 

そんな理由から、旅が終わってちょうど2年のこのタイミングを逃さないことにしたのです。

本当の最後の投稿はこの記事ではなく、また改めてご挨拶させていただきます。
それまでにぽろぽろといくつか記事を書くかもしれません。
とりあえず、今日はご報告まで。

 

書こうと思っていて書けていないこと、たくさんあります。
「連載にする! 」と言いながら途中で辞めているものは数知れず・・・(笑)

そして何より、あの旅を決意した本当の理由を、まだ書いていません。
「書けていない 」と言った方が正しいかもしれません。

そのことは、旅のきっかけになっただけではなく、旅の後も僕の人生を大きく変えた出来事でした。
今も、良くも悪くもその影響を身に纏いながら生きています。

そのことを、最後のご挨拶の前にこのブログで書けるのか・・・

正直、分かりません。
6月7日の母校での講演では、過去から今までを初めて曝け出しました。
少なくとも、その時語れる範囲のものはすべて。
その結果、「語ることに意味があった」と思わせてくれる感想にたくさん出会いました。
伝えることに意味がある・・・とは思っています。
あそこで語ったことで、自分自身前進できた、とも。

ただ、こうやってブログという後々にも残る場所に書き綴る勇気は、すぐには持てません。
語ること自体、僕にとって簡単なことではありません。
少しずつ縫合してきた場所を、もう一度切り開く必要があります。
切り開く痛みと恐怖に向き合う必要があります。

 

なんだか最近、何を語るにも臆病になっていた気がします。

あまり気持ちの良い内容ではなく、どっちかと言うとマイナス思考な内容になってしまいそうな気がしていて。
だけど、今この記事のことを書きながら過去のことを色々思い出して、自分のモットーともう一回向き合いました。

 

伝えられることを、伝えられるうちに

すべては小さな“1”の積み重ね

 

落ちるのも人間の大事な一面。
そうして学ぶこともあれば、そうして身につく優しさもあるのです。

これまでも、明るい話題でなくても「同じ境遇だったので、勇気をもらいました。」というような言葉をかけてくださる方々がいました。

だから、あまり自分の内側に留め過ぎずに、 言葉を選びながらも出していこうかなと思っています。

 

伝え続けることは、僕にとって大事な大事な“1”だったはず。

 

このブログの更新、11月まで続くことはまずありませんが、もう少しだけお付き合いいただけたらと思います。

砂嵐の中で

台風が去ってから、昼は雲も空も清々しく、蒸し暑さも引き、夜は風が気持ちよくて、虫の音がきれいな日が続いています。

読書の秋、食欲の秋・・・

本も食べものも好きな僕には一番良い季節です。

 

望んでいた季節の訪れとは裏腹に、想い通りにならないことも多いです。

ブランク・・・と言ってしまったらとても言い訳臭くなってしまうけど、

取り戻せないものに対してもどかしさを隠せません。

 

「目指す復興は、元に戻る事じゃなくて、前以上になることだ」

 

2011年にこの言葉を聞いた当時はとても力強く感じたけど、

元に戻る事すら遠く感じる今の自分を思うと、少し残酷に響きます。

 

今日はとても嫌な夢を見ました。

ここ数ヶ月はうまく逃れていたものに、また追いつかれてしまってきているような気がします。

追いつかれてしまうのは、自分が進むスピードを緩めているからだと、

自分を責めてみても、スピードを上げる力がまだわいてこない。

「引き離す」とか「追いつかれる」とかいう考え方自体を変えなきゃいけないかもしれませんね。

 

“それ”は、消えることはなく、置き去りにすることもできず、自分の中に留まり続ける。

 

そう考えていた方が気持ちは楽かもしれない。

あり続けるものとの付き合い方を学んだり、影響を弱める受け流し方を学んだり、

そっちの方がとても現実的に思えて。

 

台風のように、完全に去ってしまい、きれいな青空だけが残るようなことはない。

それでいて、台風のように何度でもやってくる。

 

村上春樹の作品『海辺のカフカ』の冒頭で、とても印象的なシーンがあります。

日本語で読む前、いつかの英語の授業で見かけた時から脳裏に焼きついているシーン。

 

ある場合には運命っていうのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている。

 

 

君はそれを避けようと足どりを変える。そうすると、嵐も君にあわせるように足どりを変える。君はもう一度足どりを変える。すると砂嵐もまた同じように足どりを変える。何度でも何度でも、まるで夜明け前に死神と踊る不吉なダンスみたいに、それが繰りかえされる。

 

繰りかえされるのは、“それ”が引き離したり置き去りにできたりする類いのものではないから。

 

なぜかといえば、その嵐はどこか遠くからやってきた無関係ななにかじゃないからだ。そいつはつまり、君自身のことなんだ。君の中にあるなにかなんだ。

 

“それ”は、僕と言う主体が他動詞でコントロールできる客体ではなく、

むしろ主体そのものと同化している。

 

だから君にできることといえば、あきらめてその嵐の中にまっすぐ足を踏みいれ、砂が入らないように目と耳をしっかりふさぎ、一歩一歩とおり抜けていくことだけだ。

 

完全に避けて通ることはもはやできない。

避けることあきらめるのは、逃げの姿勢からくる投げやりではなく、むしろど真ん中を突き進む覚悟。

「置き去りにする」「引き離す」「追いつかれる」という言葉を使っていた時点で、

僕はその覚悟をまだ持てていなかったのかもしれないです。

 

 

 

逃れることのできない砂嵐の中を進むための力は、どこからわいてくるのか。

 

 

 

ある種の人間にとっては、「自分のこと」を考える時間はとても疲れることです。

たびたび訪れる砂嵐は、すなわち自分自身との対峙。

そんな中で、それ以上に自分のことばかり考えることは、
砂嵐の真ん中に留まり、風力で掘られたあり地獄のような穴の中へその身を埋めていくようなもの。

自分の成長、自分の利益、自分の幸福・・・

自分にばかり目を向けているうちは、砂嵐はやまなくて、むしろどんどん強まっていく。

 

目の向け先が「自分」である以上砂嵐を通り抜けることができないのであれば、

通り抜ける力の在処は、自ずと見えてくるはず。

 

「この人のためになりたい」

 

そう思える人に全力を尽くす。

今はそれだけを考えていたい。

「自分にしかできないこと」は、「自分にもできること」を積み重ねながら探す。

ひっさしぶりに、風邪っぽい風邪をひいた・・・

咳がゴホゴホ、頭はボワボワ、寒気でガクブル。

8月はほぼ毎日アルコール消毒をしていたのに、なぜ・・・

(それ故か・・・)

 

まっ、止まっている時ではないので、

さっさと治す。

 

 

 

最近いくつかの組織にいて思うのは、

 

「自分にしかできないこと」ってなんだろう?

 

ということ。

7月末から優秀な先輩方と連続で会わせていただき、

「自分もあんな風になりたい!」と思う反面、

「こんなに優秀な人たちがいる中で、自分の存在意義は?」

という問いが続いている。

 

もちろん、あんな人たちが増えることは世の中にとっていいことだけど、

やっぱり自分ならではの、できれば自分にしかできない何かが欲しい。

(矛盾しているようだけど、そういうのが見つかったら他の人でも真似できるところまで落とし込みたい。)

 

でも根本のところで、

何者かになれる自信も、

なれるところまで努力する覚悟も、

まだまだ欠落しているのだと思う。

 

 

 

・・・などと、

体調不良もあいまってマイナス思考なのだけど、

一番やってはいけないことを体験上僕は知っている。

 

上ばかりを目指して、

足下でできることを疎かにすること。

 

「こんな誰にでもできることをやってても意味がない」

と思いながら上を見るだけで足下を疎かにしていると、

「理想だけ高くて何もしていない自分」になる。

それは所属しているコミュニティーに何ももたらさないし、

次第に「自分は何もできていない・・・」という自己嫌悪に繋がる。

 

過去に、そんな非生産的な時間を長く過ごしたことがある。

だから、同じ失敗は繰り返さない。

 

「自分にしかできないこと」も探しつつ、

「自分にもできること」をきちんと積み上げる。

 

「自分にもできること」を「誰にもできないくらい」にやれたらそれも素晴らしいし、

積み重ねた「できること」の上に乗って初めて、

自分にしかできない領域が見えるかもしれない。

 

 

 

なんだか色々焦っているように思える。

だけど、焦って目の前の挑戦に対するパフォーマンスを下げるのが、

結局は遠回りになる気がするんだよね。

 

常に最善の“今”を積み重ねられるように。

 

 

 

そのためにも、早く風邪治って・・・

 

再出発の日に。 ~人生は転ぶものだから、立ち上がり続ける。~

7月24日。

この日ともう一度対峙するためにこの一年間必死でもがいてきた、と言っても過言じゃない。

 

今年のこの日を「再出発の日」にすると誓ってきた。

その想いを胸に、どれだけ努力してきたか。

 

止まりたくないのに動けないもどかしさをずっと抱えてきた。

言い訳を抱えながら生きている気がしてずっと苦しかった。

少しずつ登ってきて、今日まだ滑り落ちるかもしれないと、ずっと怖かった。

 

だけど、やっと進めそう。

 

「時間が経てば立ち直れる時が来る」

そんな綺麗ごとは僕には言えなさそう。

待っているだけだったらダメだったと思うから。

僕がやったのは、待つことではなく、「必ず立ち直る」と強く決意することだった。

うまくいく保証なんてないし、やり方だって分からなかったし、不安だらけだった。

でもとにかく、先に「必ずどうにかする」と、無理矢理にでも固く決意した。

そして、その瞬間その瞬間の自分にできる“1”をひたすら積み重ねてきた。

できることが極端に減ってしまった中でも、「それでも今できる“1”はなんだ」と常に自問してきた。

ただ止まって待っていたら、今日この日、今の自分はなかったと断言できる。

一ミリずつでも、体を引きずってでも進んできたことが今に繋がったと。

 

この1年間、必死でもがいて、色んなものを犠牲にして学んだこと。

それは「立ち上がり方」。

人生に転ばない方法はない。

何かをしようとすれば転ぶリスクがあるし、

何もしなくても外圧で転ばされることがある。

人生は転ぶもの。

だから、「決して転ばない」方法なんて探る必要はなくて、

「何度でも立ち上がる」決意が何より大事。

 

スピードを緩めてもいい。

時々止まってもいい。

でも、止まり続けないこと。

 

どんなに周りがサポートしてくれても、最後に1歩足を進めるのは自分自身に他ならない。

誰にも譲れず、誰にもお願いできない、自分自身にしかできない瞬間がある。

そこだけは放棄しちゃいけないんだよね。

そうして自分の力で進めた微々たる1歩を日々自分で認めることで次の1歩に繋げる。

 

進むことは、自分を救うこと。

わずかでも進んでいるという実感がいつか希望に繋がる。

 

とても大切なことを苦しかったこの1年間は教えてくれた。

もう1年前の自分じゃない。

 

 

 

今日から、再出発します。

 

life is beautiful

また一つ歳を重ねました。

 

この1年間は凄まじかった。

めでたい日なので多くは語らないけど、

今日を迎えることが想像できないくらいだった。

 

どんなに苦しくても、

体を引きずってでも進んだ。

 

「止まってもいい」

 

何度も言われたけど、

止まり続けてても何も変わらない。

だから、血を流しながらも進んだ。

 

振り返って、無理して進んでよかったと心から思う。

ようやく、光が見えてきた気がする。

 

この1年間で学んだことは決して忘れない。

 

 

 

誰もが何かしらの重荷を抱えながら生きているということ。

誰の苦しみも唯一無二のもので、誰かと比べることなんてないということ。

「あの人はもっと苦しいから」という我慢があなたを苦しめるということ。

あなたが辛いと思うのなら、強がらずに「辛い」でいいのだということ。

その代わり、誰かが「辛い」と思っているのであれば、その人特有の苦しみだと理解して寄り添うこと。

 

人生はいつ何が起こるか分からないということ。

ゴールからの逆算により荷造りよりも、今からやりたいことを順算してすぐに取りかかること。

一番の後悔は荷造りしている最中に終わること、後悔しないように今すぐ旅に出ること。

情熱さえあれば、足りないものは持っている人から借りられるということ。

 

何かを固く決意した時点で、周囲のあらゆる力が味方してくれること。

自分さえ諦めなければ、必ず助けてくれる人が現れるということ。

人は何かを手にした瞬間に変われるのではなく、決意をした時点で変化は始まっているということ。

 

止まっていて苦しくなるのは自分だということ。

一時停止はよくても、止まり続けないこと。

負けてもいいから、負け続けないこと。

どんなに小さくても、「“いま、ここ”の自分」ができる“1”を探すことだけは諦めないこと。

積み重ねた“1”を、他の誰でもない自分自身が認めてあげること。

 

 

 

アフリカのブルンジで内戦に巻き込まれ、

家族を殺され、国を追われ、

それでも今はNGOで元少年兵の社会復帰に携わる、

トシャという女性がいる。

 

これだけの経験をしながら、

今の彼女はこう言う。

 

 

 

life is so beautiful

 

 

 

「あってよかった」なんて口が裂けても言えない経験はある。

だけど、その後に活きない経験は、自分次第で何一つない。

 

だから、この1年間に味わった経験は何一つ無駄にはしない決意を持つ。

そして、僕も言いたい。

 

 

 

人生は美しい。

 

帰国しました。

昨日の昼、カンボジアから無事帰国。

軽く熱中症にかかったり、お腹下したりはしたけど、

大きな事故はなく。

 

今回の渡航はだいぶ悩みながらも最初の直感に従って決めた。

でも、「行く」と決めて本当によかったと思ってる。

 

本当に良い学びっていうのは、

その後に学びたいことが見えてくるもので、

今そんな感じ。

勉強したいことで満ち溢れてる。

 

今回の旅で感じたことは、

少しずつブログに綴っていく。

専用のカテゴリーを設けたので、

こちらから見ていただけると↓

 

カンボジアに映画を届けてきた
(2013.7.9~16)

http://eijipress.co.jp/chicken/?cat=16

 

 

 

これからできれば半年に1度はカンボジアに行きたいな~と思ってる。

3回訪問してるけど、今回の旅が一番カンボジアを好きになれた。

現地でのご縁もたくさんできたので、

今から次の渡航が楽しみでしょうがない!

 

それまでに、日本でやれることをエンジンの回転数上げて取り組んでいきたい。

ぜひ今後とも、CATiCの応援をよろしくお願いいたします。

 

カンボジアに映画館をつくろう!
CATiC:Create A Theater in Cambodia

https://www.facebook.com/t.cambodia

もうすぐ「500いいね!」

 

カンボジア行ってきます。

明日からカンボジアに行ってきます。

このブログでも何度か紹介しているこちらの団体↓

 

CATiC(Create A Theater in Cambodia)

 

一ケ月半くらい前に出会ったばかり。

映画に特別関心があったわけでもない。

なんだけど、不思議と活動にコミットするようになっていった。

(「カンボジア」というキーワードはマッチしていたけど)

 

7月に4つの小学校で上映会を行うツアーがあると耳にした時、

直感的に「行きたい」と感じていた。

とはいえ、色々事情もあったので、迷っていた。

 

なんだけど、ここ2ケ月くらいは、

自分の直感に身をあずけることが増えていて、

結局今回もその直感を信じることにした。

 

去年の上映会にて、映画を観る子ども達

 

アンパンマンの作者・やなせたかしさんの作品、

『ハルのふえ』。

子ども達はどんな表情で観るんだろう。

 

映画が何をもたらすのか、

正直僕にはまだ分かっていないけど、

だからこそ、確かめに行きたいと思う。

 

従った直感の正しさとか、

活動にひかれた理由とか、

そういうのは後からゆっくり考えてみようと思う。

(↑僕にしてはこの“後出し”は珍しい)

今はとにかく、ひかれた心のままに動いてみる。

 

 

 

3度目、4年ぶりのカンボジア。

海外自体も3年前のアフリカ以来。

ちょっと緊張・・・

 

滞在記はできるだけ毎日このブログで綴るようにします。

 

今日はよく寝れますように・・・

(高所恐怖症だから明日飛行機怖い・・・)

 

アンパンマンから学んだこと。

「やなせたかしさん」をご存知だろうか。

 

 

あの「アンパンマン」の作者。

今朝、テレビ番組でやなせさんのインタビューが流れていた。

先日この投稿↓を読んで、やなせ哲学に感動していたところだった。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=574791792570872&set=a.525547124162006.1073741826.525545410828844&type=1&theater

インタビューの内容を、少し紹介したいと思う。

 

 

 

やなせさんは、「ヒーローが怪獣をやっつける」という構図が嫌いだったそう。

怪獣側にも正義はあるわけで、

むしろ人間に自然を破壊されたり、

人間側に非があることもある。

 

そんな中で、やなせさんが考えた「正義」とは何だったのか。

 

その答えは、戦争体験の中で野草を食べながら耐えしのいだ経験の中にあった。

 

ひもじい人を助けること

 

困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は

立場が変わっても国が違っても

「正しいこと」には変わりません

絶対的な正義なのです

 

そんな正義の姿を、顔がぬれるだけで力が出なくなってしまう弱いヒーローに、

自らの体の一部をひもじいに人に差し出せる力を与えて示した。

 

 

 

 

飢餓の問題に挑む活動をしてきた身として、

この理念には賛同するところが大きい。

だけど、一つ疑問が残った。

それが、

 

バイキンマン

 

彼の存在だった。

「ヒーロー対怪獣」の構図を嫌うやなせさんが、

バイキンマンとの対決を描いたのはなぜか?

話の内容が引き締まるから?

 

そこにも、彼の哲学がこもっていた。

曰く、

 

菌は昔から人間にとっての敵となることが多かった。

しかし、世界から完全に菌がなくなってしまってもいけない。

菌と人間の共存のバランスこそが必要なのです。

 

 

 

 

「献身と愛」こそ逆転しない正義であること。

「弱さ」があっても誰かの役に立てること。

「根絶すべき敵」を作らないこと。

 

やなせさんがアンパンマンを通して子ども達に伝えたかったことじゃないだろうか。

 

 

 

このタイミングでやなせ哲学に出会えてよかった。

3日後から、カンボジアの学校に映画を届ける活動が始まる。

 

カンボジアに映画館をつくろう!
CATiC(Create A Theater in Cambodia)

 

届ける映画は『ハルのふえ』、

原作者はやなせたかしさん。

 

やなせさんからいただいたメッセージ

 

この方に応援いただいていると思うと、気合いが入った。

しっかり届けてくる。

 

人生は学習の道でして。 ~最近の学習テーマ?:ファンドレイジング~

人生は学習の道

 

僕が心底尊敬している元世界銀行副総裁・西水美恵子さんが常々仰っていること。

何事からも糧を得ようと意識する中でも、

時期によって重点学習テーマを決めておくのは悪くない。

 

ということで、僕の最近の重点学習テーマについて書いてみようと思う。

この記事では1つ目の学習テーマ「ファンドレイジング」について。

 

 

 

ファンドレイジング

 

~背景~

「食」の問題を扱うNPO(TABLE FOR TWO)の活動に従事してきたけど、

実は「食」にテーマを特化している人間ではない。

国際強力に関心を持ち始めたきっかけは「少年兵問題」だったし、

在学中の研究テーマは「難民問題」、

「環境問題」にも「貧困問題」にも関心がある。

最近では「ペット殺処分問題」にもアプローチを始めている。

 

一言で言うと、「テーマを絞れていない」人。

 

そんな中でなぜ僕が「食」を扱うTABLE FOR TWO(TFT)に没頭したのか。

それは、この活動が様々な問題解決に寄与する「人」を生み出す活動だと感じたからだと思う。

 

TFTヘルシーメニューを食べるだけでアフリカに給食を届けられる。

社食や学食で取り組める、多くの人にとって「いま、ここ」でできる活動。

 

この画期的な仕組みによって、

「自分にもできることがあったんだ」

そう気づく人がどんどん増えていく。

そして彼らは、TFTをきっかけに、

後々自分のいる場所や本当の関心分野においても、

社会に役立つ「良いこと」を起こすようになっていく。

その分野が違えば違うほどいい。

「紛争」「環境」「貧困」・・・

たくさんの分野で、これまで発揮されていなかった力が発揮されるようになっていく。

そんな理想像が、分野を絞れていない僕には合っていた。

 

今でも、色んな社会問題に関心が散らばっている。

だから、

 

「社会問題の分野」を絞るんのではなく、

「スキルの専門分野」を絞ろう

 

そう考えた。

そのスキルの専門性によって、

色んな社会問題の分野を横断して応援できる人になろう。

 

そこで最初にピンときたのが「ファンドレイジング」という分野だった。

寄付金や助成金など、あらゆる方法で社会事業に必要な資金を集められる人。

 

ファンドレイジングに関心を持った理由は3つ。

 

 

 

?純粋に「面白い」と思った

 

NPOの活動は大きく分けて二つだと思う。

 

「お金を集めること」と「お金を使うこと」

 

僕がTFTで従事してきたことは前者。

「集まったお金でどんな事業を展開するか」ではなく、

「いかに変革を起こすための資金を集めるか」

 

もちろん活動を通じて「お金さえ集まればいい」とは思っていなかった。

一緒にやるメンバーがどれだけ良い顔できるかとか、

組織体制のこととか、

活動を通じて自分をどう成長させるかとか、

考えることは多かった。

 

だけど、

どうやってTFTの仕組みを広めて、

どうやって新しい仕掛けを生み出して、

どうやって持続的に定着させるか、

その先にある大きな目的は、

突き詰めて言えば「寄付金集め」だったと思う。

 

それが、楽しかった。

仕掛けが狙い通り、もしくは狙い以上にいくと、

ガッツポーズ。

具体的に数字で成果が見えるからやりがいもあった。

 

当たり前だけど、寄付金が集まらなければ「給食を届ける」というミッションは達成されないわけで。

※ヘルシーなTFTメニューを食べてもらうことで、先進国の過食や偏った食事を改善するのもTFTの大事なミッションの一つ。僕自身は「途上国に給食を届けること」の方により強い関心があったという話。)

 

お金だけで全てがなんとかなるわけじゃないけど、

お金があれば動かせることもある。

その意味を体感して、実体験の中で関心が強まった。

 

 

 

?ファンドレイジングの“過程”が問題解決に寄与する

 

基本的にはTFTメニューを食べてもらって寄付金を集めるわけだけど、

実は食べてもらうまで&後の過程において、

「世界には食の不均衡の問題がある」ということを認識してもらうこと、

そして「自分にもそこに寄与できることがある」と感じてもらうこと、

それがとても大事。

認識や意識に変化を起こせてこそ、

その人自身も小さなチェンジメーカーになって、

持続的に問題解決に寄与してくれるようになる。

一回きりの寄付ではなくて、今後も何かしらの寄与をしてもらうこと。

それが社会問題解消に向けてのエンジンを高めていく。

 

だからファンドレイジングにおいて、

寄付金集めの「結果」としてただお金が集まるだけではなく、

寄付金集めの「過程」自体が変化を起こしている。

 

ただの「お金集め部隊」ではなくて、

社会問題解消に向けて直接的に影響を与える分野であること。

それがファンドレイジングにひかれた2つ目の理由。

 

 

 

?優秀な人を集められる

 

ぶっちゃけ、僕がファンドレイジングに詳しくなくても、

ファンドレイジングが得意な人を集めることさえできれば、

何の問題もない。

それと一緒で、何かを起こそうとする時に、

 

「自分に足りない力は、持っている人に借りられる」

 

と認識している。

そんな中でも、

なぜファンドレイジングという専門性を身につけようとしているのか。

 

その「力を持つ人」を呼ぶためには、お金が必要なことが多いから。

それは汚い話ではなく、

専門性を持ってそれで生きていこうと思っている人に対して、

対価を支払うのは当たり前のこと。

ボランティアで参加してもらうこともできることはあるけど、

他の手段で収入を得ながら週に2日だけ力を貸してもらうのと、

その活動の中で収入を得ながら週5日コミットしてもらうのと、

どっちがいいかという話。

もちろん前者で間に合う場合もあるけど、

その人が本当に優秀な人であれば、

後者の方が組織のアウトプットの質が上がるのは間違いない。

その人だって、組織のビジョンにひかれていれば、

収入さえ得られればフルコミットしたいと考えているかもしれない。

 

となった時に、欲しい力を借りるためにお金はやはり大事な要素。

とても良い活動をしているのに、

お金がないがゆえに優秀な力を得られない。

得られないがゆえに、社会へのインパクトが弱くなってしまう。

これはもったいないと思う。

 

だからこそ、資金集めのお手伝いをすることで、

優秀な人材集めに寄与できると思っている。

優秀な人材が集まることで、活動の社会へのインパクトも大きくなる。

 

そのために、いくつもの「借りられる力」の中でも、

「力を借りるための力」としてのファンドレイジングに関心がある。

 

 

 

・・・

 

 

 

といったような理由で、

この「ファンドレイジング」という軸で、

社会問題の分野を横断して、

応援したいと思った人たち・団体を応援できる人になりたいと思ってる。

 

そのために今取り組んでいることは3つ。

 

 

 

?座学

 

読書やネットでの勉強。

直近で読んだ本はこちら↓

 

『ファンドレイジングが社会を変える
非営利の資金調達を成功させるための原則』
著:鵜尾雅隆、三一書房

 

『寄付白書2012』
編:日本ファンドレイジング協会 、経団連出版

 

オススメ本あれば教えてください。

ネットで言うと、最近読み始めたのはこちらのブログ↓

 

プログレス
~自分と社会を一歩前に進めるプロボノという生き方~

http://probono-ogawa.com

 

「プロボノ」とは、ブログから引用させていただけば、

 

職業上の専門的なスキル、知識、経験、人脈を活かして、自主的、自発的に無償で行う社会貢献活動全般、及びその活動をする人の事。

 

このブログの筆者である 小川宏さんはまさに「ファンドレイジング」という分野で、

多くのNPOでプロボノをされている方。

大先輩なので、思いっきり勉強させていただくつもり。

 

 

 

?資格

 

上記の寄付白書を出している「日本ファンドレイジング協会」が、

『認定ファンドレイザー試験』というものを実施している。

まずは“准”認定ファンドレイザーになるために、

12月の試験に向けて動き始めた。

8月から研修が始まる。

頑張ります。

 

 

 

?実践

 

「カンボジアに映画館をつくろう!」
(CATiC:Create A Theayter in Cambodia)

 

この非営利団体で1ケ月半ほど前から活動を始めた。

僕が志願している役割は「ファンドレイジング」。

去年立ち上がったばかりの団体で、

寄付金集めの仕組みづくりは1から立ち上げることになる。

そこにもの凄いやりがいを感じている。

TFTの時は、既存の仕組みをどれだけ広める&応用するかだった。

FUTSAL FOR TWOなどは、1から仕組みを考えて今でも継続している事例だけど、

それでもTFTの仕組みの応用という域を脱していない。

CATiCでの挑戦は、TFTで学んだことをフルに活かしつつも、

1からどうやって持続的なファンドレイジングの仕組みを作れるか。

ワクワクする!

 

 

 

・・・

 

 

 

つらつら書いてみたけど、

正直後づけっぽい理由もある(笑)

ピンときてひかれて、後から考えてみたらそれっぽい理由が見えてきた、

そんな感じ。

 

学習テーマ?は、「ストーリーテリング」について。

ご関心あれば読んでください~